自己肯定感と自賛史観

「自分の国に誇りを持てるような歴史教育を」と主張し、日本の恥部を教えることを自虐史観と呼んで罵り、よいところばかりを列挙して自画自賛する「自賛史観」が跋扈している。しかしそれではますます自己肯定感を失うばかりだ。
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shinshinohara @ShinShinohara

最近、興味深い問いかけがあった。 「最近は自己肯定感が低く、卑下ばかりする若者が増えている。これも歴史の恥部だけを見る自虐史観教育で誇りが持てないのも一因。もっと誇りの持てる歴史教育をすれば自己肯定感も高められるのではないか」 というものだった。昨今、比較的多い意見だと思う。

2015-02-24 22:16:03
shinshinohara @ShinShinohara

自己肯定感はどのように育まれるのか。虐待などで福祉施設で暮らしていた子供が養子でもらわれたとき、それが如実に現れる。「試される」のだ。

2015-02-24 22:23:37
shinshinohara @ShinShinohara

トイレも行けていたはずの子供がオムツをはきたがる。行儀よく食事できていたのに手づかみで食べたりミルクをこぼしたり。噛みついたり散らかしたり。義父、義母を困らせるようなことばかり繰り返す。いわゆる「赤ちゃん返り」が起きる。親となる人はこの洗礼をくぐり抜けねばならない。

2015-02-24 22:27:27
shinshinohara @ShinShinohara

なぜこんなことをするのだろうか?「この人は本当に僕のお母さんになってくれるのだろうか?どんな嫌な面を見ても決して見放さない、本当の親になってくれるのだろうか?」その覚悟を試すのだ。この洗礼をくぐり抜け、「この人は決して見放さない、本当に僕を愛してくれるんだ」と確信を持てるまで。

2015-02-24 22:30:34
shinshinohara @ShinShinohara

「この人は決して僕を見放さない」と確信を抱けたとき、子供は再び穏やかになっていき、行動が改まっていく。義父母を親として認知し、甘えることのできる人として信頼する。「自分の恥ずかしいところをこれだけ見ても僕を見放すことはない」という確信が自己肯定感を育む。「僕は生きてていいんだ。」

2015-02-24 22:34:02
shinshinohara @ShinShinohara

自己肯定感は、「恥を知る」ことで育まれる。オムツをしめてもらい、おしっこやうんちの世話をしてもらい、おねしょの世話もし、ミルクをこぼしたりご飯を散らばしたり。そんな恥ずかしいところもすべてひっくるめて「あなたに出会えてよかった」と言ってくれる人がいる。それが自己肯定感を育む。

2015-02-24 22:36:51
shinshinohara @ShinShinohara

虐待する親は、逆に「恥」を許せない。オシッコを嫌がり、ミルクをこぼしたと怒鳴りつけ、散らかしたと罵る。恥を許容しない親の姿勢は、子供の自己肯定感を消え入るほど小さなものにする。恥を許されなかった子供は代わりに自己顕示欲を増大させ、自己肯定感の空虚を穴埋めしようとする。

2015-02-24 23:43:03
shinshinohara @ShinShinohara

昨今、自虐史観を否定する人たちの多くは日本の恥部は見ようとせず、もっぱら日本のよいところだけを自画自賛し、誇りを持とうとする。いわば「自賛史観」だが、それは日本文化からするとかなりいびつな歴史観である。日本の伝統文化は「恥の文化」だからだ。

2015-02-24 22:39:56
shinshinohara @ShinShinohara

日本の異様とも思える戦い方に恐れを抱いたアメリカは、ルース・ベネティクトに分析を依頼する。ベネティクトは一種の畏敬の念をもって日本の伝統的価値観を喝破する。日本の行動原理は「恥の文化」であると。

2015-02-24 22:42:16
shinshinohara @ShinShinohara

戦国時代の頃から卑怯な振る舞いを戒め「名こそ惜しめ」と、腹を切るという苛烈なことまでやってのける文化。それが「恥の文化」であった。これは武士だけではない。商人の世界でも「もし借金を返せなければ万座でお笑いになっても結構です」と証文を書いた。庶民に至るまで「恥を知る」 文化だった。

2015-02-24 22:45:31
shinshinohara @ShinShinohara

昨今の「自賛史観」、つまり日本の歴史を自画自賛し、恥ずかしいところを直視しようとしない姿勢は、「恥を知る」文化から見ると次のように評される。 「恥知らず」 と。

2015-02-24 22:49:26
shinshinohara @ShinShinohara

人間は完璧ではない。恥ずかしいことも避けられないことがある。それを知ればこそ、極力恥じぬ生き方をしようとする。恥を知るからこそ「武士の情け」をもち、他者に寛容になれる。自分の恥を知ってなお認めてくれる人がいる。だから自己肯定感を持つことができ、しっかり生きようとすることができる。

2015-02-24 22:52:53
shinshinohara @ShinShinohara

日本をやたら自画自賛する「自賛史観」は、実は不安の裏返しであり、自己肯定感を持てずにいるために必死に自己尊大感で穴埋めしようとする姿勢だと言える。「恥知らず」だから自己肯定感の持ちようがない。自分の恥もすべてひっくるめて愛することができないと、自己肯定感は生まれないからだ。

2015-02-24 22:56:11
shinshinohara @ShinShinohara

歴史の恥部も誇らしい部分も全てひっくるめて日本の歴史であり、そのままを受容して「それでも日本が好き」というのが、本来あるべき歴史観だろう。自画自賛ばかりの自賛史観ではとても自己肯定感は生まれない。むしろ「俺ってすごいだろ」という必死さが内心の不安を顕わにするようで、物悲しい。

2015-02-24 23:00:19
shinshinohara @ShinShinohara

自己肯定感の高い国にしたいのなら、自画自賛ばかりの自賛史観はもってのほか。欠点も長所もひっくるめて直視し、それでも受容する。親が子供の自己肯定感を育むように、「恥を知る」ことを恐れないで直視することが歴史教育には重要だろう。

2015-02-24 23:02:28
shinshinohara @ShinShinohara

恥を認めず、「俺はやっていない、でっち上げだ、そもそもあいつの方こそおかしいやつだ、俺はちっとも悪くない」と強く自己主張する人間を日本では古来、「恥知らず」と呼んだ。自画自賛ばかりする自賛史観の人たちは、これにあてはまってしまっていることに気づいているだろうか?

2015-02-24 23:07:54
shinshinohara @ShinShinohara

日本の歴史教育を見直せと言っている連中が、「恥を知る」伝統文化から逸脱した「恥知らず」に分類されるという皮肉。恥を容認できない間は、彼らの心に欠如している自己肯定感も埋まることはない。心の空虚を代わりに埋めようとするのは、「俺ってすごいだろ」という自己尊大感だ。

2015-02-24 23:11:46
shinshinohara @ShinShinohara

小説やマンガで、金持ちの息子が鼻持ちならない傲慢な子供に育つという定番がある。これはまさに「自己尊大感」の典型で分かりやすい。親の七光りで自分の等身大のサイズが分からなくなり、自己イメージが肥大化してしまった姿。これは昨今の自賛史観が行き着くであろう姿だ。

2015-02-24 23:14:42
shinshinohara @ShinShinohara

「俺ってすごいだろ、お前なんかと違うんだ、俺は生きる価値がある、お前は生きる価値がない、俺を認めろ、俺はすごいだろ、なあ、そうだろ」・・・悲鳴にも似た叫び。自己肯定感が持てないからこそ、自己顕示で穴埋めしようとする。この姿、自画自賛する自賛史観と瓜二つなことにお気づきだろうか。

2015-02-24 23:45:35
shinshinohara @ShinShinohara

自己尊大感で膨れ上がった自己イメージは、実際の自分の貧弱さとのギャップをごまかすため、他者にたいして厳しくあたる。非常に攻撃的になる。本当の意味では自己肯定感がないため、隠れた不安が頭をもたげようとするのを、他者への攻撃で必死にごまかそうとするのだ。

2015-02-24 23:16:48
shinshinohara @ShinShinohara

もっと自己肯定感を持てる国にしよう。そのためには、「恥知らず」の自賛史観はもってのほかだ。「誇りの持てる国」というのは、自己肯定感を持てずにいるがゆえに、傲慢さで不安を穴埋めしようとしているにすぎない。そんなのはまやかしだ。等身大で日本を眺める。それでよいではないか。

2015-02-24 23:19:36