林檎さんとの会話2: 電車・カードゲーム・チャット・進化論・ハリウッド映画・崇高
- ttt_ceinture
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.@masayachiba リヒターってアブストラクトペインティングでは、塗り重ねた絵具の層を斜めに切断して(年輪みたいに断層を見せるというか)、亀裂が出てくるところあるでしょう。その見せ方と梅ラボさんの画像かわいいよ画像あたりはぱっと見似てますね。
2010-01-03 00:51:31@ttt_ceinture どうもです。梅ラボ作品とリヒターって共鳴するところなしではないですよね。アトラスは関係かるかもですね。しかし僕的にはあの悪趣味な色の洪水が、アブストラクト・ペインティング・シリーズかな。
2010-01-03 00:49:23.@masayachiba リヒターって薄いんだか分厚いんだかわかんないアブストラクトの層があって(oil on photoは塗りが実は超薄い)、厚さが表面に転化するようなところがあるんですよね。で、梅ラボさんの絵を見て、リヒター再読したくなった、というのもあったり。
2010-01-03 00:55:29.@masayachiba アトラス(特に写真シリーズの方)と言ったのは、あれは一種グーグルビューめいたところがあって、あらゆるところに偏在するカメラで撮った土地、といったところがあり、それと梅ラボさんの図像の外在的な取り込み方が、違いつつも、多少なりとも類比的、ってことです。
2010-01-03 00:53:03.@masayachiba おそらくベッヒャー派よりは拙いんだろうけど、射程はリヒターのほうが面白いんじゃないか、って思い入れがあってw ただ、リヒターを、単にとりこんで終わり、とする理解が多いので、それ崩した方が面白いと思う<遍在するカメラによってすべて「画像」化されていく
2010-01-03 00:58:11.@masayachiba ただ、リヒターのアトラスの写真には、「画像化」のエレメントは薄いっすね。9枚組写真は、対象を一致させながら細かくカメラ位置変えてるんで、対象を措定しつつ、揺さぶる、なところはあるけど。梅ラボさんの面白さは、「いっちょ画像化でいこうぜ」と踏み切った点。
2010-01-03 01:05:30.@sarisari1430 そうですよね。図版で見るとすごく厚そうなのに、実物見ると、なんだか異様に薄かったりしてるし。どっかズレてる深度がある<アブストラクトシリーズはほとんどアルミ版の上に描かれてますがアルミ版という特性を生かそうと思ったらそこまで厚塗りではないんじゃないか
2010-01-03 01:09:18.@sarisari1430 友達もリヒターのアブストラクト真似ていろいろやってみた人いたんですが、その人は木製パネル使ってた。アルミ板でやってた人と話すのははじめてです。ぶっちゃけ「工房みたいに量産できるんじゃね?」な気分になった。
2010-01-03 01:15:31唐突に街中に現れ何かを訴える中国語の看板、両手で抱えられる位の箱の中に極限まで装飾を施したパチンコ台、場所感覚を喪失させる碁盤の目としての道。工事現場の隅に掲げてある正月のお飾り。ジュンク堂に変異した紀伊国屋、人体標本展が催されたデパート。日常は一つ一つが呼吸している。
2010-01-06 17:12:21juno reactor曰く、彼の曲は「日常を非日常に」することを主眼に於いて作られているそうだ。映画音楽ばかり聴いてる性か、格段彼の曲に感じることは無かったけど、今電車の中で聴いていたらやたらマッチしてびっくり。窓を風景が通り過ぎていくリズム、電車の動きそのものに凄く合う。
2010-01-02 23:02:11というか電車自体が一種の視覚的マシンだよな。幼児の頭上をクルクル廻りながら蝶が動いている様に見せるおもちゃがあるけど、差し詰め電車は巨大な揺り籠。電車側が動いて、風景が切り替わっていくことの 妙って考えてみると面白いのでは。
2010-01-02 23:08:27@lingo_coffee 初期映画と電車の近似性ってたまにいわれるよ。近代化研究と映画研究が交差するときにしばしば出てくる。一昔前の長谷正人もそんなことやってた。<電車自体が一種の視覚的マシン…差し詰め電車は巨大な揺り籠。電車側が動いて、風景が切り替わっていくことの妙
2010-01-03 16:15:45@ttt_ceinture 電車内だったので確認が取れず、固有名詞を出すのは控えましたが、一応「視覚論」のロザリンド・クラウスのモダニズム芸術に於けるビート/パルスの論を念頭に置いたつもりなので、初期映画と通ずる研究があるというのは、全く以って頷けます。お見通しとは流石ですw
2010-01-04 22:31:51@ttt_ceinture そうそうまさにそれ。内容的には制約上かなり強引だった気もしますけど、肝心の主著optical unconciousの方はまだ読めてないw
2010-01-04 22:45:53@lingo_coffee クラウス読解進行度は私も似たようなもんっす 『ヴィデオを待ちながら』展図版に@yishioka石岡さんが訳したクラウス論文と、それめぐって『述』3号に石岡さん論文があるので、そろそろそれを確保しておこうかな、ぐらいに思ってる。
2010-01-04 22:50:12クラウス「ナルシシズムの美学」より:過去15年、アート・ワールドはマス・メディアとの関係によって、深く破滅的な影響を蒙ってきた。アーティストの作品がメディアを通して公刊され、複製され、散種されるということは、過去10年間の推移の中で成熟した世代にとっては、事実上、作品の芸術とし…
2010-01-06 22:36:10クラウス「ナルシシズムの美学」より:(承前)芸術としての存在を検証する「唯一の」手段になったのである。
2010-01-06 22:38:16@nnnnnnnnnnn ですよねw 読みづらいのはかなり私の責任です。申し訳ありません。訳注が参考になればうれしいです。一つ言えるのは、編集装置すらろくにない時期のヴィデオの面白さについて、クラウスが語っているということです。今の「動画」とはそこが全く違いますね。
2010-01-06 23:06:32@nnnnnnnnnnn もう一点付け加えると、もちろんクラウスが使う「ナルシシズム」には否定的なニュアンスが強いです。安易なニューメディア肯定論を批判しながらも、媒体をどう使い倒すか、という問題意識。一つの文章で全部いっぺんにやっているので、私も流れを掴むのに時間がかかりました
2010-01-06 23:18:12あぁ、そうそう「カードゲーム的状況」って具体的に何を指しているのか分からないんだよな。サバイバルとかバトルロワイアルとかはまぁ、何となくわかる。
2010-01-06 01:26:05@gnck ポケモンや『遊戯王』ですね。もちろん英語圏のMTGの影響もあるけれど、ジャンプバトルのあり方が大きく変わった。
2010-01-06 01:27:48