林檎さんとの会話2: 電車・カードゲーム・チャット・進化論・ハリウッド映画・崇高
- ttt_ceinture
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@ttt_ceinture こうやって改めて考えてみると、多分やくざな場所で自分を試すって感覚が、自分はとても好きだったんだなあと。
2010-01-06 23:18:56@lingo_coffee やくざな場所だけでなんとかなるわけでもないけど、やくざな場所自体は重要、というw ツイッタはあんまりやくざな場所になりきれない気がする。といっても、2ちゃんの大半はつまらない意味でやくざだし、あれはあれで困る。
2010-01-06 23:21:13@lingo_coffee まあでも、試すだけの相手なり何なりがいないとチャットみたいな場所でも面白くなれないので、数人面白いやつがいないと、やくざな場の可能性も出てこないけどねw
2010-01-06 23:26:47@ttt_ceinture いやあ仮に無内容だとしても、それこそカードゲームじゃないけど、こういうある種限定された枠内で語ることそのものが自他を再構成していくんですよ。だから何だと云われたらそれまでだけどw 2chはチャット特有の淘汰圧とは全然違う意味での淘汰圧が…
2010-01-06 23:36:01@lingo_coffee 2ちゃんはオタク的と言うかなんというか、ある種の「テンプレでしゃべtれ」「三行でおk」な、自明な言葉・気分への収束がやや顕著だしね。「ある種限定された枠内で語ることそのものが自他を再構成」には同意。
2010-01-06 23:37:48@ttt_ceinture 唐突に現れた第三者の「暇人乙、童貞乙」で一切が閉じられてしまいますからねw。結局2chは一見自由な様で、その実如何に顰蹙を買わない様にテンプレ通りに喋れるかだけが問題なので、そういう意味ではチャットとは似て非なるどころか間逆と言えるのかも知れません。
2010-01-06 23:47:23@lingo_coffee やくざな場で息も絶え絶え・・・ならぬ、言葉や論立てが絶え絶えになるっていうか、苦しい思いしてる感じが、どうも2ちゃんだと出ないし、やったらハブられるんだな。いかに優位っぽいポーズをとるかにすぐ収斂しちゃう。
2010-01-06 23:50:55興味深い。「ホラティウス兄弟の誓い」では無く? RT @neurosnowblind: 新古典とロマンの比較で一番定式らしくいわれるのがダヴィッドの「マラーの死」とジェリコーの「メデューズ号の筏」
2010-01-06 23:52:18@lingo_coffee @neurosnowblind よく使われる対比っすね。というか@neurosnowblindさんのアイコン、氷川へきる漫画かw<新古典とロマンの比較で一番定式らしくいわれるのがダヴィッドの「マラーの死」とジェリコーの「メデューズ号の筏」
2010-01-06 23:54:55@ttt_ceinture その感覚は凄く良く分かるw 結局最終的にお互いが息果てて、齟齬と語弊、それに「語りを文で書くこと」を呪詛しつつ憔悴して終わることがしばしば…それだけに前tttさんが仰ってた学識の弱さの問題は、リアルも含め本当に身に染みいった…
2010-01-06 23:59:52@lingo_coffee ぜいぜいいいながら「また今度までの宿題だね」とか言って無理矢理タイムアウトな終わり方はよくあるねw ああいうのがやくざな場の良さw で、「本読もう…」とか思うw
2010-01-07 00:03:30@lingo_coffee 昔柄谷が源一郎と対談でワープロについて言ってるんだけど「たくさん講演の採録データ持ってるから、じゃあこれで何か書けるかっていうと、"使えない"と思った。"書くに値しない"と思って、やっぱりしんどかった」と。同感。<「語りを文で書くこと」を呪詛しつつ憔悴
2010-01-07 00:05:53@ttt_ceinture 成る程、共に当時を写した絵であるという共通項か。云われて考えてみると、リアルタイムで起きた事件を題材として画布に描くって考え自体が近代的なものの象徴って感じで面白い。
2010-01-07 00:07:52@lingo_coffee たぶんダヴィッドとジェリコーはたんじゅんな意味で構図の躍動感や安定性の対比にしやすいからではないかと…。
2010-01-07 00:10:49面白いRT @yishioka [クラウス論文は]一つ言えるのは、編集装置すらろくにない時期のヴィデオの面白さについて、クラウスが語っているということです。…今の「動画」とはそこが全く違いますね。安易なニューメディア肯定論を批判しながらも、媒体をどう使い倒すか、という問題意識。
2010-01-07 00:12:18@lingo_coffee でも「共に当時を写した絵であるという共通項…リアルタイムで起きた事件を題材として画布に描く」というのはそれ自体面白いですね。まあ、要は歴史画とジャーナリズムのごった煮的な意味合いか。
2010-01-07 00:21:06@ttt_ceinture 確かに、逆に書いた文を語ることも、やっぱり"使えない"。そうなると別々の往復線路をトランスさせて、無理に別々の入口から出口へ強制射出し続けようと、相手と頑張って試みてるのがチャットな訳で、そりゃ無謀というか憔悴するわw
2010-01-07 00:24:07@lingo_coffee 私はチャットの記録は編集したり、自分の語り部分だけをまとめなおしてblog記事に転用したりしてましたよ。で、前もってメモ帳で書いたテキストをずらっとペーストしながら会話したりしてた。文/パロールが入り乱れてたね。といっても大抵ゆるいパロールに流れがち。
2010-01-07 00:27:44@lingo_coffee チャットの語り方ならこう、ってのが先にあるってわけでもなくて、その語り方を二者関係間でどんどんドライブさせて各自間だけで慣習を育成しあうような面もあったかな。相槌とかどんどんなくなっていくねw
2010-01-07 00:29:31@ttt_ceinture 単にそれだけだとしたら、@davidbundlerさんが仰ってた様に妙にドラマチックなマラー〜よりも、個人的には完全に躍動感の欠片も無いホラティウス〜の方が、題材といい新古典らしいなあと思うのだけれども…w
2010-01-07 00:30:22@lingo_coffee 殺害の「後」と、難破「中」という、時制的な差なのかもね。<ダヴィッドの「マラーの死」とジェリコーの「メデューズ号の筏」
2010-01-07 00:33:25@lingo_coffee いまつぶやいててつくづく思うけど、やくざな場は同時に、思いつきの瞬発力だけで無理矢理話を成立させる場でもありますw したがってテキストとの係留点をいかに維持するかが課題だったりした。言うほどは毎回ぜいぜいしてやってなかったなあ。
2010-01-07 00:40:43@lingo_coffee マラーとメデューズ号の比較は同時代をテーマにしたのと構図の取り方からだった気がします。水平垂直が基本と躍動感が基本と言う。どちらにせよ美術史を見る上での「視座」の一つでしょうけど。
2010-01-07 00:33:13@neurosnowblind 丁寧な解説ありがとうございます!仰る通り、個人的にどうとかよりも、美術史に於ける定例の視座そのものとして受け容れた方が良さそうですね。
2010-01-07 00:46:00