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palmofcordoba
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史学や天文学は実験できないんだよ。超新星爆発なんて実験できるわけ無いし、都市への原爆投下なんかもそう。データは新史料を発見するか、いまある史料をしゃぶりつくすかだ。実験できないから学問じゃないというなら、天文学も学問じゃなくなるよな。
2015-04-11 06:26:24
「歴史は科学か」問題は、科学でないから自分たちが正しいと思う目的のために好き勝手やっていいという某会に見られる考え方に反駁するためにはある程度固めておかねばならんのだ
2015-04-12 12:18:59
この問題でまず定義すべきは「科学science」とは何かということであって、その議論の後に史学が科学かということを検証することができるので、結局まずは科学哲学の議論にならざるを得ない
2015-04-12 11:11:28
@palmofcordoba 文献が公開されて、検証が出来るという点。説得力を高めるための材料を集める点では科学的アプローチとして言えるかもしれないけど、うーん。
2015-04-12 12:30:43
@palmofcordoba 再現性がないので自然科学ではなく モデル構築をしないので社会科学でもない さて、人文科学としては如何。
2015-04-12 12:21:26
@palmofcordoba 論理性ですか。 あと事実に立脚している場合考古学ならともかく史学の場合は文献ベースだと思いますがそれはどこまで確からしいのです?
2015-04-12 12:33:13
@decoy334_ta 究極的には「そう書いてある文献が存在する」というところまでしか確固たる事実は遡れません(当たり前ですが)。あとは蓋然性の程度問題の世界になります。遅塚先生は『史学概論』で過去を見通す「歪んだレンズ」という言い方をしておられます
2015-04-12 12:37:49
@SPQR_RomeFan 物事の普遍性の如何を価値基準とするscienceに対して、史学はその歴史的事件・歴史的環境の特殊性をどう位置付けるかという動機を持つから。
2015-04-12 11:12:43
@SPQR_RomeFan 史学において「一般大衆のありふれた生活」というのは、その時代・地域を規定することによって初めて意義が現れてくる。 時代的普遍性や地域的普遍性はそれ自体で着目されず、逆にそれぞれ「『時代的に普遍な』地域特殊事例」あるいはその逆として意義を与えられる。
2015-04-12 11:16:42
@SPQR_RomeFan 誤解を恐れずに言えば、科学は普遍だから意味があるし、歴史は特殊だから意味がある。 古代ローマにおいても物理法則は変わらないだろうし、一方で古代ローマという国家・文化はあの時代、あの地域で現出したことに歴史的興味がある。
2015-04-12 11:19:24
@SPQR_RomeFan 「普遍・不変的な歴史の法則」を追い求める人は、この意見には賛同しないだろうけど。 個人的には、それが存在しないとまでは言わないが、興味もないし意義も感じない。
2015-04-12 11:20:41
私は動機や目的を「科学である/でない」の基準にするのは無理があるんじゃないかと思う。宗教もやはり普遍的な真理を求めるものだが、宗教と科学を弁別するのは目的ではなく手法であって、科学的な手法(それが何かはさておき)こそが「科学である/でない」の基準になるのではないかと
2015-04-12 11:21:36
@palmofcordoba おっしゃる事はわかりますし、同意もします。 で、私の意見ですが、「史学に関しては」科学と動機が異なるから科学ではない、という意味です。歴史にも科学的手法や思考法は使いますし。
2015-04-12 11:25:19
@palmofcordoba 科学と「動機・手法」の両方が合致してこそ、初めて科学の範疇に含められると思います。 で、史学は前者を、宗教は後者を共有しないが故に科学とは別のカテゴリーに入る、とそういうわけです。
2015-04-12 11:26:42
@palmofcordoba だから史学が科学ではないことを指摘するのは、前者の差異だけ指摘すれば良い、と、こういう考えです。 逆に、宗教が科学ではないことを指摘するには、後者の差異だけ指摘すればいい、ということになります。
2015-04-12 11:29:06
@palmofcordoba あくまで個人的な区別ですが。 科学は単なる手法だけの存在ではなく、問題意識(言い換えれば哲学)も含んでいるので、問題意識を共有しなければもはやそれは別物だろうと。 無論、科学ではないことは史学の価値をなんら貶めるものではない、というのは当然ですが。
2015-04-12 11:31:31