コスメの語源から、レヴィナスの存在論批判=他者の哲学へ
- totojuni_s
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つまり、感性的な次元で言えば、他者と自己との現前の仕方は、徹底して非対称なのである。そして、本質的には、人間はこの非対称性、あるいはもっとはっきり言ってしまえば、独我論性から逃れることは決してできない。
2010-12-18 15:43:58人が衣服を身にまとうとき、あるいは化粧をするとき、人間は自らの身体を、「他人にとって見られるもの」であるという意識をその都度引き受ける。そのとき、自分の生=世界は相転移する。つまり、独我論的世界から、自分と他者が同じ視線を共有する共同主観的世界へと。
2010-12-18 15:48:13そう、それはあくまで仮構なのだ。自分の世界が自分の世界でしかありえないということを忘却し、共同主観性をそのつど自分の世界と他人の世界に対して、その都度でっちあげているのだ。このような共同主観性の仮構こそが、いわば人間性の本質であり、人間の独我論的世界の様式を形づくっている。
2010-12-18 15:51:53たとえば、ある民族が、生まれた子供に、あるいは成人したときに、イニシエーションとして刺青をする、ということも同様に理解することができる。刺青を施すこと、それはその刺青にたいするある共通の超越的視線のもとへと、つまり彼らの「社会」へと内属させる儀式なのである。
2010-12-18 15:55:21もう一度説明しよう。人間は、なぜ今まで衣服を着るということの謎を解明できなかったのか。それは、彼らが、すでにして自ら共同主観化された世界を前提にして、議論を組み立てようとしたからだ。だが、その前提を構築する作業こそが、衣服を着るということなのである。
2010-12-18 15:58:37制服を着させられることとかねQT @ishtarist: たとえば、成人したときに、イニシエーションとして刺青をする、ということも同様に理解することができる。刺青を施すこと、それはその刺青にたいするある共通の超越的視線のもとへと、つまり彼らの「社会」へと内属させる儀式なのである。
2010-12-18 21:18:03それも一例ではあるけど。それのもっと根源的なバージョン? RT @mermo72: 制服を着させられることとかねQT @ishtarist: たとえば、成人したときに、イニシエーションとして刺青をする、ということも同様に理解することができる。
2010-12-18 21:19:03被服はあらゆる意味で自己宣言であると思う←着せられたものでなければ。それが政治的である/政治的でない、どちらの場合でも。私は個人的には、外見を気にする人が好き。
2010-12-18 21:23:32「他者へ承認を求めること」ための方法として、自分を何かにカテゴライズする手段がある。例えば学歴自慢とかもそうだけど、被服は発言なしにそれをできるし、同時に「自己の承認」でもある。自分のために自分がどうありたいか確認すること。
2010-12-18 21:24:09自分の承認を一方的に他者に求めることは、対価を支払うことに納得できるほど人に迷惑をかける行為である。占いとかキャバクラとか。けれど、服飾は、「自己承認」と「他者へ承認を求めること」が同時にできるツールであるし、また後者については(意中の人を除いて)どうでもよかったりもする。
2010-12-18 21:24:56だからおしゃれな人がいても全然迷惑でない。「俺を認めろ!!」と言わんばかりの目立つ格好の人がいても、全然迷惑でない。人の勝手である。対価もなしにそれを個人的に求められたら迷惑だけど、基本的に服装というのは、誰からも見える開かれたものだから押し付けがましくない。
2010-12-18 21:25:29ととじゅにくんは、お化粧の話やめちゃったの?世界中があなたの到来を待ちわびているはずよ。 @totojuni_sanche
2010-12-18 21:32:43じゃあいいやRT @totojuni_sanche: 今洗濯掃除して、そのあとお仕事なのでつw 世界中には申し訳ないけれどww @mermo72
2010-12-18 21:38:58ひええ、1名マヌケな子が混じってる!RT @totojuni_sanche: 「コスメの語源から、レヴィナスの存在論批判=他者の哲学へ」をトゥギャりました。 http://bit.ly/fnekAm
2010-12-19 23:17:08化粧という行為には、二つの側面があるんじゃないか。一つは、鏡を覗き込むことで、他者の視線と同一化した自らの眼差しにより自己を眺め、自己造形する面。この意味での化粧は、想像上の自己に自らを近づけようと腐心することで、「非造形物としての素っぴん」の忘却へと向かおうとする行為、となる。
2010-12-20 00:11:27化粧のもう一つの側面は、身体の機微、繊維構造、或いは地理的起伏といったものについての感性的知識を収集し、ミクロレベルの知覚から逆に身体的な全体性を織り上げていく側面。この面では、手先(或いは筆先やファンデのスポンジ)と皮膚は、一つの身体の中で「触る者/触られる者」として相対する。
2010-12-20 00:34:55基礎化粧品とメイキャップ化粧品のレイヤーの違いは、前述の化粧の二つの側面を大雑把に反映している気がする。勿論、基礎化粧品とメイキャップ化粧品のそれぞれで、第一の側面と第二の側面は併存するのだけれど。
2010-12-20 02:16:37【メモ】 コスメ・ファッション身体論に「カセクシス」という用語が使えるかと思って調べていたら、心理学分野で既に「身体カセクシス」という用例があるらしい。ウェブ上からの拾い読み論文。 → http://bit.ly/e2mdx9
2010-12-20 05:13:37化粧という行為の二重性を相変わらず考えている。いつも思うのは、化粧をしない人よりも、化粧をする人やそれにこだわる人の方が、自らの体質についてより具体的に感知しているということ。
2010-12-20 15:27:34