人間の条件:ヒトは人間に生まれない。
@yutakioka 共産主義も実現しなかったが全体主義もやはり同様に実現された試しはないからこゆのは運動のベクトルなんでしょね。んで、国家てのは結局全体主義的な傾向へと向かうのは致し方ないから構成する市民が監視しなきゃならんのに民主主義だから大丈夫と胡座かいているから怖い。
2010-12-22 17:08:59@ynabe39 そうですね~重要な研究でしたよねカントの認識図式に対する強烈な批判となりましたよね~。ここで理性の根拠である知覚に関しても不確実性が顕になりましたよね。RT同じころ心理学者たちは錯視の研究によって理性の根拠となる知覚も世界の正確な反映ではないと示し始めたわけです
2010-12-22 17:11:22@bornekiller ですね最悪の全体主義体制が当時最も民主的なワイマール憲法下のドイツで生まれたことは忘れてはなりませんね。RTんで、国家てのは結局全体主義的な傾向へと向かうのは致し方ないから構成する市民が監視しなきゃならんのに民主主義だから大丈夫と胡座かいているから怖い。
2010-12-22 17:13:50@yutakioka フロイト以前の哲学者もたいがいは出発点は人間は動物から如何に至るかてことをも網羅して思索したのでありましょう。もっと昔からだと人間を人間たらしめているその本質とは何かと。んで行き着いたのが言語。つまり模倣なのかなと。
2010-12-22 17:14:22@bornekiller ですね~、しかし、言語が人間たらしめている本質ともいえなそうです。例えば、チンパンジーも言語を理解しますし、模倣も行います。RTもっと昔からだと人間を人間たらしめているその本質とは何かと。んで行き着いたのが言語。つまり模倣なのかなと。
2010-12-22 17:16:04@yutakioka フロイトさん。すごい。そうした理性観はアプローチの仕方はちがいますが、ヒュームにもみられますね。奴隷テーゼとか。
2010-12-22 17:18:34@bornekiller それで模倣に最も関連が深いと言われるF5いわゆるミラーニューロンの存在が初めて確認されたのは人間ではなくてブタオザルにおいてですね。(Ferrari et.,al 2005)ですからこの言語を含むミラーシステムも人間の本質とは言えないと思います。
2010-12-22 17:21:24@SARUBOBOorLIEK ええ、当然そうなりますね。(笑)RTと、おもったらヒュームの影響受けたハイエクももちろん引きますよね(笑)
2010-12-22 17:22:24では人間にはデカルトが想定しているような良識が生まれつき備わっていると考えられるかというとこれもヒュームが哲学的には否定していたわけであるが、残念ながらこのデカルトの理論に対する否定は第二次世界大戦によって実証されてしまった。
2010-12-22 17:27:14つまり、人間はいくらでも残酷になりうるということ、ある特殊な状況さえ与えられれば。この問題に真摯に取り組んだのがハンナ・アーレントやレヴィナスであったわけであるが、これまた実験で示したのが世に言うアイヒマン実験ミルグリム・スタデーズであった。
2010-12-22 17:29:25@yutakioka えーと、模倣は生物共通と言ってほぼ問題ないんじゃないかと。ただ模倣が文化の原動力なんですね。そして人と人を結びつけているのもそゆ家族だったり地縁血縁に依る文化圏だったり。皮肉な話が全体を結びつけてるのは本来国家じゃないてことで。
2010-12-22 17:35:35@bornekiller そうですね~、社会知の集積可能性と保存性というのが大きな違いですね。それが文化構築を可能にするんですね。RTただ人間は文字に残して世代を超えちゃいますからね。だから哲学も可能と。
2010-12-22 17:38:44確かにある意味麻薬か RT @yutakioka: ミルグリム・スタデーズはその手法も結果同様取り上げられることが多いが、この結論は結局良心と言うものの存在も実際は脆弱なものでしかないということで、この点でも人間と動物を分けることはできないの。権威主義とは麻薬なのだ。E・フロムや
2010-12-22 17:39:01@bornekiller はい、私もそう考えています。ですから、私にとっては、国民国家という概念自体があまり重要ではないんです。RTそして人と人を結びつけているのもそゆ家族だったり地縁血縁に依る文化圏だったり。皮肉な話が全体を結びつけてるのは本来国家じゃないてことで。
2010-12-22 17:39:51ミルグリム・スタデーズはその手法も結果同様取り上げられることが多いが、この結論は結局良心と言うものの存在も実際は脆弱なものでしかないということで、この点でも人間と動物を分けることはできない。権威主義とは麻薬なのだ。E・フロムやコダージュの分権威主義についての分析も興味深い
2010-12-22 17:40:33ニーチェは人と動物を区別しようとしたのだろうか?より動物的である事を賛美してた気もする。RT @yutakioka …実際には超人へと至る人間が少ないことが動物と人間の違いを不明瞭にしているということが言えるだろう。
2010-12-22 17:43:02と考えると人間の条件は基本的には、文化の存在というもの自体に根ざしているのではなくて、文化を構成する、自由な知恵の集積形態でかつそれが自生的な秩序をなすものであることが可能になる個性あるいは自由を個人が意識しそれを行使する機会が与えられている機会があるということだと思う。
2010-12-22 17:44:45@yutakioka 模倣を統制制御するものが権威ですね。だからオリジナルを権威付ければよかったのですがオリジナルから権威をシフトさせるて方法論まで編み出している。そこで権威主義が批判されるようになると。本末転倒な話だが絶えず自己矛盾と葛藤しているわけなのでしょう。
2010-12-22 17:45:17@pachitaro 動物的であることの賛美ではなくて、キリスト教的な価値体系に基ずく道徳観念を批判していた、と考える方が正確でしょうね。RTニーチェは人と動物を区別しようとしたのだろうか?より動物的である事を賛美してた気もする。
2010-12-22 17:46:11@yutakioka 生まれたときからある文化には根ざしているでしょう。だから文化の違いから差異が生じるしそれは文化の違いによるという言説にも一定の説得力を得るに至る。しかしそこが重要なのではなく我々が固定的に呼ぶ文化というものは存在していないで絶えず運動しているてこと。
2010-12-22 17:48:46@yutakioka つまりローマは滅亡して初めて冷静に客観的に議論分析できる対象になり得るわけで、現在進行形の我々が住む世界を明瞭に記述し完結した歴史としては決して語り得ないという現実に直面しつつもそれに果敢にチャレンジしちゃうと。
2010-12-22 17:49:58@pachitaro ツァラトウストラにおいて、ニーチェはそのキリスト教的道徳への盲信による非自由性=非人間性を非難しております。そして人間を動物と超人への綱渡りと定義しています。これを素直に取ると、超人に至り「力への意思」を自己超克することが真の人間性の条件と考えられます。
2010-12-22 17:50:53@bornekiller そうですね、文化は固定的ではありえませんね。RTしかしそこが重要なのではなく我々が固定的に呼ぶ文化というものは存在していないで絶えず運動しているてこと。
2010-12-22 17:52:09