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@hatsushi_Chuya @MontyGlycon ヤハウェにとって代わったわけではないでしょう。私は新約でイエスが天と地の一切の権能を授かっていると言ったことを言いました。一切の権能を授かった方が全能でないとはどういう意味でしょうか?
2015-05-05 08:44:51@hatsushi_Chuya @MontyGlycon アリウス派的に解釈すればイエスが天と地の一切の権能を持ったということは今は全能者が2人ということですよね まあ、全能者は唯一だとは書いてなかったような気もする(記憶あやふや)だからアリウス派的解釈もセーフかもしれないけど
2015-05-05 08:45:59@hatsushi_Chuya @MontyGlycon そして、メシアにשדיの称号が付されていないのは確かですが、ヤハウェもまたגבורの称号を持ちます。つまりגבורはשדיに対して大きく劣るものではないでしょう。
2015-05-05 08:46:55@makoJOSIAH 取って代わったではなく、子がやがて成長して父のようになるのと同じく、会社に例えるなら父は自分に等しくなるよう息子に力を与えて社長の座を渡し、自身は会長になったということですかと尋ねたのです。
2015-05-05 08:57:47@makoJOSIAH @MontyGlycon ええ、表現としてgibborという言葉は唯一なる神にも使われていますけど、問題は朽ちる人間にも「gibbor」や「el」といった単語が用いられているということです。שַׁדָּיは、人間にも使われていますかね?
2015-05-05 09:08:49@hatsushi_Chuya アリウス派は二神論じゃなかったらなんなのですか。アリウス派的には神でない存在に、最初的存在、最後的存在、創造主、ヤハウェのみが唯一と言われた救世主の称号、全権能を持つ者、'אל神θεος'という称号、そして"唯一の主"としての立場を帰しています。
2015-05-05 09:39:40@makoJOSIAH 一神教であるユダヤ教でも、カバラーの世界観は汎神論とかに近いですが、汎神論とか多神教みたいな部分があることと、汎神論や多神教であることは違くないですか?「救世主」の称号について何をおっしゃっているのか知りませんが、唯一の主というのは詩篇でダビデが述べた
2015-05-05 09:52:03@makoJOSIAH 私の主(adon...単数形、メシア)のことを指しているのでしょう。メシアはたしかに唯一の神が持つ特性を、全て宿しているかはさておき、ほとんど託されているのは確かでしょう。従属説っぽい(?)言い方ですが。
2015-05-05 10:03:24@hatsushi_Chuya すみません、「私の主のことを指しているのでしょう。」とはどのことについて言っていますか? いいですか、イエスが唯一神の特性のほぼ全てを備えているというだけの問題ではありません。
2015-05-05 10:18:05@hatsushi_Chuya 創造主がイエスだと言っているのです。唯一の主がイエスだと言っているのです。最も初めの者がイエスだと言っているのです。最も終わりの者がイエスだと言っているのです。これらの称号を聖書は二つの存在に付していますが、
2015-05-05 10:18:36コリント人への第一の手紙 8:6 わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。
2010-01-09 04:39:43コロサイ人への手紙 1:16 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
2012-03-10 02:52:38@hatsushi_Chuya どうかんがえても、二つの全く別な存在がこれらの称号を背負うのはおかしい。どれも無二である存在のための称号でしょう?
2015-05-05 10:18:54@hatsushi_Chuya それとも、これらはヤハウェについては全て正しく、イエスについては全て何かしらの比喩なのでしょうか?比喩って言ったて、それはつまり「神に無限に近い存在、ほぼ神」を示唆する比喩ですよね。何故そんな危ういことをパウロやヨハネはしたのですか?
2015-05-05 10:19:11@hatsushi_Chuya しかし我らには唯一の神εις θεοςである父があり、万物が彼から出て、我々は彼のもとへ。 また唯一の主εις κυριοςであるイエス・キリストがあり、万物が彼によって存在し、我々も彼によって。 第一コリント8
2015-05-05 10:30:59@hatsushi_Chuya 話を逸らさないでください。 汎神論や多神教的な部分があることと、汎神論や多神教であることは違いますが、それは一般論ですね。この、「イエスがほぼ神であるが父とは別の存在である」という問題をアリウス派はどう捉えるのですか?
2015-05-05 10:33:21@hatsushi_Chuya 以下は私見です。 唯一の神と切っても切り離せないのがロゴスでしょう。神の神性はロゴス(言、理)を通して現れる。ロゴスがないならば神は神と呼べるかは難しく、神がないならばロゴスはない。
2015-05-05 10:37:43@hatsushi_Chuya これは聖霊に置き換えるとわかりやすくて、生命が先か、息吹が先かと言えば、確かに根幹は生命ではあるが、どちらが先ということはない。生命がある限り息吹は存在し、生命が存在しなければ息吹は存在しない。しかし息吹が存在しないならば生命もまた存在しない。
2015-05-05 10:38:09主はわが主に言われる、「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。 主はあなたの力あるつえをシオンから出される。あなたはもろもろの敵のなかで治めよ。 (詩篇 110篇 1~2節)
2013-12-27 06:00:52@makoJOSIAH アリウスの考えは、「子は他のすべてが創造される前に立てられ、創造された他のすべてよりも偉大で、自分以外の万物の創造者であることに変わりはないものの、父の方が先立っているので"父と同じく"永遠に存在したわけではなかった。三つの位格がそれぞれ独立した
2015-05-05 10:52:19@makoJOSIAH 全能の神であるとか、神の属性のすべてを持ち合わせているということを否定。」つまり、父と子をイコールとして捉えなくても意味が通ると考えています。
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