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MontyGlycon0
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@hatsushi_Chuya 「初めに神が天と地を創造した」は、「初めに神がイエスに天と地を創造させた」の比喩ということですね?確かに言葉を用いた創造でした。無言で何も活動していなかった神が言葉を持った瞬間こそが、イエスが創造された瞬間ということでしょうか。とても深いですね。
2015-05-05 11:07:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@hatsushi_Chuya では、正統教義のどこがダメなのでしょうか。イエスさまが私と父は一つだと言い、初代教会は父と子と聖霊の名でバプテスマを授けるべきところをイエスの名で授けていて、ヤハウェという言葉はすべてイエスと同じ"主κυριος"という言葉が使われています。
2015-05-05 11:08:07![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@hatsushi_Chuya 三位一体はイエスとヤハウェが同一の存在だとは述べていません。別の神格であることが主張の半分、それでいて完全な一致を保っていることが主張の半分です。
2015-05-05 11:08:22![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@hatsushi_Chuya また以下は私見です。 人間は男と女が一体となると書いてあり、霊肉の結合があります。でも人間は不完全ですから完全な一致はない。しかしイエスと神は完全な存在ですし完全な霊の結合があってもおかしくないと思います。両者は別の神格ですが完全に一体なのです。
2015-05-05 11:10:44![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@makoJOSIAH なるほど。「夫婦は二人の別人格の人間からなるのだけれども一体である」とはよく言いますが、逆説的な表現ながら理解可能です。では、夫一人に妻が二人いるからといって三位一体と言い出したら、神秘というよりも詭弁にしか聞こえません。
2015-05-05 12:24:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@makoJOSIAH 加えて聖霊が全能なのかも謎で、例えば箴言の中にはあたかも「足」という主語が悪事へ走ったりするというようなヘブライ語的な表現が見向けられますが、足自体が勝手に悪さをするわけがないものの、何かをする時には足もそれに関わってはいるので、自分という一人の人間がした
2015-05-05 12:38:03![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@makoJOSIAH 事に関して「足」がしたとも言えます(特に僕が陸上選手とかなら)。でもだからと言って、僕という一人の人間(ネフェシュ)と「足」や「靴」を同一視しつつ三つで一つの三位一体であるとするのは、ないですよ。
2015-05-05 12:44:26![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@makoJOSIAH 子であって双子ではないので、「子は父のなさることを見なければ何事もできない」とヨハネによる福音書にあるように、やはり父親の存在が先立っていると思います。持っていない属性としてあげると、まず人は全能者を見たら生きていられないと聖書にあるものの、使徒たちは復活
2015-05-05 13:17:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@makoJOSIAH して天地一切の権能を得たイエスを見ても死にませんでした。神に近いとはいえ、何かしらの全能者が持つ特性を持ち合わせていない可能性はあるでしょう。ギュリオスは、ヘブライ語のアドン、アドニから来ていますが、ご存知の通り「雇い主」にもその言葉は使われます。
2015-05-05 13:29:26![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@makoJOSIAH だから僕がmakoさんの雇い主なら、僕はmakoさんのアドニ(我が主)であり、キュリオスということになりますし、サラがアブラハムを主人(アドニ)と呼んだように誰かと結婚したなら妻に対してはアドニであり、キュリオスです。
2015-05-05 13:38:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@hatsushi_Chuya 聖霊を冒涜するならばこの世でも後の世でもゆるされることはない。 聖霊さまに関しての情報は少ないので、確かに私もわからないことが多いですが、新約聖書を自然に読む限りそれは人格を持つ方だと思います。
2015-05-06 09:41:04![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@makoJOSIAH 父と子を冒涜しても許されるが聖霊を冒涜するな、というのは良心は誰にでも与えられているので異邦人でもそれに反することをするなという意味で、聖霊を父と等しく崇めよという意味ではないです。(律法によれば、神への冒涜は死刑ですが...。)
2015-05-06 09:47:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@hatsushi_Chuya 私も本質的には父親が先立つと思います。(詩編2)人格と生命が言葉と息吹に先立つように。しかしヤハウェと別の神格を持った神の言葉と神の息吹を、他の被造物と同じような枠組みで捉えるのはどうかと思います。
2015-05-06 09:52:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@makoJOSIAH なら夫婦よりは、親子で例えた方がいいですね。パウロ流に言うと、アダムがしたことで全人類が罪を犯したことになり、アブラハムが什一したからレビも什一したことになるなら、makoさんや僕も生まれる前に禁断の果実を食べたり、人を殺したってことですが、
2015-05-06 10:06:39![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@makoJOSIAH だからと言って、僕らはアダムや先祖たちと○○位一体ではないですよ。ただ、親や先祖のしたことは僕たちもしたことになる(らしい)というだけの話で。アブラハムへの祝福や、ノアの呪いがあるのもそのせいでしょうかね。
2015-05-06 10:08:58