「男を間引きしろ」とヘイトスピーチの自由について(清義明さんとの議論)
- BlauerSeelowe
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ですから、最初の段階でどういうふうに例が悪いのか、お示しくださいと返しています。 twitter.com/masterlow/stat…
2015-05-30 06:47:38@dokuninjin_blue あなたは満場の劇場で火事だと言っても「表現の自由」だと書きましたよね?それは威力業務だと自分は指摘した。そして例が悪いと。そろそろ気づいてください(笑)
2015-05-30 06:47:51そんなことは書いていません。よく読んでください。「私たちの憲法は、満場の劇場で火事だと叫ぶ権利を擁護しません。」と言っています。 twitter.com/masterlow/stat…
2015-05-30 06:49:04@dokuninjin_blue 自分の意見を説明するのに極論めいた話を持ち出して、それはもちろんある局面では妥当しないって、なら最初から書きなさいと。
2015-05-30 06:50:02ですから、最初から「表現の自由は無制限ではない」と言っています。ただ、危険が明白ではなく、誰かの個別具体的な人権を侵害しない場合については、どのように誤った言明であっても自由であるべきだ、と私は主張しているのです。 twitter.com/masterlow/stat…
2015-05-30 06:52:17ネットでそれを書くことが直ちに誰かの権利を侵害する、明白で差し迫った脅威がある場合については、該当すると思います。 twitter.com/masterlow/stat…
2015-05-30 06:53:17京都の朝鮮学校の事件のように、それが行われることで直接的に誰かの権利を侵害する場合については、表現の自由は制限されるべきだと言えるでしょう。しかし、「男を間引きしろ」「○○人を断種しろ」と単に書くことは自由だと思います。 twitter.com/masterlow/stat…
2015-05-30 06:55:03@dokuninjin_blue この言論空間に、王様の耳はロバの耳とでも洞穴に言うのでもなければ、どこに具体的に個別具体的な人権を侵害しないところがあるんですか?
2015-05-30 06:54:33ツイッターという洞穴でつぶやき、芦や森の木々がそれをRTすることは、誰の権利も侵害しないと思います。 twitter.com/masterlow/stat…
2015-05-30 06:57:12王様の耳はロバの耳
原典では、王の耳がロバの耳に変わったことを知ってしまった理髪師が、口どめをされ、苦しさのために森の中の葦に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫ぶと、葦がその言葉を言うようになる
ツイッターで「男は間引きしろ」とフェミニストがつぶやくような場合です。 twitter.com/masterlow/stat…
2015-05-30 06:58:06ツイッターでもパブリッシュされた何らかの書籍類でもかまいません。 twitter.com/masterlow/stat…
2015-05-30 06:58:43@dokuninjin_blue 実際にはネットも含めた言論空間の中で、誰かの権利を侵害しなかったり、脅威を与えない局面なんかほとんど存在しないんですよ。もともと言論とはそういうものですから。だから現実的ではない極論と指摘してます。
2015-05-30 06:58:09@dokuninjin_blue 例えば自分がユダヤ人だとして、それをジェノサイドせよという意見は扇動ではなく、言論として自由だと?それは遅れてませんか?または役に立たない原理と主義では?
2015-05-30 07:00:26@dokuninjin_blue それは確かに現実として考えられませんから。では、×××人を根絶やしにしろというのも、誰にも脅威を与えないとでも?
2015-05-30 07:01:38「男を間引きしろ」というフェミニストの言葉を見て、確かに嫌悪感や恐怖を感じる人はいるかもしれませんが、それは「明白かつ現在」の意味で差し迫った脅威ではない。私の知る男性や、私のこどもに実際に危害を加える予告ではありませんから。 twitter.com/masterlow/stat…
2015-05-30 07:02:19.@masterlow そしてそうでない表現については、常に自由であるべきだというのが私の主張です。あらゆる言論は確かに誰かに不快感や恐怖を与える危険性をはらんでいるが、しかしその危険故に自由を制限するのでは、あまりにも広範かつ恣意的な規制を許してしまう。
2015-05-30 07:03:12.@masterlow それでは、表現の自由という権利の意味がないのです。表現の自由とは、私たちと異なる価値観を有する者の、不快で不当な表現を許容することを意味するのです。そうでなくてはならない。
2015-05-30 07:04:08