夢幻宿せし真珠の調 ─☆ 二日目 現世 ☆─
【曇天に天使】空を望む者と不良天使
──クラリッサ&ベルガルト=アリィゼル
掴みとられた手。 掻き抱かれた肩。 耳元へ落とされた声。 見得ぬ瞳を閉ざす手。 其処に触れる、唇── ──────そして。 世界 は、 《夢》から、 《現》へと。
2015-06-16 00:45:30目覚めるまでの、ほんの、微睡みの時間。 瞼の裏の暗闇を、淡い褐色の瞳で、見詰めながら。 ──” ”を求めたのは、何故だっただろう。 そんな、ことを、考えていた。 命が息吹き。人は希望を抱き。当たり前のように幸福を享受する世界。 そのために、空を、取り戻したい。 と思っていた。
2015-06-16 00:46:07けれども。思えば。 美しい世界とか。 人々の笑顔とか。 遍く幸せとか。 そうしたものは、 飽く迄、絵本の中だけの現実で。 この世界の、真実では、有り得ないのだと、気付いた。 だから。 娘は一度。 ” ”を諦めた、こともあった。
2015-06-16 00:46:12……終わりを自覚したのは、いつだっただろうか。 詳しくは憶えていない。 されどもそう遠い過去の話ではないだろう。 そして、それは、娘にとっては当然の運命であった。 だから娘は当然のようにそれを受け入れるつもりだった。
2015-06-16 00:46:26文明が終末(おわ)るように。 種族が滅亡(おわ)るように。 惑星が終焉(おわ)るように。 此の生命も、死(おわり)を迎える。 ただそれだけのことなのだから、と。 何れは迎えると知っていた死(もの)に。 畏れはなく。 感慨もなく。 けれど。 死(おわり)を間近にして。 娘は。
2015-06-16 00:46:43娘は。 自分の中にまだ燻る、願いに気付いた。 決して叶わないけれど。 それでも願い続けていたものに気付いた。 そう。 あのときから、ずっと、自分は。 ” ”のある、当たり前の、幸せな世界が、見たかったんじゃない。 自分は──、 わたしは──
2015-06-16 00:47:16ほんやりと、光が見える、気がする。 《夢》から《現》へ。 もうすこし、微睡んでいましょう。 きっと、直ぐに。 あの光が、夜を明かしてくれるでしょうから── ──── ──
2015-06-16 00:47:36──『あなたはだれなの?』 「……ああ、そうだ。うるせえな、予定変更だ。進行に支障は無い。……何度も言わせんな、社長命令だ。『医療神(アポローン)』を緊急転送しろ。座標は……。……ああ?ぐずぐずしてんなよ。テメェらの『自我(スキン)』を根こそぎイエダニかドMに書き換えてやろうか」
2015-06-16 12:28:11──『あなたはだれなの?』 キィン──微かに響く、硝子の音色が、『ATパンドラ本社』との、通信の切断を告げる。 「──チッ」 彼女の微睡みが晴れるなら、部屋の隅の薄暗がりから、不機嫌そうな舌打ちが聞こえるだろう。
2015-06-16 12:28:35嗚呼。 だれかの、声が聞こえる。 目覚めなくては。 「……」 古びた机の上に伏した体を。 緩慢に、起こして。 なんだかひどく気怠いような。 そんな風に思いながら。 重たげに、瞼を、上げる。
2015-06-16 20:05:52「──なにを、」 喉から出たのは、まるでノイズが混じったような。 ざらざらとした音、だった。 小さく咳をして。 ゆるく、息を吐き出して。 それから、深く、吸う。 「……何を、怒って、いるの」 ゆっくりと。 注意深く。 言葉を、音にした。
2015-06-16 20:05:55喉から滑り出た音が。 おり重なった骨を介して。 外界と隔てられた空気を通して。 自分の、耳にも、届く。 眩暈がしたような。気がした。 やがて、ゆっくりと。 右の眼が、聞こえた声の主を探そうと、動き。 左の眼は、やはり何も捉えずに。 右の眼に、ただ、無為に追従するだけで。
2015-06-16 20:09:30「ああ……お目覚めかい、クラリッサ」不機嫌そうな声はそのままに、机から身を起こした少女へと。 「気にすんな、『ATパンドラ社(うち)』の造ってる『スキン』が正しく機能してるってだけの話だ。……テメェ、喉どうした?」 歩み寄り、顔を覗き込む。
2015-06-18 08:25:20「ええ、おはよう──喉……?」 娘は、首を傾げる。 青白い指先が自分の喉を確認するように触れた。 「……こういうもの、ではないかしら?」 首を傾げたまま。 不思議そうに答える。
2015-06-18 20:20:33髪は、肌は、色を失い。 瞳は何も映さず。 耳に届く音もわからず。 喉は嗄れ、膚は乾き。 指先は冷たく。 空気も。食物も。少しずつ少しずつ、受け入れられなくなっていく。 縒り合わされた糸がゆっくりと解けるのにも似た。 生命の死(おわり)。
2015-06-18 20:21:03穢れ尽くした世界が。 世界を穢した存在を侵すことを。 誰も、止めることはできない。 此の世界に於いて。 死(それ)は必定であり。 死(それ)はあまりにも早い。 死(それ)は誰にも平等に、忍び寄る。 死(それ)は例外なく、全てを誘う。
2015-06-18 20:21:12三十を超えず、人間の生命は絶える。 『箱庭』に守られても。 厭う者も。受け入れる者も。 逃れ得ない。 例外はない。 ──子を為す前の命とて。 死(おわり)の腕が、自分を捕えようとしていることを。 娘は自覚していて。 だから。 娘にとって、此の変化は。 疑問にすらならない。
2015-06-18 20:22:09「まあ、少なくとも。俺の知ってる『旧人類』の寿命で言やあ、『そういうもん』では、無いな」言いながら、指先に、クラリッサの白髪を、一束絡めて、弄ぶ。……細い、髪だ。 「………。」 無言で。咥えたばかりの煙草を床に捨て、靴底で踏み躙る。次の煙草は──咥えない。
2015-06-18 23:12:47「……契約の話を、するんだったな」 机の上に置かれた、一冊の絵本。無造作に、その表紙をめくれば、擦り切れ、経年により色褪せてなお、『希望』に満ちた、青の色彩が描かれていて。 「何か、聞きたいことはあるか?」 ぱらり。頁をめくる。
2015-06-18 23:13:04指先に白い髪を絡めたならば。 色も力も無くした、髪が一片。 音もなく机に落ちるだろう。 「……そうなのね。みんな、こうだと思っていたわ」 ゆるく首を傾いだまま。 娘は意外そうに、目を瞬かせる。 ゆっくりと床に落ちる煙草を。 其れがついえてゆく様を。 右の眼だけが、追っていた。
2015-06-18 23:52:45頁を繰る手を追うように、また、瞳が動く。 其処に在る青を捉えて。 目を眇め、そして。 そのまま、瞼を伏せる。 「……」 問い掛けに、わずかに俯く。 思い浮かべるのは、極彩色。 そしてそれと対照的な。 感情(いろ)という感情(いろ)を全て、忘れてきたような。 少女の表情。
2015-06-18 23:53:42それを、思い浮かべながら。 「……わたしは。何を、すれば、いいかしら?」 静かに、問う。 光に溢れた世界で。 『生命』に囲まれて。 少女は、何を思ったのだろうか。 そして。 同じ世界で。 自分は、何を、するべきなのだろうか。 何を、差し出せばいいのだろうか。
2015-06-18 23:53:45はらり。机に落ちる、雪のように脆く白い、一片の。 『医療神(アポローン)』の転送はまだなのか。募る苛立ちに、小さく舌打ちを。 「……『死ぬな』。『弊社(うち)』からテメェへの要望は、それだけだ。そして『ベルガルト(おれ)』がテメェに求めるのは、──『生きろ』。それだけだ」
2015-06-19 09:50:51