短歌と俳句のゼロ年代 @RYU_littlesongさん+@k551_jupiterさん

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大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

必ずしも全員にではないけど、歌人が「ゼロ年代」という言葉を使うたびにいらいらする。あんたらわかって言ってるんだよねそれ、みたいな。

2010-12-28 22:16:24
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

そもそもゼロ年代というタームは、セカイ系への言及をそのうちに抱えたものだ。ひとつの作品群であったセカイ系作品に対し、それが生まれた場も含んでなにか言おうとしたときに、ゼロ年代というより大きな括りが必要になった。

2010-12-28 22:21:16
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

つまりもともとサブカルチャの文脈から越境してきたのであり、けれどそうやって短歌の世界に移植される際に、もともともっていた批評用語としての意味を剥ぎ取られて、単なる世代論に零落してしまった。

2010-12-28 22:23:49
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

いや、言葉がほんらい持っていた意味と異なるニュアンスで使われるということそれ自体は、別に構わない。けれど、直近の世界(文芸批評、サブカルチャ批評)で芳醇な蓄積のあったテクニカルタームを、単に「最近の若手」くらいのニュアンスで取り扱ってしまったのには、ちょっおま、と言いたい。

2010-12-28 22:27:38
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

その言葉を使う以上、東浩紀と宇野常寛と佐藤心と元長柾木くらい読んで、セカイ系の代表作とされるいくつかの作品にも目を通したんだろうなと言いたい。少なくとも、普段、言語の歴史的蓄積とかについてうるさい歌壇のご意見番方は。

2010-12-28 22:32:51
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

笹井宏之や斉藤斎藤や永井祐や今橋愛や雪舟えまや堂園昌彦や・・・・・・とかが同じゼロ年代だと?

2010-12-28 22:38:10
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

実のところ、短歌の世界にゼロ年代批評を、もともとあった文脈ごと取り込むことは充分に可能だったはずだ。リアルから一足飛びに永遠性に接続、想像界とリンクする、そのあたりは短歌定型のお得技なのだから。

2010-12-28 22:40:33
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

それが単に、記号化された世界で相対化される主体という素朴なポストモダニズムに貶められ、あつまさえそこから脱却するのに個を強く持てとか言われる始末。

2010-12-28 22:45:27
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

今の自分のテンションをわかりやすく説明しますと、女子大生とかから「あたし最近アニメとかちょーはまっててオタクなんですよー、エバおもしろいですよねー」とか言われたオタクの気分。

2010-12-28 22:46:24
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

アークレポート3号もね、労作だとは思いますよ。がんばったんだね。でも、「特集 ゼロ年代を問い直す」とまで言い切ったんだから、その言葉がどこから出てきたのかってくらいは調べたらいかがか。なんかもう、グーグル先生に聞くだけでだいぶと違ったんじゃないかなって。

2010-12-28 22:56:09
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

いやまあ、歌壇的に「ゼロ年代」って言葉からセカイ系のニュアンスがすっぽり抜け落ちて流通しちゃってる現状、それに乗っかった総集編だってんなら良いですよ。

2010-12-28 22:59:41
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

でも、「ゼロ年代の相聞歌」で「相聞歌は、堂々と詠いあげるべし」なんて総合誌的な上達スローガンの小見出しを付けられたら、あのUFOの夏はなんだったんだとか、ちせーっとか、ちょっと言いたくなるんですよ。あとなにげに選歌も・・・。佐藤弓生と笹井宏之と大滝和子がこれとか、ないわー。

2010-12-28 23:05:07
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

さっきのエヴァの例えはオタクにしかわかりやすくなかったかもしれないので言い直すと、批評の中で「他者」と使ったとき、それがポストモダン的な他者論をまったく踏まえない「顔見知りじゃない他人」程度の意味合いだったら、さすがにツッコミうけるでしょ。他者は普通名詞なのに。

2010-12-28 23:24:41
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

それと同じで、「ゼロ年代」という言葉がセカイ系をめぐる様々な言説とまったく無関係に使われているのは、あの議論の蓄積を無視してんじゃねーよとツッコミが入るべきなのですよ。

2010-12-28 23:28:53
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

なるほど…歌壇では「セカイ系」アニメ・マンガと切り離された形で「ゼロ年代」がタームとして使われる傾向にある、という@RYU_littlesongさんの指摘、面白いですね。それは俳壇も同様かもしれない。

2010-12-28 23:41:51
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

俳句関係では、「ゼロ年代」は2000年以降に活躍し始めた人々、というニュアンスで流通する傾向にあるが、この語が使用され始めたサブカル批評や思想関係では、(程度の差は大きいとしても)作品及び言説の蓄積を踏まえた上で用いられている、というのはあるかもしれない。

2010-12-28 23:47:40
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

@k551_jupiter 俳句で世代論として使われるのは、まあ分かる気もするんですよ。「中間項をすっとばした、個人と世界の接続。あと美少女戦う」って文脈を俳句批評に含むのは、ちょっと、その、そこは俳句の狙うところではないかなあ、と。でも短歌は・・・短歌は・・・。

2010-12-28 23:51:19
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

@RYU_littlesong なるほど、確かに俳句は狙うところが違うかもしれない(短すぎるし…)。その点、俳句と短歌は長短以上に、狙うポイントが異なるのかもしれませんね。だからこそ、「でも短歌は・・・短歌は・・・」というところの愛憎半ばな感は、なるほどと思いましたw

2010-12-29 00:00:13
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

「セカイ系」の簡単な定義を、@RYU_littlesong さんが簡潔にまとめられたように「中間項をすっとばした、個人と世界の接続。あと美少女戦う」とすれば…現在の俳句で、これに相応する作品はあるのだろうか。難しいかな…特に「美少女戦う」はハードルが高すぎるかもww

2010-12-29 00:08:06
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

@k551_jupiter 美少女戦うはちょっといいすぎたというか、短歌でもあんまり・・・・・・。しいて言うなら吉岡太朗「プログラムは更新されて君は消える 風鈴の向こうに広がった夏」「すぐ花を殺す左手 君なんて元からいないと先生は言う」あたりがそれっぽいけどたぶんバイアス。

2010-12-29 00:14:58
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

「もう十五年むかしの九十年代はエヴァさえあればよからんと思う(田中濯)」について、栞で小池光が女優のエヴァ・ガードナーかエヴァ・ブラウンかと長々と推理してるんだけど誰も教えないのか、っていうか検索したって先生どこのエンジン使ったんですかって素直に謎。

2010-12-29 00:16:36
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

@RYU_littlesong これ、面白いですね(バイアスとはいえ)。そうか、韻文だから、「美少女戦う」の描写法が散文と違うのか。→吉岡太朗「プログラムは更新されて君は消える 風鈴の向こうに広がった夏」「すぐ花を殺す左手 君なんて元からいないと先生は言う」。

2010-12-29 00:22:48
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

うーん。「エヴァ」の意味が、「エヴァ・ガードナー」か「エヴァ・ブラウン」…ご本人はもうしょうがないとしても、編集者や関係者の方が気づいても良かったかも。でも、これはあまり笑えないですね。

2010-12-29 00:24:55
大丈夫だ心配するな堂々としていればいい @RYU_littlesong

@k551_jupiter ちなみに「すぐ花を殺す左手 君なんて元からいないと先生は言う」含む連作が新人賞とったとき、審査員の佐々木幸綱は「手がバルタン星人みたいなハサミになってて花が切れちゃう」という読みを展開し、個人的には伝説の誤読だと思ってるんですけど、最近はアリかもと。

2010-12-29 00:27:09
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

俳句関係でも、よくありますよ。他のジャンルでは当たり前で、むしろ類型的なのに、俳句でそれを応用すると、「新しい」と賞賛されてしまうことが…。俳句の中でもよくあることで、現代俳人の方が正岡子規や芭蕉のことを評論的に書かれた際、「それはちょっと…」という部分が多かったり。

2010-12-29 00:28:04