#珈琲咖啡探索隊「珈琲」と「咖啡」の差は19世紀以前のどこで生まれたか? 日本語と漢語のそれぞれの展開をdigる

※注意(a) このまとめのダイジェスト版ができました。(2015.08.29)大まかな経緯・成果のみを確認したい方は先にこちらを御覧ください。(@ffi さんによるまとめです) http://togetter.com/li/866844 ※注意(b) 上記のダイジェスト版を踏まえた上で、このまとめ本編を読む場合、Autopager等のアドオンをブラウザに埋め込むことを強く推奨します。(Autopager系の機能をご存じない方はこちら等 http://wayohoo.com/google-chrome/extensions/productivity/autopager-chrome.html ご参照ください) 続きを読む
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@ttt_cellule 1時間は掛けて良かったがこれ以上はまかりならん! (英語の学習時間が中国語復習にぶっとんだぜ!

2015-08-02 22:16:36
白江幸司 @ttt_cellule

@tricken ちょうゆるい宿題として調査任務を引き継ごう

2015-08-02 22:18:57
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@ttt_cellule たぶん「19世紀幕末までの蘭学者・漢学者・儒学者」等の「咖啡」言及を探ることによって達成されそうだが、さてデジタルライブラリでもヒットするかなあ。(と仮説だけ提示しておわる)。青空文庫では漱石より遡るのつらそう。

2015-08-02 22:21:26
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中国語の咖啡的历史について調べている間に元代中国をを舞台にした『奇皇后』最終回が終わってしまっていた。

2015-08-02 22:23:46
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@ttt_cellule とりあえず宇田川榕菴が“本当は”どう漢字で書いていたか検証するのが第一関門だな

2015-08-02 22:24:45
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国立国会図書館デジタルコレクションで「宇田川榕菴」で検索。

2015-08-02 22:28:01
白江幸司 @ttt_cellule

@tricken ciniiで珈琲検索したら1890年代の薬学系ジャーナルで使われてたから(コーヒーに含有する物質云々)、漱石活躍より前に日本で標準語として定着してそう

2015-08-02 22:31:10
白江幸司 @ttt_cellule

@tricken 宇田川榕菴で検索してもタイトル見るかぎり化学系の掘り下げが多いようね

2015-08-02 22:34:27
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宇田川榕菴周りは、宇田川玄真・シーボルト・緒方洪庵等の幕末でも結構有名な人が系譜として整理されているようだし、18c〜19cの江戸末期の蘭学が近代自然科学系日本語に与えた影響は結構でかそうだな。ラボアジエの化学理論の翻訳のかなりの部分を宇田川榕菴の註釈が担っているっぽい。

2015-08-02 22:36:19
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とりあえず「岡山藩の19世紀蘭学はアツかった」ということがわかった。

2015-08-02 22:38:51
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原本ないらしいな>宇田川榕菴『哥非乙説』。文化13年(1816)に本当に書かれたかどうかも、ややもすると伝説案件っぽい。で、ここで2時間前にヒットしたコーヒー在野研究サイトに舞い戻るわけか。y-21gp.com/coffee/STORY/s…

2015-08-02 22:43:24
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@tricken 『ケンプェル江戸参府紀行』(元禄3年・1690年) 『ツンベルク江戸参府紀行』(安永5年・1776年) 『フィッセル江戸参府紀行』(文政5年・1822年) 『シーボルト江戸参府紀行』(文政9年・1826年) を調べた人がいるので、とりあえず見てみよう。

2015-08-02 22:43:51
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お、宇田川榕菴の自筆メモに「エンゲルセ コッヒー」という記述があったらしい。津山洋学資料館のひとの〈図書館〉技能が成功したんだな。y-21gp.com/coffee/STORY/s…

2015-08-02 22:47:47
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幕末〜明治初期のコーヒー受容に関して、あまりに岡山県関係者が仕事している件について。

2015-08-02 22:50:09
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エスペラント語の集いが大正時代の岡山県のカフェーで起きていた。

2015-08-02 22:51:56
白江幸司 @ttt_cellule

@tricken 後年引かれるのは蘭和対訳辞書にて珈琲と記した件だろうと思う tsuyama-yougaku.jp/Vol19.html

2015-08-02 22:52:27
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帝都のメニューではないが、昭和07年の岡山県のカフェーのメニューの写しがあった。y-21gp.com/coffee/STORY/s…

2015-08-02 22:52:33
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(1) 18世紀にはすでにオランダ人が長崎・江戸にコーヒー豆らしきものを持ち込んでいた (2) 宇田川一門の誰かが江戸に訪れてコーヒーを飲んだ (3) 化学の蘭学訳で有名な宇田川榕菴が19歳頃にオランダの百科事典のうちコーヒーの項目を翻訳 まではカタい。

2015-08-02 22:57:21
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@tricken で、(4) 蘭和辞典編纂において誰かが「珈琲」という当て字を入れた (が、これが本当に宇田川榕菴かどうかは疑問が残る)ということ。さらに、この当て字がどこから来たのか怪しい。そこで(5) 明清時代に「コーヒー」を訳していた足跡は辿れない という問題が出てくる。

2015-08-02 22:59:21
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@tricken 仮説は以下: (a) 本当に日本と中国で別個に当て字が行われた (b) 幕末の蘭和辞典が清末の翻訳に影響を与えたが「珈琲」から「咖啡」に書き換えた形で普及した (c) もともと(元-明-)清代に「咖啡」という当て字があり、19世紀前半の蘭学者が参考にした

2015-08-02 23:01:36
白江幸司 @ttt_cellule

@tricken ウェブ記事だと、咖啡表記の発案も宇田川で、中国語ではこちらを採用したというのもあったがそれだと音の類似まで宇田川が考えていたことになるし疑わしい。咖啡と珈琲、いずれが先にあったのかわかんないな

2015-08-02 23:02:04
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@ttt_cellule 日本語文化圏だと18世紀後半まで遡れ、漢語文化圏だと(※謎だけど)元〜清のどこかで音写された、となる。ただ特定するためには「カレー」が咖喱と書かれる背景となる漢語の音写規則やその音写元から考えないといけない。ピンインの発明もWW2終結後だし。

2015-08-02 23:06:03
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