Lot.n歴史カフェ「督乗丸漂流 国境なき海の男たち」

Lot.n(ロットン:沼津市上土町)で毎月開催している歴史カフェ。 江戸時代、尾張と伊豆の船乗りたちをのせた督乗丸。 彼らは冬の暴風に巻き込まれ、太平洋を漂い、遂にはアメリカ大陸にまで到達した。 彼らの一年半にも及んだ漂流の苦闘と、帰国に便宜を図ったイギリス人とロシア人の船乗りたちの人道精神の道のりを語ります。 若干間違ってるとこもあるかもしれないけど、そこはたぶん私の聞き間違い。
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Moka Hirata @mokaaan

今日の歴史カフェは引き続き漂流がテーマ。「督乗丸漂流 国境なき海の男たち」っていうタイトルでやるよん♪ #Lot.n #歴史カフェ

2015-07-07 18:09:34
Moka Hirata @mokaaan

督乗丸がアメリカまで流されちゃったお話だよ~。督乗丸って、変換候補にないんだねぇ~ #Lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:42:22
千石船(弁才船)

督乗丸は、1200石(約120トン)14人乗りの廻船。 尾張藩の小嶋屋庄右衛門が所有していた。

Moka Hirata @mokaaan

遠州灘、駿河湾が海難事故多発地帯だったんだね #Lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:43:31
Moka Hirata @mokaaan

ボルネオ、フィリピンなんかの東南アジアやオセアニア、かたや北方はアリューシャン、カムチャツカ、南は伊豆諸島なんかの無人島、そして東はアメリカ大陸まで流されちゃうんだ! #Lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:45:10
Moka Hirata @mokaaan

今回の督乗丸は、太平洋を漂うこと484日。mjd #Lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:45:58
Moka Hirata @mokaaan

最近じゃ2012年に、ホセ・サルバドール・アルバレンゴさんがメキシコから401日12500キロを漂流したりとか、現代でも漂流はないわけじゃない。 #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:48:19

【2014年2月3日 AFP】(一部更新)太平洋の島しょ国マーシャル諸島の環礁に漂着したところを先週発見され、太平洋を1年余り漂流していたと語っている男性が3日、マーシャル諸島の首都マジュロ(Majuro)に到着した。伸び放題のひげの男性はコーラを片手に、看護師の手を借りて警察の巡回船から降り立つと、港に詰め掛けた約1000人の見物人に笑顔で手を振ってみせた。

 この男性は、マジュロから船で22時間離れた同国最南のエボン環礁(Ebon Atoll)に先週1月30日、全長7.3メートルのファイバー製ボートで漂着した。救助した人々は当初、男性が16か月にわたり漂流したと考えていたが、男性はその後、2012年12月に中米メキシコを出港したと通訳者に語ったという。これが事実ならば、13か月かけて1万2500キロも漂流したことになる。

 発見当時、男性は下半身にぼろぼろになった下着を着けただけの状態で、意識が混乱していた。英語が話せないため、救出した地元住民らとは絵や身振りなどで意思疎通を図り、カメや鳥、魚などで食いつないでいたと説明した。雨が降らないときはカメの血を飲んでいたという。

 マーシャル諸島政府の通訳を務めるトーマス・アームブラスター(Thomas Armbruster)駐マーシャル諸島米大使は3日、マジュロで男性と面会し、男性が中米エルサルバドル出身で、今回の航海に出るまでメキシコに15年間住んでいたと話していることを明かした。元はエビやサメを獲る漁師だったという。「思ったより健康状態は良いように見えた」と同大使は語った。

 当初この男性の名前はホセ・イバン(Jose Ivan)とされていたが、マーシャル諸島の外務省筋によると、男性は巡回船内で行われた事情聴取でホセ・サルバドール・アルバレンゴ(Jose Salvador Albarengo)と名乗ったという。年齢は37歳で、メキシコ・タパチュラ(Tapachula)で「カモロネラ・デラ・コスタ(Camoronera Dela Costa)」という会社で働いていたと述べているという。

 男性はマジュロ島着後すぐ、検診のため市内の病院に向かった。男性によると、サメ漁のため15~18歳くらいの若者と2人で海に出たが、強風に流されて方角が分からなくなってしまったという。若者は生の鳥の肉を食べようとしなかったため、数週間で死んでしまったという。


Moka Hirata @mokaaan

今回の主人公は重吉。伊勢湾に浮かぶ佐久島に暮らしていた船乗り。15歳から船乗りに。 #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:50:28
リンク Wikipedia 小栗重吉 小栗 重吉(おぐり じゅうきち、天明5年(1785年) - 嘉永6年1月2日(1853年2月9日))は、江戸時代後期の船頭である。史上最も長期にわたって漂流した人物として知られている。 三河国佐久島(現・愛知県西尾市)の百姓・善三郎の次男として誕生。後に尾張国半田村(現愛知県半田市)の百姓・庄兵衛の養子となる。 1813年(文化10年)、重吉は尾張藩の小嶋屋庄右衛門所有の船・督乗丸(約120トン)の船頭として、部下の乗組員13名と共に師崎から江戸へ出航した。しかし江戸から帰還する途中、遠州灘で暴風雨に巻き
Moka Hirata @mokaaan

重吉は船頭(船長)として、督乗丸に乗り組んだ。起き船頭(雇われ船長)だった。 #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:53:38
かるの @karunohumihito

@mokaaan すいません、雇われは沖船頭です。船主兼船頭は直船頭。 高田屋嘉兵衛は後者ですね。

2015-07-08 11:15:45
Moka Hirata @mokaaan

伊勢湾から出港する船は、まず師崎に寄港して積荷を検めることにことになっていた。 #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:51:14
Moka Hirata @mokaaan

ミツカンって、当時からあのロゴでやってたんか!?半田の醸造業は超有名だったらしい。超歴史長いじゃん!江戸前寿司のお酢は半田のお酢が多かったらしい。 #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:55:03
Moka Hirata @mokaaan

江戸湾から出港する船は、浦賀の奉行所で船改めを受ける。 ちなみにペリーが浦賀に来航したのは、奉行所を押さえて、江戸の海上物流を止める目的もあった。シーレーン大事! #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:57:47
Moka Hirata @mokaaan

督乗丸、11/3小浜に上陸して翌日出港。しかし時化にあう。積荷を捨て、帆柱を切り倒した。この作業中に、船員の要吉が落水。 督乗丸は、西に流されていく~、ヤヴァイ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 18:59:32
Moka Hirata @mokaaan

督乗丸は、御前崎沖まで流された後に再び伊豆半島沖に吹き戻される。 #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 19:00:48
Moka Hirata @mokaaan

督乗丸が、伊豆半島沖に到達した時に船員たちから伝馬船を流そうと言われる。伝馬船は上陸するときなどに使う小舟。落水者が出た時に、伝馬船を出して救助することがあった。これが督乗丸に残っているってことは、重吉を救助しなかったという証拠になりかねなかった。 #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 19:02:49
Moka Hirata @mokaaan

落水者は重吉じゃなかった、要吉だ(´・ω・`) #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 19:03:39
Moka Hirata @mokaaan

11/6、利島と新島の沖に到達。錨を落としてアンカリングを試みるも水深がありすぎて失敗(´・ω・`) #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 19:04:32
Moka Hirata @mokaaan

翌日、三宅島に接近。その時に救難信号をだした。旗をあげたりしたみたい。でも時化が激しく、気付かれなかった(´・ω・`) #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 19:05:35
Moka Hirata @mokaaan

11/9、最後の島影を見ることになる。多分、八丈島。これで、督乗丸は太平洋漂流確定。船員は頭を丸めたり、泣き叫んだり、パニックに陥っていた。重吉は方位磁針で現在地をとにかく、現在地を割り出そうと必死になっていた。 #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 19:07:42
Moka Hirata @mokaaan

11/15、大きな鳥が督乗丸に近づいてきて、船の周りを舞った。みんなはこれが神の使いと考えて、祈りを捧げたらしい。 重吉は、船員に残りの米と積荷の大豆を分けて、米に大豆粉をまぜてかさ増してして、できるだけ長く食いつなぐように指示。 #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 19:10:06
Moka Hirata @mokaaan

重吉は夢でらんびき(蒸留装置)の作り方を得て、なんとか真水を得ることができるようになる。。 #lotn #歴史カフェ

2015-07-07 19:11:10
リンク Wikipedia ランビキ ランビキまたは兜釜式焼酎蒸留器(かぶとがま-)は、日本で江戸時代に薬油や酒類などを蒸留するのに用いた器具。「羅牟比岐」、「らむびき」、「蘭引」、「らんびき」とも表記される。 この蒸留器具の原型は、9世紀のイスラム帝国宮廷学者ジャービル・イブン=ハイヤーンが発明したとされるアランビック蒸留器で、「ランビキ」という日本での呼称もこれに由来する。ただし、ヨーロッパで用いられたアランビック蒸留器(英語: Alembic)とは形状が異なり、三段重ねの構造となっているのが特徴である。この蒸留器具の日本への伝達経路や時
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