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スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』読書メモ集

スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』(鈴木晶訳、河出文庫、2015/Slavoj Zizek, The Sublime Object of Ideology, Verso, 1989)の読書メモをまとめました。
人文 哲学 現代思想 ポストモダン ラカン ジジェク 思想 精神分析
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荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
「マルクスとフロイトの解釈技法、より正確にいえば商品の分析と夢の分析とは、根本的に同じものだ。どちらの場合も、肝心なのは、形態の背後に隠されているとされる「内容」の、まったくもって物神的な魅惑の虜になってはならないということだ」(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)。ふーん。
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
イデオロギーはたんなる「誤った意識」、つまり現実の幻覚的表象ではなく、その現実そのものである。それはすでに「イデオロギー的」なのだ。「イデオロギー的」なのは、参加者がその本質を知らないことを前提としているような社会的現実である。byジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
「テレビの中の誰かが面白いことを気のきいたことを言うと、番組自体のサウンドトラックに含まれている笑い声や拍手が聞こえてくる。この笑い声は、古典悲劇におけるコロスとまったく同じ機能を果たしているのだ」(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)。お、これは鋭い。
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
外傷的で統合されえないという法の性格は、権威を隠しているのではまったくなく、権威の決定的条件なのである。byジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
宗教的儀式という機械に服従するとき、われわれはすでに、それとは知らずに信仰をもっている、つまり、われわれの信仰はすでに外的な儀式の中に物質化されている。byジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
夢から覚めたとき、われわれはふつう「あれはただの夢だったのだ」と独り言をいい、それによって、覚醒時の日常的な現実においてはわれわれはその夢の意識にすぎないという事実から目からそらす。byジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
他者の欠点とは、われわれ自身の視点の歪みを客体化したものにすぎないのである。byジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
「すべてを諦めてもいい。すべてを犠牲にしてもいい。犠牲そのもの以外は!」(ジジェク)。いやー、この手の救いに手を伸ばしちゃう作家志望やアーティスト見習いってすごい多いよな。いや、分かるんだけど、同時に見ててつらくもある。 pic.twitter.com/YO1VXRUpPs
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荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
「〈現実界〉は超越的でポジティヴな実体ではない。つまりカントの〈物自体〉のような、到達しえない固い核として象徴的秩序の彼方のどこかに存続しているものではない」(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)。そもそも物自体ってポジティヴな実体なのか? 少なくとも積極的ではない気がする。
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
実体的〈他者〉の不可解性、主体が〈他者〉の核心を見抜くのを妨害している障害は、この〈他者〉それ自体がすでに妨害され、象徴化・象徴的結合に抵抗する「消化できない」岩のまわりに構造化されているという事実の指標なのである。byジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
罪悪感のない主体はない。つまり、主体が自分の内部になる対象のせいで恥ずかしがっているかぎりにおいてのみ、主体は存在する。これが、主体は最初から分割され分裂している、というラカンのテーゼの意味である。byジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
「構造主義」の基本的な姿勢は、想像的な豊かさを象徴的関係のネットワークに還元することである。構造主義の視点が見落としているのは、この形式的構造そのものが、ある命綱によって、根源的に偶然的な物質的要素に繋がれていることである。byジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
主体は、自分のへいつらいはたんなるふりであり、外部の儀式への順応にすぎず、内奥の真摯な確信とはいっさい何の関係もない、というふりをすることもできる。問題は、主体がそうしたふりをするとき、彼自身はすでにその欺瞞の犠牲になっているということだ。byジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』読了。無意識は行為に宿る的な、要するに「アイロニカルな没入」(大澤真幸)的な話は参考になったが、三章から五章まで、つまりラカンを本格的に解説しだすと途端にわけわからん。ラカン要素抜いて欲しい(でもそれってジジェク読んでるって言えるのか?)。
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
ドゥルーズとかルーマンとか、わけわからん連中でも、それなりに付き合おうとは思ってきたが、ラカンだけはどんなに最強でも勉強する気にまったくなれない。この図とかもうどうでもいいだろ。 pic.twitter.com/fJaR0OWyOn
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荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
「われわれは誰しも、官僚制が全能でないことをよく知っているが、それにもかかわらず、官僚的な機械装置を前にしたわれわれの行動は、官僚性は全能だという信念によってすでに規定されている」(ジジェク)。こういう指摘とかハッとするんだがなァ。ラカンじゃなくてヴァレリーとかで行けないのか??
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
@arishima_takeo ところで、ここの「官僚性」ってのは誤変換なんだろうか?
荒木優太(編著が出るよ) @arishima_takeo
ちなみに私はフーコーも訳分かんないとしか思えない輩である。というか、彼が言いたいことに比べ専門用語を沢山使いすぎてんじゃないかって気になってくる。未だにエノンセとアルシーヴがどういう基準で違くて、分割してどういういいことがあるのか分からん。

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