- yutayonemoto
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そういう仕方で精神分析に拘ってしまったのは泥沼だったんじゃないかというように思う。だから、吾妻さんが何とかデリダの可能性の中心を取り出そうとしたとき、最終決定は延期するしかないけど仮止めにしながらそのつどそのつどで訂正していけばいいじゃん、ってしたのは、的確だったかもしれない。
2015-08-23 02:15:27独断論は言えず懐疑主義にも没頭できない、っていうラインで、しらけつつのり、のりつつしらけるをリバイバルしているのがチ葉さん。けっこう郵便をベタに読んでる感じがするけれど。
2015-08-23 02:20:17@hazigin ①ハイデガーは『存在と時間』で《現存在の存在は気遣いだ》と結論します。人間の在り方の様式は自分を気遣うということにある、という意味です。デリダが気遣いをどう扱ったか僕は知らないのですが、「主観性」批判のひとつに入っているかもしれません。
2015-08-23 02:32:15@hazigin フロイトやラカンの精神分析は、フッサール現象学やハイデガー気遣い論より奥に進んでる!と感じたんでしょうね(デリダの奥さんは精神分析家ですし)。他者に責めを負うというデリダの感じは、万人に普遍化できないとは言え、精神分析よりシンプルだと思います。
2015-08-23 02:57:55前期デリダは、フッサールの言語論のなかから「言わんとすること le vouloir-dire」を問題にしていたり、フッサールの現象学を「形而上学的欲望」って言ったりしていて、雑に言うと「それはお前の欲望だろ!」っていう主観性批判が入っていたので、この欲望ってなんぞ?っていう。
2015-08-23 03:04:04@hazigin 外部によって生かされてるって感覚は強くあったと思いますし、他人にまったく興味ないって人ではないですが、最初から最後までデリダはじぶんのことが好きですよね(なのでアレントの思想と相性いいと思います、内側の倫理というか)。ですのでイメージはおっしゃる通りかと。
2015-08-23 03:13:04デリダとアレントの思想は相性がいいので、妄想して見たけど、アレントはデリダみたいな軟派な男は好きじゃないかもしれない(何のはなしw
2015-08-23 03:13:53@hazigin 僕も素人に毛が生えた程度なので過信しない 方がよいですよ、ぜったい笑 デリダは形式的に限界=画定してみせてますが、現実の言語空間は広いなあという気がします。或る経験について人と話していてそれにはまる表現が出たとき、相手の経験をトレースできたときは嬉しいですね。
2015-08-23 03:35:55