音楽家 伊東乾氏は語る;「天才的な音楽の源泉は、熟考にこそある」・・・日本における、『天才モオツアルト像』に見る音楽の貧困
- Eric_Ridel
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@naoshiy 今@FUMIAKI2 さんにご教示頂いてInvention とInnovationの頭韻脚韻と差を思いました。インベンションだとchose à venir カトリック的な待ち望む召命観が見えるのがイノヴェーションには(新教と言わずとも)能動の響きが感ぜられる気が
2011-01-09 16:41:13私が「哲学すること」とその前提としての「哲学者理解」の訓練を受けたのは大学院に入ってからで、私の師には日本人はいません。哲学のテキストを内在的に理解したうえで、それに対する自分の見解が常に求められました。@itokenstein 一緒に面白くテキストの中に分け入れた事 .
2011-01-09 16:43:50@FUMIAKI2 PS またしてもいい加減ですいません。でも Innovation が孕んでいる Va!(aller)という音素はvenirとあまりに好対照と思われるのと、所詮音楽屋なのでVa! va! va!と言われるといざわれら出でゆかんって感じがしちゃうだけでして^^;
2011-01-09 16:46:59@itokenstein 私の方こそ大恥でして簡単に辞書を調べましたら、inはintoの意と取るのも有力だそうです。知らずに少数説を真実と誤認しておりました。申し訳ありません。しかしさきの二つの語の関係は大半興味深いです。
2011-01-09 16:47:52@naoshiy 考えて見ますと僕がオペラや宗教音楽の音素一つ一つにラテンや各国語の記憶を細かく聴き取る事を教えられたのも最初は(駒場にお呼びした)イタリアの作曲家ルイジ・ノーノから、以降も大半が欧州の先達からで、音楽の10年があってから二度目の社会人大学院生で逆輸入した形でした
2011-01-09 16:52:03@itokenstein innovationのほうvenirではなくin novus(新しい)です。inventionがvenirですから、音感による違和感は素晴らしく当たっていると思います!
2011-01-09 16:53:14@naoshiy @FUMIAKI2 例えば第九でもフォーレのレクイエムでも歌手は悲しい存在で瞬間瞬間は音素しか歌えません。すると一つのフォネームにどう精神を顕現させるかがシェフの器量として問われ、ソレをしないとただの交通整理と笑われてしまうのです。結果vaだとかveだとか^^;
2011-01-09 16:55:39僕がラテン語やギリシャ語の話をすると音楽と関係ない資料の隅をほじってると誤解される人があるけれど、それはちょっと違って、母音一つの違い(例えば日本語のてにをは)のニュアンスが感得できなかったらトリスタンとか指揮台に立っちゃダメなんですね。というか準備しなければ恥ずかしくて立てない
2011-01-09 16:59:15@FUMIAKI2 古典詩の対句語法は韻を踏む部分は当然として、語幹の母音の違いこそが「差異」の根源ですから、その音素の「肌理」(とかいうとバルト臭すぎますが)にどの様にデリケートかつ誠実かが朗読者や歌い手、音楽家に問われます。日本ではリートやフランス歌曲は進んでますが他は?かも
2011-01-09 17:04:05私の場合、音楽には全くの素人ですが、第二バチカン公会議以前のラテン語ミサ(特に歌ミサ)と、ケベックウルスラ会のシスターの音楽の授業が幼児体験になっています@itokenstein 考えて見ますと僕がオペラや宗教音楽の音素一つ一つにラテンや各国語の記憶を細かく聴き取る事を教えられた
2011-01-09 17:14:43というわけで、私の間違いでなければケベックの事情にお詳しいはずの加納さんにも、私の心の故郷ケベックについて、時々(辛口)批評してもられば嬉しいです。@yukilot @itokenstein
2011-01-09 17:24:11日本の大学は知のためではなく、富国強兵のためにつくられたかも…。 今もそれを引き摺っているのか…。RT @itokenstein: @naoshiy シュンペーターが着想したダイナミックな知の運動そのものが、日本の固定化した官学体質と対極にある。
2011-01-09 17:36:03