社会学または社会理論に於ける限界についての一考察 : 岡田直樹氏(@ishtarist )のツイートより
- totojuni_s
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これは僕の想像でしかないのかもしれないけれど、単なる報復や怒りではなく、彼らはまさに、自分の身を爆裂させ、自分の魂と引き替えにイスラエル人を殺すことによって、彼らの生ける地獄を私たちに訴えようとしたのではないか。
2011-01-09 00:19:45これは僕の想像でしかないのかもしれないけれど、単なる報復や怒りではなく、彼らはまさに、自分の身を爆裂させ、自分の魂と引き替えにイスラエル人を殺すことによって、彼らの生ける地獄を私たちに訴えようとしたのではないか。
2011-01-09 00:19:45だけど、その彼らの、生と死の全てをかけた訴えは、私たちの傲慢な耳には、ほとんど何も響かなかった。そして、「テロはよくないけど」という、あまりにも安易な言葉によって、そのわずかな痕跡すら掻き消された。
2011-01-09 00:24:38自爆行為は本当に、本当に、被害者だけではなくて、何より彼ら自身のために、哀しいことだと僕は思うし、やめてほしいとも思う。だけど、彼らが自爆せざるを得ない状況を構造的に作り出したのは、安易に「テロはよくないけど」と言ってのける私たち第一世界の人間の耳の傲慢ではないのだろうか。
2011-01-09 00:26:14私たちは、そのような無責任な仕方において、パレスチナにおける抑圧とジェノサイド、そしてまさにSuicide Bomberを生み出しているのではないか。当人も含めたSuicide Bomberによる犠牲者は、まず何よりも、私たち第一世界の人間の責任ではないのか。
2011-01-09 00:29:16もちろん、こうした関係の構造が、全体としてある種のアトラクタに落ちつき、当事者にとってはいかんともしがたくなることはある。たとえば、ある業界において、不払い労働をおこなうと、コスト圧力のために、同業者はみんな追従せざるを得なくなったり、など。
2011-01-09 01:56:34とは言っても、そのような不払い労働の再生産構造を「批判」することそれ自体は、実践的には何の意味もない。問題は、その再生産構造を理解した上で、どのように戦略的に、実践的に変えていくことが私たちには可能なのか、ということだ。
2011-01-09 02:02:15不払い労働の再生産について言えば、それは個々の企業では、総体としてはいかんともしがたいことではある。だとすればそれは、そのような違法行為の構造を放置してきた、政府の失政であろう。合成の誤謬は、中央政府しか修正できないのだ。
2011-01-09 02:03:55ならどうするか。労働基準監督局の大幅な権限強化、また労働基準法の整備と厳罰化、企業の労働環境を可視化する制度設計、また労働環境に応じた税率の優遇精度の構築。などなど。
2011-01-09 02:05:51私たちとしては、こうした中央政府の方策を、具体的に政府役員や国会議員などに訴えていくこと。またブラック企業の可視化(まとめサイト作りなど)や不買運動など。労働者としては、サービス残業の拒否や、残業代請求など。
2011-01-09 02:07:50企業側としては、労働基準法の遵守、不払い労働に頼らないビジネスモデルの構築、などなど。こうした個々人や組織、政府などの具体的な努力によって、この不払い労働の再生産という不幸な状況を変えていくしかないということ。
2011-01-09 02:09:20また、不払い労働が固定化された社会的な連関構造やその影響、さらには個々人の施策を提示すること、それが社会理論家の責務であることは言を俟たない。
2011-01-09 02:10:43つまり、社会構造を一つ一つ私たちの手で変えていくためには、個々の個人や組織やエージェントの関係を具体的に解き明かすことが大切なのだ。逆に、「個人や企業の責任じゃなくて、社会構造が悪いんだ」という社会学者の言い方は、社会構造を変えることを私たちに諦めさせる機能を果たしているのだ。
2011-01-09 02:13:09「私たちは社会構造を批判する」とか、「社会規範に批判的に介入する」といういいかたは、そのような具体的な方策と比べると、単なる言葉遊びにしか僕には思えない。
2011-01-09 02:16:11つまり、僕は理論的には、ある意味において全ての人間が有責であると思っているけれど、それを個々人にストレートに突きつけて批判をするならば、さらによりひどい暴力を犯すことになるだろう。だから、こうしたことは、理論的にだけ言う方がいいと思う。わかる人だけわかって動けばいいと。
2011-01-09 02:22:53