議論の目的:勝ち負けではなく、知識創発課程としての

劣悪な対話は、議論の目的を勝ち負けに設定するところにあると思います。そこで私はその目的を、新たな問題発見あるいは解決法の提示を促すプロセスとしての議論を考えてみました。
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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

なぜなら、普段何かものが高いところから落ちるとういう事実を経験的に知覚しているから。しかし、後者についていえば、我々だけではなくて、カントやヘーゲルも誤りを犯したように、経験的には極めて分かりにくいものである。

2011-01-10 05:39:27
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

ではこれをもって、ニュートンの理論の方がアインシュタインの理論よりも真理近似性が高いと言えるだろうか?答えは非である。実際には後者は前者が予測できるすべての帰結は予測できるし、前者が想定していなかった、赤方偏移などの帰結を予言することにも成功した。

2011-01-10 05:39:37
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

それゆえに、ニュートン理論はアインシュタインの理論の近似と考えることができ、後者の方が、直観的には分かりにくいがより真理審理近似性が高い理論であると考えるのが合理的だろう。

2011-01-10 05:40:00
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

それで最後の戦略はと言えば、(4)言明の中身ではなくて、言葉の定義を問うことを目的にするということである。そうすれば終わりのない定義ゲームへと持ち込める。

2011-01-10 05:40:12
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

もちろん定義は大切であるが、それは、一つの言葉が複数の意義をもち、議論の混乱が起きるということを防ぐためという規準までにすれば良いのであって、「絶対的に本質的」な定義などを求めることを目標とすべきではない。なぜなら、それは不可能だから。

2011-01-10 05:40:23
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

言葉は無限に存在するので、どれほど明晰に語っている名辞を選んだとしても、常にに、それよりも基礎的な名辞=(便宜的にメタ名辞と命名する)を定義することが可能だからである。

2011-01-10 05:40:33
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

これが、私が考える、バカでも勝てる戦略である。勝てるの意味は、論理的には誤りでもそれを妥当だと第三者に信じさせることができるということである。 仮に自らの言明を表出することの目的が他者説得、あるいは意見の押し付けにあるのならば、これらの戦略はある程度効果的だと思う。

2011-01-10 05:40:50
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

しかし、私個人の議論あるいは対話の目的はこれらのことではなくて、ある暫定的な考えを提出することにより、対話者間において、新たな問題解決法やその解決法により生まれてくる新たな問題が自生的に生成されることを願うのである。

2011-01-10 05:41:09
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

従って、これらのような戦略はそのような客観的知識の発展にとって妨げになると考えるのでなるべく避けようと思う。

2011-01-10 05:41:12
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

さて、先ほどの議論については私は、私の目的を一応満たすことができたので有意義と考えてはいます。ポパーの客観的知識発展の図式を用いれば、P1→(TT1、TT2、、、TTn)あるいは(EE1、EE2、、、EEn)→P2という流れに少しは寄与できたのかなと考えるからである。

2011-01-10 05:43:51
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

P1は「バカが議論に勝つ方法」という問題で、TT1は私の暫定的な考え、そして、その反応としての氏の考え(これはTT2あるいはEE1)を通じて、氏が新たな問題発見P2(教育問題その他)へと至る過程=創発的知識生成過程= への問題以降を確認できたと信じるので非常に意義深かったと思う。

2011-01-10 05:45:42
@JAI_AN

粗悪な心理主義。勝っても負け、負けても勝ち、というのを全然理解できてない。 RT @yutakioka: P1は「バカが議論に勝つ方法」という問題で、TT1は私の暫定的な考え、そして、その反応としての氏の考え(これはTT2あるいはEE1)を通じて、氏が新たな問題発見P2(教育問題

2011-01-10 05:47:33
徳川 家康 @bornekiller

@yutakioka これはたぶん適用範囲の問題だけだと思います。真理というのは存在しないのでとりあえずどの説明がより妥当で多くの現象に対してあてはまるか。それに対して真理があるはずだてことは形而上学の問題。

2011-01-10 05:50:32
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@bornekiller です、私もそう考えていますので、より良い説明以上は求めません。RTこれはたぶん適用範囲の問題だけだと思います。真理というのは存在しないのでとりあえずどの説明がより妥当で多くの現象に対してあてはまるか。それに対して真理があるはずだてことは形而上学の問題。

2011-01-10 05:51:52
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@bornekiller [真理]が絶対的で究極的な説明というならばですけどね。

2011-01-10 05:53:59
徳川 家康 @bornekiller

@yutakioka 真理とか普遍とか絶対とかいうとそうなるでしょ。それら、説明じゃないから。

2011-01-10 05:56:41
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@bornekiller ええ、私もそのような本質主義的立場は取らないんです。あらゆる科学理論は推測であることは認めますし、いつでも修正可能という意味で、ただしそれの合理性は確保すべきだとは思います。RT真理とか普遍とか絶対とかいうとそうなるでしょ。それら、説明じゃないから。

2011-01-10 06:01:25
徳川 家康 @bornekiller

@yutakioka 観念論は観念論でいいんだと思います。科学は一応実証されるまでは仮説いろいろ。実証されても追試験続くわけですよね。これが科学の合理性かと。

2011-01-10 06:12:27
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@bornekiller そうですね~、観念論はヘーゲルは私の中では明らかにアウトですが、カントは際どいですね。後は同意です。RT観念論は観念論でいいんだと思います。科学は一応実証されるまでは仮説いろいろ。実証されても追試験続くわけですよね。これが科学の合理性かと。

2011-01-10 06:18:25
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