「響け!ユーフォニアム」キャラの生理表現に見る新しい芝居の作り方
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こういったさりげない生理描写が、ユーフォでは随所に認められます。それゆえ我々は、キャラクターの表層的な心理だけではなく、生理として画面に具象化された無意識にまで踏み込んで付き添うことができる。それが最もドラマチックな形で活かされたのが、例の12話、久美子が突然走り出すシーンです。
2015-10-18 21:11:08このシーンで凄いと思うのは、この瞬間、彼女にとって「走る」以外の選択肢はありえないんだと我々に信じ込ませる画面そのものの強さです。この子はもう走るしかないんだと思わせる切実さに異様な説得力がある。なぜなら本当に辛いことがあった時の人間の生理が、そこに適切に反映されているからです。
2015-10-18 21:14:36メ之助さんのユーフォ生理描写のツイート見てなんとなく1話見返してみたら秀一くんの「そういや高坂麗奈いたな」の台詞で久美子の目が僅かにピクッと動いててしかもそのタイミングが絶妙だった
2015-10-18 21:16:34たまらず走り出す直前まで、久美子はどう振る舞っていたか。滝にパートから外れるよう通告された後、彼女はサファイアたちと行動を共にします。一見、普段通りに振る舞う久美子。しかし明らかに様子がおかしい。彼女の心境を既に知っている我々には、画面の緊張に対する警戒心を解く術がない。
2015-10-18 21:18:35友人たちと別れ、一人夜道を歩く久美子の脳裏に、滝の宣告がフラッシュバックします。思わず眼瞼が吊り上がり、歩みを止める。ところが再び歩き出したかと思いきや、徐々に早歩きになり、あれ、あれと思っていると、いてもたってもいられず走り出してしまう。溜めに溜めた感情が一気に吐き出される。
2015-10-18 21:21:14この一連のシーンで偉いのは、感情が爆発するまでの途中経過において、久美子に安易な感情芝居を一切させていないことです。目の前に突きつけられた現実に対し、ただリアクションが取れない人間の動揺が描かれるのみ。彼女に何もさせないことで、かえって受けたショックの大きさが浮き彫られています。
2015-10-18 21:24:55この間に久美子の身体には何が起きていたのか。わかりやすくエネルギーという見地から追ってみます。むろん彼女には複雑な衝動(エネルギー)が渦巻いていたはず。しかし外見上には現れない。表せない。どうすればいいのか、彼女自身がわからないのだから当然です。かろうじてその動揺だけが窺える。
2015-10-18 21:30:43帰り道で一人になり、自分と向き合わざるを得なくなると、自然と滝の言葉が思い起こされる。それが引き金となって溜めに溜めていたエネルギーが爆発する。逆にいえばフラッシュバックの瞬間まで、久美子はエネルギーを持て余しています。吐き出す術を持たず、それゆえ「何もしない」という芝居になる。
2015-10-18 21:35:44アクションとは一種のエネルギーの放出であり、人間の身体は本来、その平衡が破れることを嫌います。つまり必要最小限のエネルギーで済まそうとする。ところが最小限で事足りていたはずの体内エネルギーが、思いがけぬショック(滝の宣告)で過剰になってしまった。むろん身体はその発散を求めます。
2015-10-18 21:38:49その余剰分のエネルギー処理に身体が困惑していたところ、フラッシュバックを契機に一気に放散されたわけです。逆にいえば宣告から疾走までの間、久美子は生理的にアンバランスな状態にある。それゆえ何もせずとも、その何もしないことがかえってサスペンスを生み、ドラマの爆発を予感させるわけです。
2015-10-18 21:43:47しばらくして久美子は走り止める。気持ちとしては走っているのに、そのエネルギーが尽きて足りないからです。まるで大声で怒鳴りつけていたクレーマーが、徐々に電話口で怒り続けることができなくなってくるように。アクションはあくまで彼女の生理に忠実です。かろうじて「上手くなりたい!」と叫ぶ。
2015-10-18 21:51:31本当に辛いことがあった時の人間を、その生理状態として捉えようとするからこそ、苦悩する彼女の言動に異様な説得力が伴う。それによって悔しさという単一の感情だけではなく、無意識の混在した複雑多層な感情まで深く描出できる。だからその生理的緊張に身に覚えがある我々に真に迫ってくるわけです。
2015-10-18 21:56:17「走る」シーン自体の作画の凄さについては、今さら声高にいうまでもないでしょう。ここでの久美子の緻密な表情芝居は常軌を逸しています。肩の振り、まばたきのリズム、眉間や唇の絶妙な力の込め方など、生理から捉えた内面が筋肉の動きに丁寧に反映されている。映像を見ただけで一目でわかります。
2015-10-18 22:03:04心理という目に見えない抽象を、セリフに逃がさず、生理という具体の側から視覚化することで、アニメという表現形式や作画上の制約を言い訳にせず、登場人物自身が思いもよらなかった内面にまで深く踏み込んで描くことができる。少々大げさですが、ユーフォという作品の大きな特徴の一つだと思います。
2015-10-18 22:14:36そういった生理描写の積み重ねが、キャラの実在感に大きく貢献していることはいうまでもないでしょう。12話には久美子が鼻血を流すシーンがありますが、あの程度の微量な流血に途方もない生々しさがあるのは、まさしくその蓄積の賜物です。むろん作画自体も素晴らしく、液体の重量感がよく出ている。
2015-10-18 22:19:30以前から「久美子ちゃんの髪の匂いが画面から伝わってくる」などと気持ち悪い形容の仕方をしてきましたが、それは彼女が僕の嫁だからという理由だけではなく、本来視覚と聴覚しか刺激しえないはずの画面から、嗅覚を誘発されるほど生理描写が徹底されているからではないか、という見方もできそうです。
2015-10-18 22:24:58そもそも「思ったことが口をついて出る」という久美子のキャラクター設定自体、生理的アプローチの根拠として、こじつけられなくもないのではないか。7話のラストで玉子焼きを落とすよりも先に言葉が出てしまったのも、彼女のキャラクター上の生理として一貫しており、辻褄が合います。冗談ですが。
2015-10-18 22:29:56とはいえ、このように視聴者にある種の緊張を強いることで、キャラが「在る」こと自体の手応えが我々に迫ってくるということに疑いはないと思います。葛藤を抱えた久美子のディティールを通して、そこに我々自身の生理体験を復習する。前回述べた「サディズム」の意味が飲み込めていただけるはずです。
2015-10-18 22:35:39何となくユーフォニアムって総合力が高い作品だと思ってたんだけど、こう解説されるとすげえ尖った鋭い作品だったんじゃないかと思えてくるな。
2015-10-18 22:28:45② 声優の演技について
ところで、本作の芝居の深さの根拠として挙げた②声優の演技と③シーンの設計ですが、あくまでこれも生理の観点から見た切り口であり、その意味では①の変奏にすぎません。要するに、キャラの生理に添った演技、キャラの生理に添って設計されたシーンが、①と同じく互いに芝居の深さを支えている。
2015-10-18 22:39:50具体的にいくつかのシーンを取り上げてみます。例えば1話のラスト、改めて入部を誘われた久美子が、サファイアたちに二度「うん」と返すシーン。ここでの「うん」の演じ分けから彼女の繊細な変化が感じ取れます。一度目は自分に確かめるように、二度目は背中を押してくれた二人に応えるように。
2015-10-18 22:42:48しかしそれは決意と呼べるほど強いものではない。積極的なそれではなく、もう一度向き合ってみてもいいかなという程度のもの。だからこそ麗奈に話しかけようとしながらできないでいる彼女の姿が直後に描かれるわけですが、そういった無意識の絡んだ心理的なアヤを、その声音は見事に捉えています。
2015-10-18 22:48:48主演の黒沢ともよさんの演技には、全編を通して黄前久美子(cv黄前久美子)とでも表記したくなるような技巧を感じますが、先述した生理描写と同様、彼女の演技もまた久美子というキャラの実在感に大きく貢献しています。発声時の鼻息の混ぜ方で、さりげなくアンニュイさを醸し出すなどの芸の細かさ。
2015-10-18 22:52:44