科学は定義できるか
- HayakawaYukio
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@HayakawaYukio 「でも私は、それはできないことを婉曲に認めているだけであって」というのは端的にわたしの意図とは違います。NATROMさんが言うように、「黒」や「はげ頭」という言葉が有意味なのと同程度には「科学」という言葉は有意味だ、というのがわたしの主張です。
2010-12-10 12:37:27@HayakawaYukio 「文学者の面目躍如?」とお書きですが、わたしは文学を研究したことはありません。どこでわたしが「文学者」だという印象をお持ちになりましたか?
2010-12-10 12:37:41@HayakawaYukio 今回いただいたメッセージで「また私がしたのは引用ではありません。」とおっしゃるのは意図がよくわかりません。学術引用ではなくエピグラフだということでしょうか?それも引用の一種だと思いますが。
2010-12-10 12:38:09@tiseda いいえ。そうは思っていません。批判を向ける矛先が間違っていることのみを指摘しました。内容には触れていません。
2010-12-10 12:39:29@tiseda 本を読んで私はそれを理解しました。読者として私は著者と異なる意見を持ちました。そしてそれを表明しました。そうであるとわかるように書いたつもりですが、舌足らずだったかもしれません。
2010-12-10 12:40:53@tiseda すみません、そこは書き損じたことに気づいて気になっていました。哲学者に訂正します。ツイッターは(直前は消して直せるけど)すこし古いツイートは直せないのが困る。
2010-12-10 12:42:12@tiseda 引用というのは従でなければなりません。主たる自分の意見があってはじめて引用だと認められます。著作権法の言葉遣いです。その意味で引用ではなく紹介だと書きました(転載だとは書きたくなかった)。もっとあるかもしれませんが、これからランチしますので中座します。
2010-12-10 12:43:53@HayakawaYukio それは、正当な引用としての条件をみたしていないからこれは著作物の不当使用だとおっしゃりたいんでしょうか?わたしは早川さんを訴えるべきですか?
2010-12-10 13:00:18@tiseda 引用であると認めてしまった場合、伊勢田さんに訴えられたら勝てないと思いました。現在の日本国著作権法に照らすと、あの2ツイートは転載に当たるといわれてもしかたありません。米国著作権法ならフェアユース規定で救われるでしょうが、日本ではまだ認められていません。
2010-12-10 13:28:18「科学と疑似科学の間には推論の方法を始めとした方法論的側面についてどんな違いが存在するだろうか」伊勢田(2003、7p) この課題は科学哲学の核心なのだが、それをあきらかにしようとした哲学者の試みは悉く失敗した、と読み取りました。だから私は、違いは知られていないといいます。
2010-12-10 13:56:56ちまたでいうニセ科学のほとんどは、単なる「間違った科学」をそう呼んでいるにすぎない。ニセ科学なる概念はまぼろしである。(さて、買い物いってくるか。)
2010-12-10 14:08:02本日14時ツイートの前半部分を再掲します。「科学と疑似科学の間には推論の方法を始めとした方法論的側面についてどんな違いが存在するだろうか」伊勢田(2003、7p) この課題は科学哲学の核心である。
2010-12-10 16:25:00@HayakawaYukio たとえば、査読制度など。伊勢田本のP258の(m)を参照してください。ちなみに、私が140字内で書けるような定義はできないという立場であることは、早川さんはご理解しておられますよね?
2010-12-10 17:32:01@natrom その質問への答えは7時間前にしたこのツイートと密接に関係します。 http://ht.ly/3mYTb ニセ科学の文脈では科学は定義できない。したがって存在しないと考えます。一方、学校理科を科学と呼んだり、工学者に対して理学者を科学者と呼ぶときは存在します。
2010-12-10 17:35:39@natrom 加筆がなかったのを残念に思います。140字ではできないの立場であることを知りませんでした。1400字までいいから書いてくれませんか。査読制度を例に挙げられました。方法論の違いでなく社会制度に違いを求めるのですか。肩透かしの感がします。科学って社会現象かなあ。
2010-12-10 17:41:19@HayakawaYukio それこそ、伊勢田本に200ページ以上の分量で書いてありますよ。たとえばP257から261あたり。「伊勢田さんの本を私の内部で十分消化した」のでしょう。
2010-12-10 17:46:39@HayakawaYukio ニセ科学の文脈では科学の厳密な定義ができなくても、たとえば「線を引かなくても、創造科学が疑似科学だという判定は可能(P261)」と、理由を挙げて書いてありましたよ。
2010-12-10 17:49:07@natrom 自然を対象にした知的考察に科学と科学でないものがあるとするなら、その(方法論的な)違いは何かと問うてます。伊勢田本を読んだ私は、そういう違いはまだみつかっていないと教わったつもりでいます。
2010-12-10 17:54:20@HayakawaYukio 「方法論的反証主義や制度的基準(査読制度)や再現性の有無やそのほか諸々などの複数の基準をどれくらい満たしているかによって、ある分野がどの程度、科学と言えるかどうかを判断できる」、ぐらいでどうすか。
2010-12-10 17:57:31@natrom でも、私がお尋ねしているのは科学の定義です。科学と疑似科学の線引きだけでなく、科学の定義もご説明ください。
2010-12-10 17:57:41@natrom でも方法論的反証主義は、それこそこの議論のきっかけになった56ページの背理法で却下されました。まあそれはいいとして、「総合的な評価として」と伊勢田さんはまとめてます。結局、雰囲気でしかないわけです。これを私は定義できないと表現します。
2010-12-10 18:04:06@HayakawaYukio 化石証拠との不整合、年代測定法との不整合、(伊勢田が指摘している箇所を確認できなかったが)既存の学説の無理解、不適切な発表方法、まあこんなところでしょうか。「創造科学が疑似科学とみなされるのはただ一つの理由によるものではない」というのがポイントです。
2010-12-10 18:05:09