文々。新聞電子版特別コラム「タビレミのちょちょっと雑学 第3回 薩長同盟」

タビレミさんがゆったりまったりと雑学を教えてくれます。今回は150年を迎える歴史的な出来事。
0

今年の1月21日は薩長同盟が結ばれて150年ということで、タビレミさんに詳しく解説していただきました。

タビ好きレミリア @Travel_Remilia

今日は幕末に薩長同盟が締結されてから丁度150年とのこと。ということで、今夜は薩長同盟について、簡単にお話をしていくわ。

2016-01-21 22:55:24

そもそも薩長は仲が悪かった

タビ好きレミリア @Travel_Remilia

幕末の維新改革の大きな立役者となった、長州藩(山口県)と薩摩藩(鹿児島県)だけど、決して最初から仲が良いわけではなかった。それどころか、主義主張が異なれば、政治的な立場も異なっていた。むしろ仲が悪く対立する間柄だったのだ。

2016-01-21 22:56:21
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

長州も薩摩も政治的に大きな役割を担う所謂「雄藩」だったのだけど、長州藩は過激的な尊王攘夷で反幕府的な立場をとり、薩摩藩は開国路線支持で幕府寄りの立場をとっていた。度重なる攘夷派によるテロ行為や、1863年5月の長州藩による外国船砲撃(下関戦争)を受け、幕府・薩摩藩は政変を起こす。

2016-01-21 23:06:55
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

所謂「八月十八日の政変」で、これにより長州藩は京都を追放された。翌年7月、孤立を深めることを案じた長州藩は事態打開のために京都に上るも、武力衝突が発生し惨敗(禁門の変)。幕府はこれを受けて長州藩の征伐にかかる。8月には二度目の下関戦争が勃発し敗北。長州藩はボロボロになっていった。

2016-01-21 23:16:10
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

そして長州と薩摩の対立は確固たるものとなり、極めて厳しい状況に置かれることになる。一方で、長州を鑑みたわけではないのだが薩摩の中でも、幕府の姿勢に対する疑念と、強硬的な改革が必要ではないかという声が高まってきた。その中心に居たのが、西郷隆盛と、大久保利通だった。

2016-01-21 23:20:03
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

お互い模索する日々が続いた。長州征伐に反対の立場をとっていた福岡藩が長州藩の高杉晋作と薩摩藩の西郷隆盛との会談を斡旋したり、長州藩が下関戦争で敵対関係だった欧米列強に学び近代的軍事強化を計画するなど、状況は日増しに変わっていった。

2016-01-21 23:24:58
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

その矢先、長州が軍備増強を計画していることを察知した幕府が第二次長州征伐を行う準備を始める。薩摩を始めとする諸藩は、幕府に強硬する態度をとっていない長州を征伐するのは無意味と反対するが、幕府は強行して実行に向け着手を始める。これが薩摩の幕府離れを更に早めることとなった。

2016-01-21 23:29:58

影の立役者、坂本龍馬

タビ好きレミリア @Travel_Remilia

倒幕に向けて動き始めた薩摩藩と、敵対する長州藩をどうにか結びつけることはできないかという意見が出るようになった頃、現れたのが、土佐藩の脱藩浪人である坂本龍馬と中岡慎太郎だった。坂本と中岡の名は長州藩の間でも知れていた。二人は長州の木戸孝允を説得。西郷に会うことで交渉は成立した。

2016-01-21 23:33:44
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

本来この同盟締結は1865年中に行われていたかもしれなかった。しかしここでトラブルが発生する。木戸との交渉後、中岡は薩摩に行き西郷とも交渉。下関で会合を行うということで決定した。しかし、約束の日が過ぎても西郷は現れなかった。西郷は「急用ができた」と言ったのだが真相は不明である。

2016-01-21 23:37:15
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

西郷のドタキャンに木戸は怒って一度は破談になりかけたが、坂本と中岡が宥め、今度は京都に行き、西郷と同じ薩摩の小松帯刀に会う。「何で会わなかったんだ。ひどいじゃないか」と二人を叱責し、「お詫びとして薩摩名義で外国から武器を購入して、長州にプレゼントしよう」と提案する。

2016-01-21 23:40:35
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

小松は反対するが、逆に西郷はこれを快諾。1865年中に薩摩は大枚をはたいて長州に大量の武器を寄贈。これにより木戸も徐々に薩摩と打ち解けていった。そして年明け早々の1866年1月、木戸は京都に入り、小松帯刀邸で薩摩との同盟締結に向けた最後の交渉を始める。

2016-01-21 23:43:52
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

西郷、大久保、小松ら薩摩藩は木戸と毎日のように接待をした。しかし会議は躍る、されど進まず。同盟については全く話が進まなかった。「これはもう無理かもしれない。長州に帰るか」木戸がそう思いだしたその時、やって来たのが、坂本龍馬だった。

2016-01-21 23:45:22
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

「どうだ。会合はうまくいってるかい?」坂本は言う。「それがなあ、全然進んでないんだ」西郷は答える。「相手が喋らないんだから仕方ないじゃん」木戸は言う。この態度に坂本は激怒した。「お前ら国難を脱するための同盟に藩の面子も過去の遺恨もクソもあるか!何たる小心者だ!」

2016-01-21 23:47:58
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

坂本の発言にはっと目が覚めた西郷と木戸は、「今こそ腹を割って話そう」と、10日以上も割ろうとしなかった口を開く。互いの胸の内を全て吐き出し、ようやく同盟を完成させ、締結に至った。それが1月21日のことだった。

2016-01-21 23:50:26

結ばれた同盟とその力

タビ好きレミリア @Travel_Remilia

結ばれた同盟は、全6箇条からなる。以下要約。 一、長州が幕府と戦争になったら、薩摩も助けてほしい 一、長州が勝ちそうになったら調停して 一、万一長州が負けたら援助して 一、戦争が終わったら、朝廷に冤罪を免ずるよう尽力して 一、薩摩も妨害されたら決戦じゃ 一、薩長力合わせて頑張ろう

2016-01-21 23:55:29
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

薩長同盟の締結は歴史的な締結であると言える。幕府側に立っていた薩摩と倒幕の立場だった長州、しかもつい1、2年前までいがみ合っていた両者が急速に接近し、かつて京都の二大大物雄藩として名を上げた両者の強力なタッグが組まれたからである。

2016-01-22 00:00:18
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

同盟が締結された同じ年に幕府は第二次長州征伐に乗り出す。しかし主軸だった薩摩が出兵を拒否。「第一次征伐は成功したし今回もいけるだろう」とたかをくくっていた幕府軍は悉く負けてしまう。これが、幕府の力を衰退させる一因となり、また、薩摩と長州の連携をより一層強くするきっかけとなった。

2016-01-22 00:02:37
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

あとは歴史の授業で習った通り。1868年に幕府は倒れ、新たな時代のあけぼのとなった。

2016-01-22 00:04:28

たった一つで壊れる硝子の関係

タビ好きレミリア @Travel_Remilia

昨日の敵は今日の友、の典型とも言えるのが薩長同盟だが、皮肉なことに「今日の友は明日の敵」となる事態が、明治が始まって間もなく起こってしまう。長州、薩摩の要人は明治政府の旗揚げに参加し多くが政府の中に入った。このまま薩長の関係は続くものと思われた。

2016-01-22 00:10:02
タビ好きレミリア @Travel_Remilia

しかし、関係を揺るがす事件が起こる。発端となったのは、隣国、李氏朝鮮の不穏な動きだった。朝鮮国内で攘夷の動きが高まっていることを察知した西郷が、ゆくゆくは朝鮮を攻略するために、使節を派遣すべきだと言いだす。所謂「征韓論」である。これに賛成と反対で政府は大きく二分された。

2016-01-22 00:11:45