2016年1月24日

穴山梅雪と小山田信茂。

梅雪と信茂の勝頼離反に迫を二冊の読後まとめ。ぜひこの二冊を真田丸で勝頼復権を祝う武田好きにも読んでほしいです。勝頼の立場ももちろんあるけど、梅雪・信茂の立場も理解しないと。
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日光81 @nikko81_fsi

「穴山武田氏」(平山先生)読了。穴山氏の260年に及ぶ歴史。室町初期に武田系穴山氏が成立、宗家から養子を何度も入れて混乱期の甲斐を時に宗家側にたち、時に今川について生き抜き、宗家に近い武田一門としての自負をもつ。信玄時代信濃上野戦線こそ功少ないが駿河戦線で大活躍。

2016-01-23 01:22:45
日光81 @nikko81_fsi

信玄臨終の際に枕元に呼ばれ、勝頼の補佐を信玄から託される当主信君。陣代であれとした信玄遺言に叛くだけでなく、信君と重要な局面で対立した「諏訪」勝頼より当主としてははるかに高い家格。勝ち続けることで維持される「武田」勝頼の権力基盤の弱さと対照的。

2016-01-23 01:29:14
日光81 @nikko81_fsi

長篠合戦前は織田徳川との決戦に強く反対し、厭戦モード「信玄公以来の臣を悉く死なせた」と勝頼を詰る信君。そして戦わず引いた信君に敗戦の責任ありと追及する香坂弾正。しかし影響力の大きな穴山を切ることはできなかった。

2016-01-23 01:34:30
日光81 @nikko81_fsi

そして御館の乱を契機にした北条との対立。東に北条西に徳川と挟撃に苦しんだのがまさに穴山信君。北条との全面対決にここでも反対するも容れられず。高天神城を、いや高天神城に精鋭を救えなかったことで武田の威光は地に落ち、このくらいのタイミングで穴山も見限り始めたか。

2016-01-23 01:38:16
日光81 @nikko81_fsi

横田尹松が主張した高天神を捨てて引き上げるのがよかったのかな。敢えて降伏を受け付けず、見せしめにして高天神を全滅させることで武田の威光を落とそうとした信長の意図通りに運ぶ。

2016-01-23 01:41:13
日光81 @nikko81_fsi

実は梅雪の献策で新府移転を決断。しかし譜代衆はついていかず、勝頼側近しか付いていかず、決定的に関係悪化。譜代衆が反対する移転をなぜ梅雪が?ちょうど勝頼娘を子息勝千代との婚儀を破談にされた時期、そして反旗を翻す1年位前。敢えて譜代衆の不興を買うよう仕向けた梅雪の謀略とも思えた。

2016-01-23 01:45:35
日光81 @nikko81_fsi

木曽が、そして穴山が・・・と離反していく真田丸第一話につながるあたり。もちろん国衆論からいえる当然さもあるのだけど、強い武田嫡流への近しさを自認する梅雪は、東西を北条徳川に挟まれ献策を退け続けた末に、勝頼ではもはや武田家は守れない、守るのは自分だとの意識。

2016-01-23 01:50:41
日光81 @nikko81_fsi

勝頼滅亡直後に亡き母の十七回忌の際の梅雪の香語の文言が、勝頼側近(諏訪高遠衆?)と一門譜代との対立と譜代の諫言を聞き入れない勝頼への非難のことば。まさに甲陽軍鑑で描かれる「強すぎる大将」へのアンチテーゼ。そして武田中興の祖となるべく織田に下り、武田家を残すことに賭けた。

2016-01-23 01:55:08
日光81 @nikko81_fsi

しかし、本能寺の変後の逃避行でどうしても家康を信じきれなかった梅雪は命を落とす。嫡子勝千代・武田信治も、その後家康から養子が入った万千代も続々と夭折。その過程で家康旗本に組み入れられ、最終的には解体していき、梅雪の決意は実ることはなかった。

2016-01-23 01:58:12
日光81 @nikko81_fsi

その勝頼滅亡と穴山滅亡という二度の武田家を見届けた見性院。どんな思いで幸松丸を育てたのだろうか。この幸松丸が後の保科正之。見性院からどんなことを聞かされて育ったのだろうか。

2016-01-23 02:01:01
日光81 @nikko81_fsi

穴山武田氏を通覧して、真田丸第一話・第二話を見返すと、榎木梅雪の苦悶の表情がよりいっそう凄みをもって感じられそうだ。

2016-01-23 02:02:46
日光81 @nikko81_fsi

それでもやっぱり天正壬午期に徳川の武田遺臣調略からは避けられていることを考えると・・・・・ということで、次は「郡内小山田氏」に手をつけます。

2016-01-23 02:05:08
日光81 @nikko81_fsi

郡内小山田氏、弥三郎信有まで来ました。平姓小山田氏からと郡内小山田の断絶、藤姓小山田氏からの女系の流れを汲む可能性のある『新興勢力』郡内小山田氏。武田信昌と信縄の対立まであまり国中の武田氏とはつながりないのか、よくわからないのな。

2016-01-24 13:29:19
日光81 @nikko81_fsi

郡内小山田氏としてハッキリわかっている小山田信長、弥太郎が武田信昌、油川信恵に加担するのも姻戚関係ゆえ。それ以外に頑強に武田信縄、信直(信虎)に抵抗する意味はなさそう。信虎にコテンパンにやられたら素直にしたがっておくのが得策かな。

2016-01-24 13:31:26
日光81 @nikko81_fsi

そして信虎に降ると反信虎の北条氏綱から攻められる危険。信虎の軍事力の傘の下でようやく北条に対抗。晴信時代初期にはその経緯が甲相同盟成立に重きを成し、対北条外交取次役の立場につながる。

2016-01-24 13:37:40
日光81 @nikko81_fsi

『郡内小山田氏』(丸島先生)読了。書をよくし、軍議にも加わり利発利口と山県昌景に評され、馬場山県に教えを請う様子が記される信茂。梅雪や信豊とも親しく、小姓から兄弥三郎信有か若くして亡くなったことで、小山田を継いだ可能性もあるとか。教養人たる信茂像からも小姓上がりを感じさせる。

2016-01-24 16:56:10
日光81 @nikko81_fsi

興味深いのは甲相同盟復活後に、甲相対立ゆえに途絶えた富士参詣者の増加を見込んで関銭半額を実施してる点。どのくらいの税収、参詣者増加があったのかわからないけど、なかなか目の付け所が鋭い経済感覚。

2016-01-24 17:02:36
日光81 @nikko81_fsi

勝頼期。長篠では他宿老同様、開戦反対の立場の信茂。信玄葬儀ではかなりの格の高さを感じさせ、国衆としての立場だけでなく、武田譜代としての様相も感じられ、後に織田方から宿老の不忠と詰られる伏線も感じる。

2016-01-24 17:10:55
日光81 @nikko81_fsi

そして御館の乱。香坂弾正が景勝との同盟に関わっていたのは知っていたが、信茂も関わっていたらしい。詳細は不明にしても、北条との取り次ぎを担っていた小山田としては、景勝との交渉役はかなりの重責だったのではないか。

2016-01-24 17:16:21
日光81 @nikko81_fsi

しかも取次は長坂跡部が主で信茂に求められたのは宿老としての家中総意であるという、いわば『箔をつける』役割。明らかに勝頼と対立が見られる梅雪と比べ、長篠後は勝頼に忠実な印象。しかし、末期に至り甲越同盟を推進し、北条を敵に回したことが危難の由としてる点。

2016-01-24 17:24:07
日光81 @nikko81_fsi

北条をよく知るだけに、主意とはいえ景勝に付いた痛みを思い知ったのだろうか。そして佞臣(跡部)が私的に賄賂を受けたと認識し、信茂自身も名を落としたのでは…と。いずれの時期かはハッキリしないものの梅雪のような周到さはなく、土壇場での離反は間違いなさそう。

2016-01-24 17:29:56
日光81 @nikko81_fsi

国衆の立場を考えると、もっと北条に通じていても良さそうなくらい従順な感じ。間違いなく高天神落城あたりから生き残りは考えていただろうが、徳川と接する穴山、織田と接する木曾のように、自領と接する、そして心理的にも近しい北条を頼らなかったのか?はやはり謎。一門は北条に逃れてるのに。

2016-01-24 17:34:54
日光81 @nikko81_fsi

推測だけれども、明確に武田一門の筆頭を自認し、自らが武田中興にならなければという使命感のある梅雪がドライに内応の事前協議ができたのとは違い、信茂には迷いがあったのかもしれない。単に国衆たる立場では説明がつかない判断の遅れ。仮に小姓上がりなら尚更。

2016-01-24 17:39:29
日光81 @nikko81_fsi

小山田信茂の子孫は数家あるらしいが、信茂の孫で養女になった天光院。信松尼(松姫)とともに八王子に逃れ、磐城平藩主内藤忠興に嫁ぐ。そして彼女が産んだ娘が大久保長安事件に連座し、苦難の時期を経て江戸に帰った武田信正(信玄曾孫)に嫁ぎ、高家武田家と姻戚になり、今日まで続く。

2016-01-24 17:46:31
日光81 @nikko81_fsi

ただ天光院の娘ではなく姪かもしれないらしい。いずれにしても小山田ゆかりだ。高家武田家は小山田信茂を赦し和解していたといってもよい、というのは現代の武田宗家からの話としても聞き及ぶ。いつまでも小山田憎しの武田好きに、もっと知られてよい話ではないだろうか。

2016-01-24 17:51:13
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コメント

Hoehoe @baisetusai 2016年1月26日
ドラマ的には勝頼の死因は小山田の裏切りなので扱いが気の毒なのはやむをえないと思います
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