@Tamejirou 取り敢えず、祖母や祖父から話を聞きまくって、一通り親類関係は自分で系図っぽいのを作ったりしましたw(「山田さんには娘が2人いて、上の子は高木さんに嫁いで、その嫁いだ先の姑さんのお母さんと山田さんのお婆ちゃんとは姉妹なんや」みたいな話です)
2016-02-22 18:40:47@takatukasa11 私も母方の曾祖父に連なる自作の家系図を持ってますw 二代前くらいの世代は物故者も多くなりましたが、最近はその代わりティーンと一桁代が充実してきました。
2016-02-22 18:46:59@Tamejirou やはり、若い世代が増えていくのは嬉しいことですよね!(まあ、まさに僕が若い世代ですが・・・) やはり、ちゃんと家に伝わる話とかを聞いておかないと、本当に悲しいことになりますからね
2016-02-22 18:59:56ところで
@takatukasa11 そもそも、GHQが農地改革してなかったら多分小作農は共産化して地主層を殺しまくって自ら農奴解放を成し遂げていただろうから、農地改革のおかげでそれなりの土地と一族の命は残り助かったと感謝すべきなんだよね
2016-02-22 16:35:03@UJIYASUKYOU うーん、まあ、共産化したかどうかは分かりませんが、そもそも最初はだれの土地でもないんですよ、いや、もっと言えば最初に御先祖様がその土地に移り住んだ室町時代には・・・とか言うことになってきますね
2016-02-22 18:25:37@UJIYASUKYOU あと、維新後ではありません 厳密には、だいたい享保以後って言われてますね 享保から、他に酒造とか油や色々手を出して作ったお金で、金貸しをして、担保のお金を集積したわけですね しかし、それと小作の方を農奴と言い切るのは良くないんではありませんかね
2016-02-22 18:28:37@UJIYASUKYOU 農奴なんて扱いをしたら、それこそ、村中いや近隣一体の村々に悪評が広がります そんな、無茶苦茶な農地経営をしたのは関東に多いんじゃないんですかね 関西(近畿)では、まずそんな悪い地主さんと言うのを聞いたことがありません(いるのかもしれませんが・・・)
2016-02-22 18:31:38@takatukasa11 無茶苦茶というか、うーん 小作料減免や条件改善を求めた小作争議では1920年代の第一次高揚期では大阪府山田村争議や新潟、岡山、佐賀、香川と北陸や関西、中国など西国が多いんだよなあ 1930年代の第二次高揚期も東北中心ではあるが鳥取などでもやってるし
2016-02-22 18:46:35@UJIYASUKYOU 山田村!そんなところでもあったんですねえ 北摂は、ちょこちょこ親戚がいるので、今度、聞いてみようと思います とはいいましても、企業のストライキみたいなもんだと思えば、よくよく考えれば、別に気にするようなものでもない気がしますが・・・
2016-02-22 18:52:28@UJIYASUKYOU いや、そういうことではなくてですね、その時全国で起こってるものじゃないですか、いわば、流行で起こった可能性もあるということです 江戸時代の一揆の様な首謀者の首が飛ぶと覚悟していながら起こしたものとは言えないので、さほぼ重要とは・・・と言うことです
2016-02-22 18:56:46@takatukasa11 一応日本農民組合という全国組織ができて大規模かつ集団化して、その最たるが第一次や第二次の奴で、帝国議会も1924年に小作調停法作ったり大規模な訴訟事件や警官隊と衝突にもなった伏石争議や木崎村小作争議などとかなり大規模なものなんだよね
2016-02-22 19:06:03