「宮崎駿の雑想ノート」より司馬遼太郎の三式中戦車の装甲の話題に関する部分を引用
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togetter.com/li/497832とhttps://t.co/dlIWvShmod この二つの話題と例の話ね。最近各所で検索すると引っかかるんだけど詳しくない人に対して三式中戦車の装甲が手抜きだったという根拠に「宮崎駿の雑想ノート」をソースとして出すのはどうかと思う。
2016-02-24 20:35:59『宮崎駿の雑想ノート【増補改訂版】』大日本絵画 1997年 「雑談トーク 宮崎駿×富岡吉勝」三式中戦車を見て P.121~122より引用 [初出]月刊モデルグラフィックス1993年2月号 ◎取材・構成:梅本弘、卯月緑
2016-02-24 20:39:35宮崎駿『しかし、ドイツ戦車のこんな幅広いキャタピラを見てるだけでやンなってくるね・・・。僕はね、以前、大塚康生さんと土浦の自衛隊武器学校に戦車を見に行こうって言われて行ったことがあるんだけど、三式中戦車を見て愕然としました。その情けない姿にね。』
2016-02-24 20:40:52宮崎駿『写真を見るとけっこう強そうに見えるんだけど、実物を見ると駐退器はむき出しになっているし、あちこちに(外部視察用の)スリットがたくさんあいているけど、防弾ガラスも何も入ってないしね。』
2016-02-24 20:41:46宮崎駿『三式中戦車を見たとき、「絶大なる威力の九○式野砲を搭載した・・・」って解説を読んで、あれに「絶大」とか「驚異的な」とかいう形容詞をつけるのは 日本の軍事関係者だけだなって思いましたよ、ワハハハッ・・・。形容詞から腐るってことがあるでしょ、「なんとかが誇る・・・」とかね。』
2016-02-24 20:44:22宮崎駿『自分のレベルからちょっと上だと、すぐに驚異的になっちゃう。ウシシシッ。そういう慣用句を使ってごまかしてきたわけですよ。』
2016-02-24 20:45:08宮崎駿『あの司馬遼太郎さんがね、九七式中戦車の装甲板は硬くてヤスリがかからなかったけど、三式の装甲板にはヤスリがかかった。つまり、もう日本には装甲鋼板がないんで、普通の鉄でできていたって書いてありますが・・・。』
2016-02-24 20:45:53富岡吉勝『あれを読んでね、戦時中、戦車の装甲板を研究していた人が憤慨して、九七式みたいな薄い装甲の場合は装甲板を硬く焼き入れするからヤスリがかからないんであって、』
2016-02-24 20:49:01富岡吉勝『三式みたいに装甲が厚い場合には、砲弾が命中した時の衝撃を吸収するためにある程度軟質にしてあって、そのほうが耐弾能力が増すんだという反論を戦車雑誌に載せていましたね。』
2016-02-24 20:49:30富岡吉勝『ところがね、戦時中、九州かどっかで戦車を作っていた人がいて、その記事を読んで丁寧な手紙がその雑誌の編集部に来たそうなんです。それを読むと、戦争の末期には装甲鋼板がなかったんで、三式中戦車は普通の鉄で作ってたそうなんですよ。あっははは!』
2016-02-24 20:50:34近年の旧軍戦車の研究(1990年代末~2016年)を把握している方々は、上記を読んで色々と、・・・色々と思うことはあるでしょう(視線が怖い)が・・・以上、「宮崎駿の雑想ノート」より引用(敬称略)でした。
2016-02-24 20:52:07引用した「雑談トーク 宮崎駿×富岡吉勝」は対談メンバーから内容は推測できるでしょうが(富岡吉勝氏はドイツ戦車研究家、宮崎駿氏は説明するまでもなく)、内容は居酒屋トーク的で主にドイツ戦車の魅力を語るというもので、引き立て役として旧軍戦車の話を引き合いに出したという感じでしょうかね。
2016-02-24 20:54:01富岡氏のおっしゃる「戦時中、戦車の装甲板を研究していた人」とは戦時中~戦後に戦車開発に関わっていた曽根正儀氏のことだと思われます。私は未確認ですが戦車マガジン1980年5月号「痛恨の4式中戦車」に司馬遼太郎氏のヤスリがけの話に反論する内容の記事を書かれているそうです。
2016-02-24 20:54:55その曽根正儀氏に手紙にて反論した人物が居たという話は、あまりにも情報が曖昧かつ真偽不明な点が多いためなのか、私が(無知なだけかもしれませんが)知っている限り近年の旧軍戦車の記事において具体的に(詳細に)取り上げられているのを見たことがありません。
2016-02-24 20:55:41そもそも手紙の内容が真実なのか?ネット上でも何度か話題になったことがあるようですが、曽根氏に反論した人物の姓名や役職や官職など身元も分からず、戦車工場で働いていたという話もあれば製鉄所で働いていたという話もあり、装甲の手抜きが行われていたという正確な場所が分からないようなのです。
2016-02-24 20:59:04手紙が雑誌の編集部宛だけでなく新聞の投書欄に掲載されたという話もありますが何年何月何日のどの掲載誌に投書された物なのか全く不明でした。(単に私の調べが足りず無知なだけかもしれませんが)
2016-02-24 20:59:37富岡氏のおっしゃるように雑誌の編集部宛に手紙が送られたのが事実ならば、曽根正儀氏の記事が掲載された戦車マガジン編集部の関係者に詳細をご存知の方が居られるのでしょうが・・・。おそらく35年以上前の出来事ですのでもう確認することは厳しいかもしれません。
2016-02-24 21:00:04近年の旧軍戦車の研究を把握している研究家や趣味者の方々は、この対談で触れられている内容を真偽不明かつ事実誤認が多い「ヨタ話」として処理されるかもしれません。
2016-02-24 21:00:45しかし、把握されていない方(ミリタリー初心者や旧軍戦車趣味からしばらく離れていたりそれほど関心がない人など)にとっては信憑性がある話として受け止める方も多いかもしれません。
2016-02-24 21:01:23三式中戦車の装甲や司馬遼太郎氏のヤスリがけの件に関しては旧軍戦車研究家の中では一戸崇雄氏が詳しく扱っており、グランドパワー2005年5月号や軍事研究2012年6月号に記事を書かれています。興味のある方は機会があれば一読ください。
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