論理的整合性とよりより理論=反論、あるいは指摘について完結編
先ほど、個人の経験・観察・知覚という有限事象からそれを一般・普遍・無限事象に適用することができない(無限は有限より上位クラスなので、逆=演繹的=論理的は自明だが)、つまり帰納的推論正当化の不可能性あるいは非論理性について述べたが、この帰納と数学的帰納法は別と考えている。念のため。
2011-01-29 05:16:07数学的帰納法はなぜ正当化できるのかはここでの議題ではないので簡潔に示唆するに留めるが数学的帰納法は単純に帰納の推論規則に沿っているのではない、と言う点と、数学と言う体系が日常よりも高度に形式化された体系で斉一性が成り立つという二点にある。
2011-01-29 05:19:48決定不可能命題はあるにせよ、これは斉一性とは関係がない。帰納が推論規則としては数学的に認められていない=形式化出来ていないということは、ゴールドバッハの予想がnをいくら大きくして正しいと言えても、この予想の正統性が証明されたとみなせないということ上げれば十分だろう。
2011-01-29 05:22:26仮に帰納的(有限事象の反復)推論が正しいのであれば、n=例えば1000とかの時点でゴールドバッハの予想は証明されたということになる、フェルマーの最終定理についても同様、あれも、構成的つまり無限的に成り立つことを証明するまで認められなかったことからも明らか。
2011-01-29 05:24:52演繹の推論規則は記号論理学でも形式化されているので、演繹を論理的と呼ぶのが相応しいのは明らかである、だからこそ、無限において成り立つことという大前提を解決することがすべての個別のnについて証明できた、と言える点である。これはyu14fさんの主張と全く同じである。
2011-01-29 05:27:19従って、私がそれは論理的でない、と言った場合は、帰納的で有限事象についての言明だから、論理的に無限のクラスで構成された言明に対しては意味がない、という意味にとってもらっても構わない。それでも論理的だと主張されたいなら、一般・無限言明と初期条件・小前提を示してくだされば良いです。
2011-01-29 05:29:59ただそれを示して下さっ他場合は形式的には論理的であることは認めますが、妥当性はまた別の話です。それは先ほど述べたより良い論理判定基準に沿って私は基本的に思考します、それ以外の要因もあるにはありますが、基本的には。
2011-01-29 05:31:53従って、私が考えるよりよい理論・言明とは(合理性を軸にした場合であり、個人の感情の陳述などについては別の基準で考える)論理的(演繹的=推論基準が妥当であり、複数の意味にとれる名辞がなく、(これが私が複数の意味を想定した場合に定義は?と問う理由である。)
2011-01-29 05:36:00この定義の意味は絶対的に本質的で他に言い表せないという本質主義的な意味での定義ではなくて、基本的な思考力・判断力を備えている個人であれば一つの意味に取ることを相互に合理的として承認することができるというレベルの話である。定義ゲームに興味はないので。
2011-01-29 05:38:39かつ、より少ない、一般・無限言明体系から成り立ちかつ、説明できる範囲がより広い言明かつ、より極端な状況を設定したとしても成り立つ言明であるこれが私が相手の言明の極端な場合を設定してある論理的帰結の整合性をテストする理由である。帰結が妥当でなければ、論理全体がおかしいと言えるので。
2011-01-29 05:44:16しかし逆に一般言明などの前提が正しかったとしても帰結が正しいことは保証されない。推論規則の過程を検証する必要がある。つまり、ある意見の合理的妥当性は、論理的整合性だけでは不十分でかつそれが少ない前提で多くのことを説明出来る必要がある。
2011-01-29 06:31:39猶言及し忘れていたがアナロジーによる説明は帰納的であるにすぎない。なのでアナロジーは論理的ではない。しかしこれが説得に有効的なのは、論理的思考力の無い子供などにも分かりやすさという安心を与えるからであろう。
2011-01-29 06:34:36従ってアナロジーだけでは非論理的だが、論理的整合性を保ちかつ先ほどのよりよき言明の為の条件を満たした上でのアナロジー=例示(具体的、仮想的を問わず)は、よりよき論理的整合性が高い意見=合理的妥当性が高い言明に分かりやすさを加えることができるだろう。
2011-01-29 06:37:38