見識の違い、対話の断絶はなぜ生まれるのか?<立場・態度・性格・情報>【左翼・右翼】【封建主義・ジェンフリ】【保守・革新】<各論・総論>
「盲人、象をなでる」とは
数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場する。
盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合う。
しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まる。
しかし何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する、というもの。
「群盲象を評す」
https://ja.wikipedia.org/wiki/群盲象を評す
イメージ画像
http://pds.exblog.jp/pds/1/201102/26/62/b0167962_6472424.jpg
群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす、群盲評象)は、数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う、というインド発祥の寓話。 ないという一言で話が終わる世の中、 みんなでひとつの事を語り合うことは とても重要です pic.twitter.com/NTd5gahtnr
2015-04-09 17:58:39こっちが自制して、どうにか有効利用しようとしても、 ゴミカスが、センスと頭と真面目さの問題で、 到底一緒に、溝の認識を通して、 さらに広く深い理解を共有できる人間ではないと分かった その事件じたいから感じたことも含めて、 自分なりに分かってきたことを一人で考える為にメモっておく
2016-03-17 16:24:28・態度が真面目じゃない。 ・「正しい俺が、間違いを分からせてやる」という姿勢で、 対話のなかで、新しい発見やインプットをする可能性がない。 ・話を聞いていない。 ・相手が何を言っているのか、話を分かろうとしてない。(反論するにしても)
2016-03-17 16:30:44・「相手はなぜ、この考えをするようになったのだろう?」 ということに対する興味がない。 ・大前提に目を向けず、各論のツッコミに終始。 各論や瑣末な意見の前提にある【(大)前提】の違いに目を向けず、 「各論での相手の意見を、自分の意見の前提で批判」する。無意味。
2016-03-17 16:36:47・対話や議論が、ゲームや勝ち負けになってしまってる ・負けて間違いを認めたら、合流・同化する義務があるなら 意地でも自論にこだわり、相手の意見を拒否する頑なさで正しい認識をすることが阻害される ・故に、料理や音楽の趣味のように「君のそれの良さを教えて」と参考にする姿勢が良い
2016-03-17 16:40:15・溝への注目の重要性を把握してない。 いわば溝の形やサイズのような、溝じたいを理解することが、 現状認識、自己理解、他社理解に必要な肯定であると認識していない。 ・溝じたいを解明すべき謎としてとらえていないで、 二者択一の勝ち負け的な独善さで、自論への固執に終始する。
2016-03-17 16:44:19・ざっくりいうと、「歩み寄り」の感じがない まさに「盲人、象をなでる」で 「なぜ、お互い同じ象を触ってるのに、 違う形の動物のように思うのだろう?」 という【視点を一つ上の次元に上げた問いの立て方】をしない。思う浮かびもしない で、鼻を触ってる奴が「どこが扇なんだ」と怒る
2016-03-17 16:48:14・溝を把握してない ・見てるものが違う ・話してる次元が違う ・問題のとらえ方の次元が違う しかし、この↑状況や問題を メタ認知的に認識せずに 相手が、【自分の狭い視野と狭い理解から出した見識と答え】 とズレてると、 自分のほうが視野が狭いのに 冷笑しながら「教え」ようとする
2016-03-17 16:51:07ここ重要
■あと、溝への理解ということは、ほぼつまり、
【A】見識の違い
を認識するということです。
(見識の違い=)
・立場 ・性格 ・考え方 ・前提知識の違い等を
を認識するということです。
<1>
お互いの違いを通して、お互いが、
自分の立場 ・性格 ・考え方 ・前提知識
を改めて理解、再認識し、
相手の立場 ・性格 ・考え方 ・前提知識
を知って把握したうえで、
<2>
その二つの差を知り、
<3>
そこから、その結果としての
お互いの見解の違いや
各論における意見の違いを見直すということです。
1.2.をしないで、3だけをしても意味がないです。
各論に対する答えの出し方を決める、理想や性格が違うのですから。
■ちなみにこれ、1,2,3の順だけで進めて、解明させるものではないです。
・各論・総論への答えの違い、
・それらの違いを生む前提の違い、
この2つは、同時に解明していくものですね。
具体的な細かい見解の違い、大前提の違いのあいだを行ったりきたりしながら。
■ただ、大前提じたいの溝を前向きに興味を持って、お互い理解(同意見という意味でなく、相互認識)しようとする姿勢なく、
「君の案は、俺の理想を実現しないから間違いだ」はナンセンスですよね。
ここ重要【2】
■あと、これをしておくと、
各論の意見の違いが、それが「性格から出てるものなのか」、「立場の違いから出てるのか」、「持ってる情報の違いから出てるのか」も分かり、
さらに、相互認識を高めて、普遍的な共通認識「扇でも、蛇でもなく、象という巨大な動物なのか」を得ることに役立ちます。
これ、犯人の目撃情報なんかが、目撃者同士で異なっていたら
お互い協力して「なぜ矛盾が生じたのか、見た角度か、見た時間帯か、犯人は2人いるのか」など
前向きに、お互いの情報をちゃんと聞いたうえで、すり合わせ、真実を発見しようと思えるのに、
政治なんかの話だとそうはいかない。
なぜなんでしょうかね。
それは、自称目撃者を名乗る犯人が、嘘の情報を言ってるとかの魂胆がある場合、
とかでなくても、そうなりがちだと思います。
政治なんかに関しては。
ああ、音楽やゲーム、ハードウェアの優劣なんかについてもそうですね。
議論が勝負みたいになる弊害もあるようです。
「こうするべき!」「この価値観が素晴らしい!」「こうするのが正解!」というこだわりがあった。でも境界線について学んでいくと「自分にとっての正解が相手にとっての正解とは限らない」「相手には相手の自由がある」という当たり前の事実に気が付き、価値観を押し付けるのはやめるようになった。
2016-03-19 15:16:27夫のメガネをかけてみたらぼやけて全然見えないので こんなんじゃ危ないよ!私のかけなよ、ほら全然こっちのがよく見える!と言って狂人扱いされた
2016-03-19 16:55:14