アナロジーの耐えられない軽さ:今、思想界が問われている。
CoCo壱のカレー鍋の素がございまして RT @yutakioka 猫鍋にしてしまいますよ~www。たわけ☆ お疲れ様です~。@gyaooo たわけっ☆
2011-02-08 01:05:52@yutakioka んでも、大学院のゼミで、「精神分析の四基本概念」購読することになって買わされたけどねー。・・・そういえば、その講義の時間は一回も出た記憶がない。そして本は読まずに売ってしまいましたがw
2011-02-08 01:06:43いや、精神分析は立派な宗教なんですよ、あれは。反証不可能だからです。無意識の願望がある、と言われると反論はできないw。RT@Thomas_roi なんで精神分析の分野って「信者」のような人が多いのでしょうかね。難解に見えることと、恣意的な理解を許す余地があるからでしょうか…。
2011-02-08 01:07:42哲学!?僕は例え満足した豚でも、自分あるいは手の届く範囲の人が幸せであるなら、それでいいのではないかと思います RT @yutakioka: そうですね、豚もいろいろ違いますね、J. S. ミルの豚と一般的豚は異なりますし、ton_2_ さん共異なりそうです。RT@ton_2_
2011-02-08 01:10:03@ishtarist 勝ち組かもw 社会学界隈レベルの排他性にヘキヘキするなら、ラカン派の人々のテクストの醸す空気も合わないかもしれないし。ジジェクも読んでないですか??
2011-02-08 01:11:17@Thomas_roi 例えば、フロイトの夢診断を読んでも分かりますが、どんな夢でも願望充足と言うことができます、仮に願望充足に見えない夢でも、それは現前している夢であって、潜在夢で解釈すればそうなんだ、と言えるわけです。また潜在夢解釈でも無理な場合も解釈可能です。
2011-02-08 01:11:25オタですが、小倉先生ほどではありません~wwwww。RT@gyaooo 乗って来おったがwwwwwしかしあのまとめ、ねこぱんちヲタのタキオカですら唾棄しとったのwwww流石じゃwwww
2011-02-08 01:12:24タキオカがおぐりんいじり始めとるがwwwwwくそわろたwwwww RT @yutakioka オタですが、小倉先生ほどではありません~wwwww。RT@gyaooo 乗って来おったがwwwwwしかしあのまとめ、ねこぱんちヲタのタキオカですら唾棄しとったのwwww流石じゃwwww
2011-02-08 01:13:27@Thomas_roi それは、こういえばいいんです、私に精神分析をされたくないので反例を出したいというあなたの願望の表れだ、と。フロイトのダビンチ解釈を見ても分かるように、あれはいつの時代でも、どこでも、だれでも、てこ応できて、しかも反証不可能な完全に宗教です。
2011-02-08 01:15:05@Thomas_roi ポパーも精神分析を占星術と同列に上げて批判しています。またとりわけマルクスの二項対立的弁証法も宗教ですね、あれも、反証不可能ですし、フロイトの精神分析同様、あの理論に当てはまるように見える事例はいくらでも出てきます。階級と定義できないものはないので。(笑)
2011-02-08 01:16:58@yutakioka なるほど。反証可能性のない物語を一気に与えるのは確かに宗教だ(笑)それにしても、例えば文学批評なんかの他分野で使われているところを見ると、よく出来た物語ではあるのでしょうけれど…。
2011-02-08 01:18:30@ishtarist なるw こう言うとその道の方に怒られちゃうかもしれないけど、ジジェクの言ってることって先が読めるし、それ精神分析的アプローチじゃなくてドゥル&デリダでオッケーじゃね?って感じがしちゃうんですよw
2011-02-08 01:18:42@Thomas_roi なので精神分析が非科学的で非合理的であるのは確かです。しかし、全く有用性がないとも言えない場合はありえます、しかし、それは個人を観察する場合のみであって、一般的な結論などは導き出せない帰納に過ぎないのでとても弱い示唆でしかありえません、論証とはいえません。
2011-02-08 01:19:37@totojuni_sanche なるほどねー。思うんだけど、精神分析にしても、るーまん屋さんにしても、「その理論使う必然性ってあるの?」って思っちゃうことが多いのよね。なんていうか、あまりにも理論の存在論的負荷が高すぎるっていうか・・・
2011-02-08 01:20:39ええ、よくできた物語なので、メタ物語として物語分析できたりはしますから、文学の範囲だけであれば有効です、でも、どうしても宗教じみるという欠点は残ります。RT@Thomas_roi 例えば文学批評なんかの他分野で使われているところを見ると、よく出来た物語ではあるのでしょうけれど…。
2011-02-08 01:21:08@Thomas_roi あるいは芸術でも、一般的結論を引き出さなければ使用しても問題ないです。しかし、一般的結論が導出不可能な物を理論と言えるかどうか?あるいは使いたいかどうか?と言われたら私は使う必要はない、といいますけど。(笑)
2011-02-08 01:22:53つまり、理論の強さとか弱さの問題というのかな。ある事象を複数の理論で説明できるときに、あまりにも「強い」理論を使うのは避けるほうが良いんじゃないかということ。
2011-02-08 01:24:00ここで「強い理論」というのは、内的整合性が高いという意味じゃなくて、あまりにも特殊な存在論を提唱しているがゆえに、他の理論や他の学問分野と折り合いをつけるのが非常に難しい、という意味。
2011-02-08 01:25:35精神分析が宗教じみるのはアナロジーによる思考であり、かつ反証不可能であるから。だから分析の結論を絶対に一般化できない。原理はアナロジーなので、この原理を使うとどうしても帰納という方法しかとれない。従って論理的ではありえない。また反証不可能なので科学的でもない。
2011-02-08 01:26:01同意。その上で、瀧岡さんは精神分析にどんな場所を与えればいいと思いますか?それとも場所は不要?RT @yutakioka: 精神分析が宗教じみるのはアナロジーによる思考であり、かつ反証不可能であるから。だから分析の結論を絶対に一般化できない……。
2011-02-08 01:27:38