- motidukinoyoru
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彼らのフリーライド論ってどこに基準があるのかわからない。 たとえばソニーが優れたパソコンを生み出したことで、優れた商品が効率的に生み出され、余暇が増え、ソニーのパソコン購入者以外にも実質の利益が発生する。だからそれに金を払うべき…とかいくらでも言えそうじゃない?
2016-10-11 23:29:21第三者に発生する間接的利益についても、第三者も金を払うことを前提にした供給量を基準にすべきで、それをフリーライドとみなすと過少供給である…という話なんだろうが、そう言う社会全く想像できないし、どう定義、計算するのかさえ全くわからない。
2016-10-11 23:35:50どういう場合に「払った金額以上の付加価値をえられない」の意味の過少供給になる?フリーライドされる側が払うならそれでもした方がマシだから(相応の価値あり)ってことだし、供給されずにフリーライダーが困るなら今度は納得できる範囲の金を払うようになるだろう。もし払わないなら単に価値がない
2016-10-11 23:42:291. まず資本主義は自壊することはない。経済が、社会がどれだけ発達しようと人々に合った量の取引が行われるのは外部の力が加わらない限り変わらない。 2. 人々の生活を改善するのは政府の仕事ではなく自分達の仕事。市場で気の合う相手を見つけ、取引をして自分で生活を安定させよう。
2016-10-12 00:18:22市場における交換の選択(あるいは消費の選択)の均衡が望ましいのは、その選択が、各人にのみ利益(や損失)を与える場合に限る。 外部経済、外部不経済があれば、効用から見て過小供給、過大供給が生じることになる。 もちろん、発生する外部性の程度によって、介入の是非は異なるが。
2016-10-12 06:07:07ソニーの商品の外部性がどの程度かを考えてみないとわからないが、似た発想としては、研究時点では採算性の取れていない基礎研究のコストを公共が担うケースが類似的に該当するかもしれない。 これは必ずしも政府を介するとは限らなくて、ソニーが他の商品の価格に研究費分を上乗せしたかも知れない。
2016-10-12 06:11:05「市場の均衡が理想的であり、故に市場にあまり介入すべきでない」という結論は、「市場における交換の利得は、その当事者のみに便益や費用をもたらす」という前提に依存しているので、前提を取り除くなら、そこから得られる結論も失われる。 その上で市場活用の道を模索しているのが経済学者。
2016-10-12 06:20:25以前も書いたが、疾病が蔓延するようになれば、フリーライダーも接種を受けるようになる。 しかし、ここで重要なのは、疾病蔓延状態になった時点で、フリーライダーも損している(厳密には計算してみないといけないが)ということ。 twitter.com/motidukinoyoru…
2016-10-12 06:23:32フリーライド問題は、単に不公平であるという点を越えて、基本的に集団免疫を悪化させがちという難点を持つ。 というのは、フリーライダーにとって、接種の判断をする基準は接種のB/Cの増加であり、接種のBは、集団免疫の脆弱性→疾病蔓延によって上昇する。つまり、いざ蔓延するまで接種しない。
2016-10-11 17:35:47資本主義が自壊することはないというのは単純な願望でしかないのでは。 長期的停滞を通じて寡占圧力は強まり、経済悪化による社会的なコスト(自殺、犯罪、政治的混乱)は高まる。 それでも自由なら良いんだ、と信じるのは各人の勝手だが、周りはそれに同意するだろうか。
2016-10-12 06:31:24最悪の場合、資本主義の機能停止を見せつけられた人々は、資本主義に見切りをつけようとするかもしれない。国家社会主義が蔓延したのは、そういう背景もあったのでは。 それに対しケインズ(ケインジアニズム)は、資本主義の保護に回ったから、社会主義の最大の宿敵となったわけで。
2016-10-12 06:34:17根本的な話をすれば、リバタリアンが思っているほど市民は自由を有り難がってはいない(少なくとも、自由以外の価値とバランスを取っている)ので、自由放任の弊害を何かしら抑制できる機構(別に政府じゃなくても良い)を用意しておかないと、「自由に対する反動」を防げないという話。
2016-10-12 06:37:31自由に対し政府介入を対立させる考え全てに思うことだが、庶民が政治的な影響力を持つ統治体(それは必ずしも民主主義とも限らない)において、政府介入もまた市民の自由なのではないか、ということを本質的に反駁できるのだろうか。 市場だけで解決できるという考えには、特別な前提が必要なのだが。
2016-10-12 06:46:31リバタリアンにとっては、介入が1つでもあれば常に自由からの離脱なので、そうなるのだろう。 仮にケインジアニズムが自由(正確には資本主義)を一定以上守るために機能し、社会主義に対する本質的な防波堤(社会主義の天敵)として機能したとしても、自由の敵として認定されてしまう。
2016-10-12 06:51:08でも、完全なる自由に"囚われ"て市場を放任し、自由からの反動を却って促すような思想は、社会主義にとってむしろ有難い存在であることは押さえておきたい。そして、自由からの反動を抑制する(少なくとも、完全自由からの乖離を最小化する)ケインジアンが、社会主義の本質的な敵であることも。
2016-10-12 06:54:18@motidukinoyoru それは私有財産の保護の一環だろうと理解しているが、外部性の話は入れておくべきだという点は同意。
2016-10-12 07:40:11そもそも市場に解決できないことをなぜ政府が介入することで解決できるとでも思うのかが不思議だし立論責任はそっちにあると思う。
2016-10-12 07:47:11@hilitespecial 市場というものそれ自体の成立が、何らかの統治体なくして存在し得ないので、そもそも政府なしの市場というのがユートピア的(もっと言えば幻想的)だという現実的な問題もある。 本当のところは、「市場にどれだけの自由度を与えるか」という話にしかならない。
2016-10-12 08:09:22市場の失敗を調整する方法を模索するのもまた経済学の一つの方向でしょう。 公共(必ずしも政府のみではない)によるある種の介入が、均衡を改善するという研究は枚挙に暇がないが、手始めに「外部不経済の内部化」とか「公共財」の周辺理論を整理してみると良いと思う。
2016-10-12 08:14:34公共≠政府というのは結構大事な要素で、行政が主体的にコントロールした方が良いのか、利害関係者の(非市場的な)協議の場を政府が提供し、その決定を担保するだけで良いのか、というところはきちんと詰めておく必要がある。 利害調整を考慮せず、行政が常に天下り式に決めるのは良くないだろう。
2016-10-12 08:19:11@hilitespecial 自由程度が高い方が良いという結論は、極めて狭い前提から導かれている(参考拙記事:ameblo.jp/nakedcds/entry…)ので、介入がなければないほど理想均衡に至るという考えは、介入すればするほど理想均衡に至るという考えと同程度の誤りを持つ。
2016-10-12 09:00:12@hilitespecial そもそも原初の交換関係でさえ、その交換が成立するだけの社会関係が前提になっている。その社会関係が大規模かつ複雑になるにあたって(債務債権関係[時期を跨ぐ交換]が生まれるなど…)、その諸問題を統括・解決する組織を不可避的に必要とするようになる。
2016-10-12 09:03:18@motidukinoyoru 社会関係?が先にあり、交換が出来る という因果では、どうやって社会関係が成立したのか説明できない。 全く逆で、交換(の必要)が先ですね。 マット・リドレー「徳の起源」「繁栄」なんかに詳しいですね。
2016-10-12 11:49:47社会主義的な産業保護政策は、全体に行き渡るほど全体が足並み揃えて非効率化するだけで旨みはなくなる。それくらいの認識は一般にもあるだろうから(社会主義は失敗したものとみなされているので)、社会主義を防ぐために介入が必要だなんて話自体がおかしい。単に介入を防ぐかどうかだ。
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