光武帝・袁術・曹丕・鄭玄らが信じた讖緯は、ただの予言・迷信なのか? 後漢王朝建国の原動力となり、社会全体に大きな影響を与え続けた重大な儒教思想。

三国志などでよく語られ、意味を理解しにくい言葉に「讖緯」(緯書・図讖とも)、主に後漢王朝を建国した光武帝、後漢末の群雄・袁術、魏王朝を建国した曹丕が皇帝に即位するために信じた(あるいは利用した)ことで知られています。しかし、中国史の様々な思想が融合したものであり、さらに政治的意図・宗教的概念が含まれるため、非常に理解しにくいものとなっています。そこで、今回、讖緯研究で知られる安居香山の学説を中心に、まとめてみました。讖緯は複雑な概念ですが、表などをつけましたので、皆さんの理解の一助になれば幸いです。
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まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

また、安居香山は、「天」とも呼ばれる形象を持たない有意志の宇宙を主宰する絶対神である人格神を「天帝」と呼んでいますが、さらに古い呼称と思われる「上天」という呼び方にしていることもご注意下さい。

2016-11-06 01:11:32

3.讖緯について

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まず、「讖緯」という言葉の意味です。「讖」とは、未来予言。「緯」とは、経書を陰陽五行説などの神秘的思想で解釈したものを指します。これは陰陽五行説を信じる側の解釈ではなく、儒者側から積極的に行われました。 pic.twitter.com/ptxXlyVeKz

2016-11-06 01:13:43
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4 「讖」について

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「讖」と「緯」は実際の用例的には厳密には区別されていませんが、安居香山が行った「讖類」と「緯類」に区分に沿って、順にまず「讖」について説明します。

2016-11-06 01:14:47
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「讖」とは、天文占などの未来予言のことを表し、讖緯全体の約半分の分量を占めるものです。その元になったのは、中国古代において一般的な考えとして広く浸透していた善政に対する『瑞兆』(めでたい兆し)と、悪政に対する『災異』(天変地異)が訪れるとする思想です。

2016-11-06 01:16:04

4(1)祥瑞説

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「祥瑞」の考えは「論語」にもあらわれ、孔子時代(紀元前6~5世紀)から存在が確認でき、中国の古代には、「善政の証拠として瑞獣(鳳凰や麒麟など)があらわれる」という考えが定着していました。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94…

2016-11-06 01:16:55
リンク Wikipedia 孔子 孔子(こうし、くじ、拼音: Kǒng zǐ 、朝: 공자〈gongja〉、蔵: チベット文字:ཁུང་ཙི།; ワイリー方式:kong rtse;[コンツェ]、紀元前552年9月28日‐紀元前479年3月9日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の名で知られている。読みの「こうし」は漢音、「くじ」は呉音。 有力な諸侯国が領域国家
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さらに、この予言は、全て上に立つ為政者(天子)に対するもので、そこに大きな特色があります。政治を糺す意味でも重視され、次第に、鳳凰や鸞があらわれることで、善政が行われる予言という扱いになり、予兆と理解されました。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9…

2016-11-06 01:19:19
リンク Wikipedia 天子 天子(てんし)とは、中国や日本で用いられた君主の称号。天命を受けて天下を治める者の意。中国の周王や漢代以降の皇帝、日本の大王・天皇の別号として用いられた。 王は天(天帝)の子であり天命により天下を治めるとする古代中国の思想を起源とする。周代、周公旦によって「天帝がその子として王を認め王位は家系によって継承されていく。王家が徳を失えば新たな家系が天命により定まる」という「天人相関説」が唱えられ、天と君主の関係を表す語として「天子」が用いられるようになったという。秦の始皇帝により、天下を治める者の呼称が神格化
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この思想は次第に漢代になると、予言思想として、儒家などに緯書に取り入れられ、讖緯思想として総括されたのです。瑞兆のパターンをまとめると、図表の通りになります。 pic.twitter.com/7VELdBfThV

2016-11-06 01:20:39
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なお、ここでいう天子とは、中国的世界観による上天信仰から生まれた概念です。上天とは、「天」、「天帝」、「皇天」、「上帝」などとも呼ばれる宇宙を主宰する絶対神であり、かつ、形象を持たない有意志の人格神のことを指します。

2016-11-06 01:21:38
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この上天の命令を奉じ、地上の王権として天下を統治するのが王(天子)にあたります。王は、上天ら神々と人間とを仲介できる特別な力を持った聖人でなくてはなりません。その聖人が天命を受けて、聖王となり、上天に仕え、意志を通じて、地上を統治します。

2016-11-06 01:22:36
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この役割を理想的に果たしたのが、天命を受け、新しい王朝を開き、理想的な政治を行い、地上を統治したとされる堯・舜・禹(夏)・湯(殷)・文王(周)・武王(周)という古代聖王たちです。(三皇五帝の他の該当者も含まれることがあります)ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89…

2016-11-06 01:23:34
リンク Wikipedia 三皇五帝 三皇五帝(さんこうごてい)は、古代中国の神話伝説時代の8人の帝王。 三皇と五帝に分かれ(誰が該当するかについては諸説ある)、三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされ、理想の君主とされた。 伝説では、最初の世襲王朝・夏より以前の時代とされる。 三皇については諸説あるが、以下のような5説がよく知られている。 最初に表れるのは天皇・地皇・人皇という天地人三才に由来する抽象的な存在であるが、後には人類に文明をもたらした文化英雄が名を連ねる。これらは前漢末から隆盛した神秘主義的な讖緯思想によって半獣半神の姿をし
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これが古代の王者と呼ばれる聖王であり、漢代以降の天子(この時代には王ではなく、皇帝という呼称に変わっています)にとっては、模範とすべき理想の先達にあたります。古代聖王の教えを伝える典籍が経書と呼ばれます。(経書については、後で説明します)

2016-11-06 01:24:08

4(2)災異説

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「災異」とは、天変地異のことで、「災」とは自然災害、「異」とは日食などの自然の変異現象を指します。これは「天」の考えと深い関係があり、天そのものである「上天」が災異をくだし、人間や社会・国家の運命を左右するとした考えです。

2016-11-06 01:28:03
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こうした思想を、「天人合一思想」、あるいは「天人相関思想」と言います。さらに、この天人合一思想では、災異は「上天」が人間の起こす人事現象に絡んで起こすものと考えられました。

2016-11-06 01:28:29
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『天人相関思想』は春秋戦国時代以後、秦漢時代に思想界を風靡し、神秘思想の流行の思想的基盤をなしました。やがて、特異現象は「災異」としてまとめられ、災異思想を形成されたのです。 ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5…

2016-11-06 01:29:02
リンク Wikipedia 春秋戦国時代 春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)(中国語:春秋战国时期|拼音:chūnqiū zhànguó shíqī)は、古代中国における周王朝の後半期に区分される時代であり、紀元前770年に周が東西に分裂してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの、およそ550年に渡る期間を指す。 周王朝が、鎬京を都としていた紀元前771年以前を西周と呼び、洛邑が都になった紀元前770年以後を東周と呼ぶ事から、東周時代とも別称される。もっぱら春秋戦国とひと括りにされるが、紀元前5世紀を境目にした前半期を春秋時代とし
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前漢代に発展した『災異説』では、善政を行わないと天が王朝を滅ぼすこともあると説き、皇帝権力をも制限したと言われています。こうした、漢代には災異説は体系化されました。その論旨は図表の通り、段階的に上天によって、無道な天子に対して、災異が行われるというものです。 pic.twitter.com/TyXWZUBYdn

2016-11-06 01:32:00
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