フォーラム「コンタクト・ポイント:東京ビエンナーレ1970」 峯村敏明氏・小清水漸氏・渡部葉子氏[実況]

2016年12月12日(月) 18:00-20:00 慶應義塾大学三田キャンパス http://www.art-c.keio.ac.jp/news-events/event-archive/tokyo-biennale-1970-as-contact-point/
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みそむーおでん @misoni_2013

報告会/フォーラム「コンタクト・ポイント:東京ビエンナーレ1970」 2016年12月12日(月) 18:00-20:00 art-c.keio.ac.jp/news-events/ev…

2016-12-12 18:03:38
みそむーおでん @misoni_2013

実況ツイートはその場で話を聞き書き起こしているため、誤字脱字、筆者の誤読等あり、発話者の意図と異なることもあります。

2016-12-12 18:07:31
みそむーおでん @misoni_2013

登壇:渡部葉子、小清水漸、峯村敏明

2016-12-12 18:08:01
みそむーおでん @misoni_2013

最初に基調講演。渡辺葉子から。 渡辺「英国、CONTACTPOINTSの画像。ここで後半東京ビエンナーレの話に。TATEでフェローをいただきその関連展示かレクチャーとして、スーキョンから誰か関係者をお招きしたいと峯村敏明を招いた。そして小清水漸も

2016-12-12 18:10:19
みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「TATEには小清水漸の良作品が所蔵されており、画像はその前でお二人が話してる風景だ。人間と物質の間というテーマの部屋。

2016-12-12 18:11:21

[修正]
渡辺→渡部(渡部葉子) 
以下同様

みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「画像は通訳を交えてお二人が話してる状況だが、時間が少なく、、、今回色々話してもらいたい

2016-12-12 18:11:47
みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「人間と物質展、最近は研究も進み関心も高くなったが、1969~1970年のゼーマンの態度が形になる時というコンテクストに連なるものとその時発表した。当時の画像や出品者も紹介。 当時、小清水は最も若い作家として参加。フラナガンやアンドレ、クリスト、、、等々

2016-12-12 18:13:01
みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「展覧会は中原佑介の批評感というかコンセプトを元に作られたもの。中原は現場主義、現場で作品作り設置をする時代であり、4分の3の作家がそれに当たる。ハーケは東京都美術館を知らないので現場に行って知り作ると言っていた。

2016-12-12 18:14:37

[修正]
現場主義→臨場主義

みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「カタログの役割だが、出品リストがそこにない。臨場主義を徹底しており、事前にわからないため作らない。そこでサプリメント、記録行為が作られ、二冊セットとなった。

2016-12-12 18:15:23
みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「カタログはコンセプトを示す、3ページ与えられそのうちの1ページは自由な表現となり、ドキュメンテーションとしてのリストはリストもあり、イベントを出来事として記録した。

2016-12-12 18:16:15
みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「昨年度の慶応大アートセンターの研究成果として、どのような場所で展示されたか再構築した。中原は後から展示場所意図を語ってないが、作家一人に一箇所か二箇所与えると繰り返し述べていた

2016-12-12 18:17:16
みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「中原の意図はゼーマンの意図とは随分違う。ゼーマンは一箇所にごちゃごちゃと展示させるが、中原は一部屋に一人であり、東京都美術館の設計がそうさせたのだろう。 コンセプトを立てて作家を選ぶ、そして現場は作家のものだと考えてたのでは?

2016-12-12 18:18:23

[修正]
一つの部屋に一人→一つの部屋に一人あるいは二人

みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「クリストは50mプール並であり非常に大きい。態度が形となる時と大きく異なり作家の実感も異なると思われる。 日本の作家とはなれ、人間と物質のテーマを元に選ばれたことが河口にとって非常に自信となったという。

2016-12-12 18:20:04
みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「海外も日本も分け隔てなく選択したこと、それがインターナショナル同世代コンテクストに入ることが出来たコンタクトポイントだった、と

2016-12-12 18:20:07
みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「女性作家の出展については、当時としては意図的排除でなく、元々考えた作家の体調不良もあったり、また、訪れた女性作家もいたようだ(具体名聞き取れず

2016-12-12 18:21:01
みそむーおでん @misoni_2013

渡辺「中原佑介の1批評家のコンセプトに貫かれたもの、つまりゼーマンは生粋でエキシビジョニストであり有能なキュレーターであり、つまり自分の作品のように考えてたと思うが、 それと異なり、展覧会は批評行為として展覧会を通して展覧会を問おうとしたのではないか

2016-12-12 18:22:53
みそむーおでん @misoni_2013

基調講演終わり。 次、峯村敏明

2016-12-12 18:23:07
みそむーおでん @misoni_2013

峯村「東京ビエンナーレ1970については、関わったというか、半分くらい身を浸した人間で、思い入れは深いのでは?と思われがちだがそうではない。40年以上前であり、ビエンナーレで働く少々前から批評家になろうと密かに考えており、

2016-12-12 18:24:15
みそむーおでん @misoni_2013

峯村「その後今日まで芸術と批評について考えてると、経験したこととはいえ大変昔のことになってしまう。身近なことも批判的対象とする批評家の宿命だ。また健忘症ということもあるだろうw

2016-12-12 18:25:09
みそむーおでん @misoni_2013

峯村「展示箇所まで探り当ててくれたのは、本当に感謝する以外ない。40人のうち30人程度は記憶で名前もでてくる程度だしね。

2016-12-12 18:25:46
みそむーおでん @misoni_2013

峯村「中原佑介について話すべき会だが、彼のような先輩批評家に惚れ込みこの大きな仕事をお願いした。私は新聞社で美術担当であり、その催しをしてて、毎日新聞社の大きな事業を大きな手入れをしようと動いてた時期だ。先輩批評家とは交渉を持っていて、中原の文章に関心を持つように

2016-12-12 18:27:11
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