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ハイデガー読解201701 オイディプス時間=仮象とは別の確実性が語る=触発すること

私たちは偽物の確実性の中で苦しんでいる。そうした仮象の形而上学を払拭させること。ハイデガーはそれをカント書の一元論から語り、デリダはそうして語られたハイデガーの形而上学批判期を、ハイデガーが仮象としたオイディプス時間から逆向して読解する。その不確実性について。 科学的認識=確実性が無意識に封じ込めるもの。そうした仮象性を暴露するハイデガーは、二元論=潜勢から語らない。コペルニクス的転回とは科学的認識のことではなく、それがオイディプス時間へと蹴落としたもの、一元論から、じんわりと触発的に、語りを出発させることだ。 続きを読む
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

鈴木英明論文ではカントにならって「不可知なもの」と呼ばれる超越論的構想力だが、こうした深淵に、その後のハイデガーであるGA65では別の名前が与えられた、というタカ基地さんの洞察はカントの億万倍もスピーディー。twitter.com/BeTakada/statu… @BeTakada

2017-01-17 05:07:59
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

しかし、鈴木英明論文にあるように、実在論である認識論的転回によって、リベラリズムはどんどん欺瞞的になってしまうが、アメリカの国家戦略でもある比較文学がピュアリベラリズムであるように、カントの本来の超越論的構想力とは、よりピュアな自由を言い当てていたのでしょう。@BeTakada

2017-01-17 05:13:02
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

「コペルニクス的転回」は(新カント派やカッシーラーがいうような)認識論的転回ではなく、そんなところに文化、つまり人類学ははない、という解釈学が台頭したということなのだが、そうした解釈学的状況の発端は初期ハイデガーの、偽パウロ書簡=終末論批判だったんでしょう。@BeTakada

2017-01-17 14:17:10
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

不労所得者は食うべからずという偽パウロ書簡が、第一次大戦後に終末論として流行した。しかしそれは本来のパウロの時間論ではない。というのがハイデガーの解釈学、つまり現象学とは話題の志向性を含む、という形式告示的解釈学 twitter.com/sunamajiri/sta… @BeTakada

2017-01-17 14:18:57
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

この話は実は面白い。twitter.com/rocayicitasu91… 働かざる者=資本家は食うべからず、の元になっている偽パウロ書簡(テサロニケ信徒への手紙2)は、終末論と言われることが多いのだが、それに対して~

2016-07-29 22:15:21
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

~だっただけです。たまたま今、神学修士の知り合いが、勉強するものがないと最後に行き着いたのが投資の勉強だと言ってきた。ニューハーフ商売を畳み、音楽の勉強とアプリ開発と思うも、個人で開発できるアプリなど限られている。勉強するなら投資だ、と言い出したんです。@BeTakada pic.twitter.com/J3sqOY34XI

2017-01-17 14:25:56
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

資本家は食うべからず、というレーニン的な終末論は、パウロの本来の時間論ではない、というのが初期ハイデガーの形式告示で、それが本来の転回を志向させる、というのが内的必然性と定式化された問題だが、たしかに働く者は食うべからず、というグローバリズムになった。@BeTakada

2017-01-17 14:31:21
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ここで転倒してはいけないのは、ハイデガーの基礎存在論が、そうした世界観(グローバリズム)というイデオロギーでは、食べれない、という生物論をしていることです。この『世界観では生物は生きていけない』という基礎存在論があったればこそ、という話になる。@BeTakada

2017-01-17 14:35:36
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

この、あったればこそ、という内的必然性が問われるのだが、ところがそれを内的必然性と理解できないとどうなるか。世界観から生物を抽出(救出)する分析作業である基礎存在論の言う、先駆的決意性=終末論に回帰してしまうのです。しかし、それは形式告示であるにすぎない。@BeTakada

2017-01-17 14:37:32
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

あったればこそ、形式告示、内的必然性。それらによって本来の話題を現象学できる。あるいは現象学は話題の志向性を含むことができる。そういう話をしようとしていますね。そこでは一切の終末論が排除されるのです。現象学は形式告示的解釈学があったればこそ、なのです。@BeTakada

2017-01-17 14:40:10
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

この、あったればこそ=内的必然性による転回、つまり転回とは恣意性ではない、という形式言語があったればこそ、コペルニクス的転回を現象学とできる。ところがカッシーラーは、転回は認識による恣意性であるとして、まさに文化に箍(たが)をはめてしまったのでしょう。@BeTakada

2017-01-17 14:47:10
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

このカッシーラーの終末論的文化哲学の翻訳者は全共闘です、全共闘が三島を総括しようとして総括されてしまったという話( togetter.com/li/1070250 の末尾)をしたが、ハイデガーは、そうしたカントの本来の総括の話題をした。それが超越論的構想力です。@BeTakada

2017-01-17 15:00:37
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

三島に引き寄せれば、三島も超越論的構想力に突破していない。つまり文化に箍はめされたままです。だから彼はリアリズムに依ってファンタジーを構想しようとしてしまい、現実逃避だけの失敗に終始しただけです。詩学はそんなところにはない。@BeTakada

2017-01-17 15:02:51
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

重要なのは、世界観では食べれない、という本来の形式があったればこそ、詩学が生じるというハイデガーの現象学なのです。世界内存在というのは、世界観ではないということです。それでは生物である人間は生きていけないばかりか、コトバを紡ぐことが絶たれるのです。@BeTakada

2017-01-17 15:04:45
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

蛇足だが、FBでリトさんに「詩人である」と呼ばれてしまった。しかしそれはハイデガーなのだ。確かにハイデガーは韻文の書き手ではないのだろうが、散文、それも人一倍饒舌な散文で、詩人となった。私もそれに少しは倣いたい。bit.ly/2jZzRUt @BeTakada pic.twitter.com/BfPF5721eV

2017-01-17 15:11:26
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

みんな読まないで好き勝手に認識し、それを科学的だと満足してしまっている。それが人文学の危機でもあるのだが、専門家の問題だけでなく、世の中の全体が「科学的かどうか」という前近代の意識に逆行してしまっている。現代文というのは近代的自我を読ませる学科だからね。@inja650rr

2017-01-17 22:53:46
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

それが、冒頭の論文にあった、コペルニクス的転回を新カント派は、認識が対象を文化として生むと履き違えている、というハイデガーによる批判であり、それは転回ではなく、恣意的な転倒にすぎない、というピュアリベラリズムの話なのだが、ちゃんと読んできたのかしら?@inja650rr

2017-01-17 22:54:17
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ハイデガーの思想は実に単純、読まずに(解釈学的状況 twitter.com/sunamajiri/sta… を踏まえずに)勝手なことを宣うな。そんなものは、コペルニクス的転回でも科学的でもない。認識が(科学的に)対象を産み出すという新カント派に向けた痛烈な批判。@inja650rr

2017-01-17 22:56:20
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ハイデガーのカント書というのは、尊敬論なので、なぜ日本人が、科学的になればなるほど、リスペクトを欠くような不安のドン底に落ち込むのか、という話題なんだけどね。 pic.twitter.com/blu6KQOTd3

2017-01-19 03:43:14
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

あとで再話するが、ハイデガーはカントによるコペルニクス的転回は、従来考えられていたような宗教を科学に認識論的転回することではなく、道徳的転回、つまりエッチしたくて何が悪い、という無意識(感性的理性)の負い目を払拭することだった、と言いたいわけなのだが・・・・。

2017-01-19 20:34:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

日本は極度に不老不死が高度化した。それはハイデガーの言う意味でカントのコペルニクス的転回を読めなかったからだ。コペルニクス的転回とは科学的認識のことではなく、超感性にとっては無意識的抑圧とされる、性的欲求に負い目を抱かないことなのだ。twitter.com/sunamajiri/sta…

2017-01-19 21:23:28
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

私がこういう社会ネタを始めるときは、読解話するのめんどくせーなー、という現実逃避=頽落なんだけどね。さっきから、このメモ書き、一体どうやって話題に方向づけよう、めんどくさいなー、という。別にいいか、話題にしないでも。bit.ly/2j9CgYx

2017-01-19 03:37:38
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ハイデガーは死ねないこと、不死を語りの負い目=悪だと哲学したのだが、日本人は仏像が釈迦の老後であるためか、いつまでも歳をとらず不老不死のセックスレス社会のようになってしまった。これはハイデガーが懸念した最悪の事態なのだ。

2017-01-19 22:01:09
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

サザエさんは無時間そのものだ。私が幼児の頃から、波平もカツオもタラちゃんも、歳をとらない。この歳を取らない、という日本の病がどこからきたのか。ハイデガーは近さの話をする、サザエさんが日本では国民文学的な近さだ。そしてサザエさんは不老=無時間的なのだ。

2017-01-19 22:02:18
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

それはハイデガーの言う意味でカントのコペルニクス的転回を読めなかった負い目だろう。コペルニクス的転回とは、宗教を科学にする認識論的転回=超感性ではなく、超感性からは無意識とされる、感性的理性の負い目を払拭することにこそあるからだ。

2017-01-19 22:05:54
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

これは、科学的認識からは性的な抑圧とされる無意識だが、そうした科学的認識自体が負い目の産物だ、というコペルニクス的転回なのだろう。そして、もしそうした負い目から近さが語られると、サザエさん的な不老の無時間が語られることになる。

2017-01-19 22:07:07
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