戦国クラスタが作る!永禄3年(1560年)の全国戦国大名戦力図
- Seto_yasu1987
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@Fransisco1530 確認しましたが、永禄2年の飛騨侵入はやはり甲陽軍鑑が出典のようです。ただし、この年10月に信玄が江馬一族の麻生野直盛に所領を宛行っているので、江馬氏が武田方だった可能性は高そうです。また、内ケ島氏ですが、勢力図がやや過大ではないでしょうか?(続)
2017-03-26 20:19:49@fujikko なるほど。では江馬氏は武田方と見たほうがいいでしょうね。それと、内ヶ島氏は一向宗との関係が深かったので、一向宗派(薄色でも可?)。そして三木氏は反武田(反江馬)なので、わかりやすく長尾上杉派にすることは可能ですか?
2017-03-26 20:41:24@Fransisco1530 そうですね。実際は武田方の時盛と、長尾方の輝盛に別れたようですが、良いと思います。内ケ島、一向宗薄色もありだと思います。三木氏も、長尾方で良いと思います。
2017-03-26 20:51:53@Fransisco1530 どういたしまして。あと付け加えるなら、飛越境の城生斎藤氏も同じ長尾薄色でいいと思いますが、国衆ガイドにも載っていたので出してもいいのかなと(^_^;)
2017-03-26 21:04:53@fujikko 江馬氏については分割できないので、武田、上杉の係争地にしたいと思います!これで不明地は全て攻略することができました!本当にありがとうございました!m(_ _)m
2017-03-26 20:59:33@Fransisco1530 判断はお任せします(^_^;)江馬も無理に係争にしなくても良いかと思います。断言できるだけの史料がないので(汗)
2017-03-26 21:11:45@fujikko 情報ありがとうございます!調べたところ、この城生斉藤氏の城生城は越中の中南部あたりで、飛騨にどれほどの版図を有していたのか少しわかりにくかったため、越中の長尾方国人として、椎名氏と共に登場させます!
2017-03-26 21:17:14@Fransisco1530 解りにくくてすいません、越中の話です。飛騨に進出していたかどうかはわかりません(^_^;)神通川沿いに細入村の楡原、八尾町の井田川沿いに勢力を有し、越中と飛騨を結ぶ街道を抑えていた一族です。佐々成政に滅ぼされるまでほぼ独立した勢力でした。
2017-03-26 22:06:37@fujikko 「天正年間は上杉氏の家臣と」とあるのですが、永禄3年頃は独立か、上杉かわからないですね…。今回は上杉方として、名前のみ登場ということで!
2017-03-26 22:10:49@Fransisco1530 こんばんわ遅くなりました。九戸氏の領域について。 まず現在の九戸村と軽米町の全域、それから二戸市の西、一戸町の西の一部になります。二戸市と一戸町は、主に馬淵川沿いになります。添付の城館マップをご覧ください(ピンクが九戸、黄色が他南部勢力です) pic.twitter.com/QETGiNnaZx
2017-03-26 20:53:12@Fransisco1530 この外にも所領があったらしいんですけど『らしい』レベルで位置も分からないのでどうしようもありませんw
2017-03-26 20:56:17@kotosakikotoko ありがとうございます!(いろんな意味で)最後の勢力九戸氏ですが、とりあえず、作画いたしました。このような感じでいかがでしょうか? pic.twitter.com/duxy1k4xpa
2017-03-26 21:11:46@Fransisco1530 とりあえず訂正分。北側は四戸氏や釜沢氏の領域になります(四戸城・金田一城の位置を確認してください) pic.twitter.com/39DIFaGHgv
2017-03-26 21:28:25