Carlos Rodrigues(@fever7777)による「戦後政治史」【第四章】奇跡の高度成長(1960~72) 池田内閣から佐藤内閣まで

【参考】「戦後政治史」【第一章】http://togetter.com/li/108740 【参考】「戦後政治史」【第二章】http://togetter.com/li/109443 【参考】「戦後政治史」【第三章】http://togetter.com/li/113219 【参考】「歴史【総論】」http://togetter.com/li/103350 【参考】「歴史【各論】」http://togetter.com/li/103354
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fever7777 @fever7777

23. 佐藤は「人事の佐藤」と呼ばれており、田中角栄、福田赳夫などの次代のリーダー達を党の要職や閣僚に起用し、競わせる手法を用い、党内を掌握して行った。また野党対策は専ら国対中心で、いわゆる「足して二で割る」というスタイルを確立させたのである。

2011-03-20 11:33:02
fever7777 @fever7777

24. 佐藤内閣の主な業績は、ILO第85号条約(労組や労働三権に関するもの)批准、日韓基本条約の批准、日米安保の自動延長、小笠原と沖縄の返還、などである。先ず70年安保は、東大紛争(安田講堂闘争)を呼んだが、60年安保ほど国民的反対運動は拡がらなかった。

2011-03-20 11:33:30
fever7777 @fever7777

25. 小笠原と沖縄の返還は佐藤内閣の大きな実績ではある。しかしながら、沖縄返還における交渉の過程でアメリカ側の要請により「有事の沖縄への核持ち込みおよび通過」を事前協議の上で認める密約を結んだことが、後に明らかになる。これが2009年報道の日米核持ち込み問題である。

2011-03-20 11:34:02
fever7777 @fever7777

26. 佐藤が1967年に表明した非核三原則は建前論であって、事実上は対米従属外交を続けてきたことは大きな問題である。ともあれ、佐藤内閣が長期化したことの要因の一つとして、米国政府の意思を折り込んでいたことも透けて見える。

2011-03-20 11:34:31
fever7777 @fever7777

27. 佐藤が4選されてからは、長かった佐藤政権への批判が党内にも噴出、ニクソンショックや日米繊維交渉の縺れなどもあり、佐藤の求心力は低下して行く。佐藤・岸兄弟は、福田赳夫への禅譲を目論むが、1972年5月には田中角栄が佐藤派の大部分を掌握して、田中派を分派する。

2011-03-20 11:35:02
fever7777 @fever7777

28. これが角福戦争の始まりである。1972年7月の総裁公選に田中が勝利すると、翌日に佐藤内閣は総辞職し、沖縄返還を花道に長期政権は終わりを告げることになる。と同時に高度成長時代も一段落して、新たな三角大福の時代に突入することになる。(この章終了)

2011-03-20 11:35:29