一年前のツイートから【レビュー】今日の人類が直面する科学の未解決諸問題の確認。私たちはここまで知っている。ここから先はフロンティア。私の仕事はここで価値がある。

一番生き生きした部分ではないか ※まとめ題名、及び、説明欄はまとめ収録のツイートから ※まとめられたツイートの論旨は、まとめ人の思想信条を表しているとは限りません。 ※読者のお好みの内容を提供するとは限りません。 続きを読む
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Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

レビューが自分で書けない、あるいはそんな「無駄な時間」に割く余裕がないというのは本当の末期と思う。レビューが楽しいのではないか。今日の人類が直面する科学の未解決諸問題、私たちはここまで知っている。ここから先はフロンティア。私の仕事はここで価値がある。一番生き生きした部分ではないか

2016-08-21 11:25:46
CLINAMEN@ニーチェの「超人」世界 @latios381shadow

修論の真っ最中。院入学当初はしっかりオリジナルの研究を手掛けることを念頭に置いていたが現実はそう甘くはなく、テーマは1960年代に始まるカルタン幾何学に基づく重力研究の集大を宇宙項を主役にレヴューしているところ。でも重要と思う。 twitter.com/itokenstein/st…

2016-08-22 00:17:07
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

そういうレビューは大事。ここで一点経験則、下の世代には「後知恵」がある利点。古いものが書かれた時点では後から得られた結果とか知らないので見過ごしている重要な点がある。ファインマンがディラックの添え書きからダイヤグラム見つけた様に^^ twitter.com/183soital/stat…

2016-08-22 09:04:42
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

大概のことは大概やり尽くされている・・・のは間違いない。同時に、相当賢い偉い人が驚くほど単純なことに気づいていないのもごく普通。可能性は無限にあるから注目しなかったらそこまで。そういう「死角探し」ゲームと捉えると、先行研究レビューは非常に楽しい戦略策定時間となる。ルーチンではない

2016-08-22 09:14:13
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

さっきのレビューは理系前提ですが文系でも同様と思う。ただ単に「裏取ったのか?」だけだったら退屈な作業。そうではなく、つまらない訳文の流布した俗説で誤解されているポイントを原典から見つけ出してひっくり返せば、それだけでもそこそこのボディーブロー業績になりますでしょう。転倒戦略。

2016-08-22 09:17:10
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

楽しいと思ってする仕事は集中するからクオリティが出る。論文指導などで一番やってやるといいのは、こんなに面白い!と教授自身が楽しみ方を背中で見せてやることではないかと思う。物理時代の指導教官の先生方、小林俊一先生でも大塚洋一先生でも、実に楽しそうに物理され、だから志望し教えて頂いた

2016-08-22 09:19:45
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

日本の文系や医系にまだ残存している可能性のあるリスクとして、先生の学説なるものを踏襲しないと評価しない流のものがあると、転倒ゲームはあだになることもありえる。でもそれは学術の王道からそっちが外れているので、私は「気にする必要なし。価値ある仕事するべし」のスタンスでご指導申し上げる

2016-08-22 09:21:11
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

よくも悪しくも 私は「楽しそう」であるようだ。いや、そうであるように努め、そうしている。内面の実際はいろいろだが、私のリハーサルで私がうつうつとしていたのではみな演奏できません^^ レッスンも講義も同様。インスパイアしなければ。バーンスタインやファインマンの気風が私のモデル原体験

2016-08-22 09:23:34
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

芸術系特に音楽は、重要な穴だらけで手のついてない潮干狩り場みたいなことになっている。音楽家は数理や物理を考えないし、科学者は音楽については単なる趣味の好事家であることが大半。双方とも、きちんと真剣に取り組めば、少なくとも僕が一生で解ききれない程度の問題の宝の山ははっきり存在します

2016-08-22 09:25:09
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

ただ、原典を読むのも一定、量と質そして自身の経験がものをいうように思います。僕は音楽は子供のころからなぜか人の書いたものをその場で分解再合成とか平気でしていましたが、数学や物理を同様に、とは最初は中々行きませんでした。意識する前の経験の量と質があるのだと思います。

2016-08-22 09:40:35
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

子供に勉強以外スポーツや楽器、楽理、実験観察などを学ばせる可能な利点として「ただ単にマルがつくだけで満足しない」メンタリティを養うことがあるように思う。試験は点があり「マルがつけばよい」になりかねないが、他のものではマルがついても子供自身納得しない事がある。それが端緒になるだろう

2016-08-22 10:00:36
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

マルがつけばいい人は大学に入ってからおかしいぐらい伸びない事がある。社会に出てから先が心配な程。最近の日本の親は一見物分かりよく、やりたいことをすればいいと子供に言いはするけれど、子供自身がやりたいことを見つける手助けは必ずしもしていない。やりたいことが見つからない子は非常に多い

2016-08-22 10:03:46
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

「T大さえ入っておけば間違いない」式の考えの親御さんを実際に目にするが、それが間違いと、なぜ解らないか?毎年何人留年し、最終的に何%程度、入学したけど卒業せずで消えてしまうかとか、子供の本当の将来もリスクも全く考えていない。オウムに走った元学生のケースはそういう中から出てきたもの

2016-08-22 10:06:57
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

誓って言うが、国際社会を見渡して、例えば東京大学で施している教育も、それに合格するのに有効とされるものも、最高の教育とは全く思わない。オックスフォードのようなきめ細やかなチュートリアルもないし、ハーヴァードのような学寮の充実もない、改善すべき点だらけだし、入試制度周辺も問題山積。

2016-08-22 10:10:05
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

考えれば考えるほどティーンの時間の使い方はそのまま生涯その人のありようを水面下で支えるように思う。昔は「やりたいことをやる!」という子供に頑迷な親が反対、が普通の構図だった。いまやりたいことのない子供がこれだけ増えてしまった事が、最大の国難であるように思う。

2016-08-22 10:16:03
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

「やりたいことある子供」がいいわけではない。前提となる必要条件の1、その先に根拠を持った検討や決意、努力と精進、挫折と成功などがあって人となってゆくものだが、それがおかしな受験産業ゲームに置き換わり、若い世代が搾取疎外されているというのが、社会の精神の貧困を作っている気がします。

2016-08-22 10:19:01
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

特に思うのは、大学はこういう人が欲しい、育てたいという方向、方針をもってカリキュラムや試験制度などを変えるわけですが、受験産業その他がイナーシャとなって本当に使ってほしい学生のアタマの部分に有害無益なバイアスを与えたりもしかねないように思ったりもすることがある。

2016-08-22 10:24:28
Einzelkind@趣味アカ🌻 @Grissom1992

自分がメンタル面で非常に弱い人間だから激しく同意。武道、音楽、スポーツ、どんな習い事でも続けてきた人は尊敬する。継続できる忍耐力を得られるということは大人になってから非常に役立つ。もし子どもができたら絶対やりたいことをやらせたい。 twitter.com/itokenstein/st…

2016-08-22 10:49:58
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

@Grissom1992 忍耐というか、好きになる力 ですよね だから頑張れる。ただただ嫌なだけなら 折れてしまいます。

2016-08-22 11:49:50
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

もう一つ、もう全く私には理解できないのが、例えば入試みたいなもので「志望教官」名を書き、また自分の興味対象やプランを書くとして、第一志望の先生の仕事すら全くチェックなくリファレンスゼロというのが理解できない。そういう観点が根こそぎ存在していないらしい。正直気持ち悪い現象と思う。

2016-08-22 11:52:18
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

僕が変なだけなのか?必修の授業で担当されるだけでも、指定教科書は云う迄もなく、その先生の本とかあれば興味を持って読んだものです。幸い教養時代は本の多い先生に当たる事が多かった 化学の山崎昶さんとか竹内敬人さんとか、ブルーバックスなどもあってとても興味深く楽しかった。さて翻って、

2016-08-22 11:55:23
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

大学大学院で2年とか5年とか指導をうけ、学位も貰おうという「師事」を念頭に個人名を書くとき、どうしてその先生の本など一冊も読まずに名前を書けるのか、私には全く理解が出来ない。大学で学ぶということを何か役所の割り当てみたいな便宜と思っているのだろうか?卒研ですら慎重に選んだものだが

2016-08-22 11:57:38
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

私たち芸術音楽の師事は良くも悪しくも「その人に就く」のであって、マスプロ入試で合格したら学校が割り当ててきた、というケースがないとは言わないが、普通はもっとパーソナル。例えば松村の作品を一つも知らずに松村に就くなど単にあり得ない。私は一回対談するだけでも全著書読んだりしますけれど

2016-08-22 12:00:20
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

「かくかくしかじかをやりたい」と書いて、参考文献が挙がっている。そこに関係する教官の名がないのはおかしいことでは? 指導してほしかったらその先生の所に行けばよい。いや諸般の事情でT大に、とか言うのであれば便宜で人の名前を書いていることになる。失礼という以前に疎外の極北というべき。

2016-08-22 12:04:26
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

つまり「師事」という現象が軽いものとなり、殆ど事務手続きになってしまったために、こういうマスプロお気楽の受験が成立し、また定員いっぱい取らないと・・・的な手続きの加速が形骸化を助長したのだと思うわけです。便宜で大学や大学院に進むのはやめたほうがいい。形だけキャリアついても骨粗鬆的

2016-08-22 12:09:11