釜山の都市近郊私鉄を妄想する

釜山に存在した私鉄線が、もし本格的な都市近郊電車になっていたら…、を妄想し、現地を訪れてみました。
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釜山には、その昔、私鉄が走っていました。
幹線鉄道としての京釜鉄道のほか、釜山の市街地と温泉を結ぶ郊外軌道「釜山軌道」が存在したのです。1909年の開業当初はトロッコ規格ベースの簡易な路線でしたが、徐々に改良され電車化もされ、釜山の市内電車ネットワークの一部として1968年まで走り続けました。今は地下鉄1号線が、同じルートを走っています。

この路線が、もし市内電車化ではなく本格的な郊外電車になっていたら、どうなっていたんだろう。日本の都市近郊私鉄みたいになっていたんじゃないか、そんな妄想を、確かめに行ってきました。

せき のりかず @kotonoha_s

1909年当時の釜山・蔚山近辺の鉄道路線図。 ようやく京釜線が開通し、釜山に棲む日本人が増加したことによる湯治場輸送と昔からの拠点だった東莱地区をカバーするための私鉄(釜山軌道)が走り出した、といったところ。 pic.twitter.com/Y1HIS2MGSn

2017-09-17 12:12:29
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リンク Wikipedia 釜山軌道 釜山軌道(ぷさんきどう)は、日本統治時代の朝鮮半島に存在した鉄道会社である。朝鮮の私設鉄道の嚆矢とされる。釜山電燈(明治34年設立)を経営していた大池忠助が東莱温泉への湯治客の輸送を目的として、釜山鎮から東莱温泉までの鉄道敷設を計画した。1909年(明治42年)6月20日に出願したところ6月29日に特許となった。8月15日創立総会を開き大池忠助社長他役員を選任し29日釜山軌道株式会社(資本金5万円)を設立登記した。工事は順調に進み12月2日に釜山鎮-東莱南門間(4哩19鎖)が開通。12月19日に東莱南門-

釜山軌道は、どうやら現在の西面や釜田辺りの土地改良工事用のトロッコ(客土工事軌道)を「転用」する形で、それを日本人が好む温泉場まで延ばせば儲かるんじゃ?という発想で開業したようで、当初の規格は軌間610mmとトロッコの中でも小型の部類に入る低規格な路線。
さすがに色々と支障があったのか6年後の1915年には規格改良されますが、それでも762mmの軽便鉄道(トロッコに毛が生えた程度の規格)で、その際に導入された機関車も新車ではなく中国大陸で使われていた中古だったそうです。

せき のりかず @kotonoha_s

軽便鉄道時代の釜山軌道は、こんな列車がトコトコ走ってた、と。 namu.wiki/w/%EB%B6%80%EC… これがベースになってるので、どうしても小型の電車になってしまってたのね@釜山の路面電車 pic.twitter.com/32nHWEReLR

2018-03-11 11:12:44
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リンク namu.wiki 부산전차 - 나무위키 1
せき のりかず @kotonoha_s

1915年以降、釜山市内線が釜山駅経由で順次建設され(762mm・単線)、1928年には旧市内線のほぼ全区間が出来上がる。また釜山鎮地区に総合市場が開設され、釜山鎮は東莱に並ぶ周辺の核地区となっていった様子。南浦地区は、日本人街として賑わった。 pic.twitter.com/x9JDISShHa

2017-09-17 13:01:20
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釜山の市内電車は、かなり小型な軽便鉄道規格で開業しています。道路が狭かったという事情もあるようですが、都市化の進展になかなか追いつけなかったようで、その後に何度も規格改良が行われ、1931年にようやく日本の路面電車に近いサイズ(1,067mmに改軌)されていますが、まともな路面電車サイズの車両が走り始めたのは、戦後になってからのようです…

せき のりかず @kotonoha_s

さて、この釜山軌道、史実では市内電車ネットワークに組み込まれて1960年代に廃止され、今は地下鉄1号線が代替ルートになっているんだけど、もし、もし市内線化ではなく日本の私鉄のような感じで本格的郊外電車に化けていたら、こんな延伸も、あったのかなぁ…、と。 pic.twitter.com/5gR0Yzob0U

2017-09-17 13:18:08
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せき のりかず @kotonoha_s

さて釜山軌道の釜山鎮駅があった辺りの様子。 1913年頃に市場ができ、朝鮮時代からの拠点だった東莱と、外交拠点だった草梁(倭館)、日本人街として発達しつつあった南浦の「間」にある、人的・物的交流の要衝となりつつあった様子。 市場は今でも賑わい、雑多な市街にも暮らしの匂いが濃厚。 pic.twitter.com/nHFeR1obGp

2017-09-17 14:04:43
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草梁の倭館は、日本の領事館&租界のような地区で、釜山は日本との関係がとても強かった町だったそうです。日本統治下では草梁地区から南浦地区辺りが日本人居住地となり、軍港・貿易港としての釜山港・釜山鎮、そして朝鮮時代からの拠点だった東莱が、現在の釜山地区の主な人口集積地だったようです。

せき のりかず @kotonoha_s

釜山軌道が走っていた頃、西面はまだ「まち」じゃなかった。 今のような釜山を代表する繁華街になるのは、1980年代後半の地下鉄開業に伴う乗継拠点になったことから。ロッテが百貨店と都市型ホテルの複合ビルを建て、それをきっかけに一気に繁華街となったそうな。 pic.twitter.com/nY0CqZl4ni

2017-09-17 14:28:11
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せき のりかず @kotonoha_s

釜山軌道が走っていた頃、釜田もまた「まち」じゃなかった。 釜田が市街化するのは、朝鮮戦争での避難民集中や、その後の急速な市街化で「勝手市場」として今の釜田市場が出来上がったことから、だそうな。 軌道の駅名を見ると、当時は東部の海辺にあった水営地区への玄関口という扱いだったのかな。 pic.twitter.com/AOHEGTlzcA

2017-09-17 14:41:29
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せき のりかず @kotonoha_s

さて釜山軌道の郊外軌道線の様子、東莱の辺りを地下鉄の高架から。 今はごく普通の韓国の市街地ですが、その昔は城郭都市的な市街で、中世からの拠点。古地図を見れば、ここを基軸に各地への街道が延びていた様子。 そしてその奥には(日本人好みの)湯治場が。軌道は、そこへのアプローチ路線。 pic.twitter.com/dJtj1JinIY

2017-09-17 15:02:18
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せき のりかず @kotonoha_s

さて釜山軌道の妄想、そろそろ本格的に…。 軌道は温泉場が終点でしたが、それを代替した地下鉄1号線は、より北部の老圃から軌道の起点だった釜山鎮駅付近までを1985年に開業、沿線を(ある程度)計画的に開発。老圃には本格的なバスターミナルも設け、蔚山ほか各方面への玄関口としています。 pic.twitter.com/5x12ABH8tS

2017-09-17 15:31:19
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せき のりかず @kotonoha_s

もし釜山軌道が郊外・都市間電車として延伸していたら…な妄想、老圃から先は蔚山行きのバスに乗り、車窓から沿線を見ます。蔚山への幹線バスは4系統ほどあり、全部合わせると10分以下の間隔で走るという結構な頻度。老圃を出て暫くは長閑な光景の中をひた走ります。法基里窯は1600年代の窯跡。 pic.twitter.com/xfbTWzBSJQ

2017-09-17 15:44:38
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せき のりかず @kotonoha_s

もし釜山軌道が郊外・都市間電車として延伸していたら…な妄想の続き。 蔚山への幹線バスは長閑な光景の中をひた走りますが、突然高層団地が現れます。これが熊上地区で、ここが予想以上の「市街地」。山間の中規模集落かと思いきや、商店もしっかりとあり、完全な「市街地」です。 pic.twitter.com/YEp3f47LJ4

2017-09-17 15:56:42
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せき のりかず @kotonoha_s

梁山市熊上地区、ここは川を挟んで市街地が2つあり、その両方ともが結構な賑わい。バスもこの市街地を核とするローカル路線が複数あり、ちょっと意外なほどの「地域の核」。そしてここが釜山都市圏と蔚山都市圏の分かれ目となるようで、両側からの「市内バス」が、ここで双方へ折り返してゆきます。 pic.twitter.com/jhu80QmSgn

2017-09-17 16:16:27
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せき のりかず @kotonoha_s

もし釜山軌道が郊外・都市間電車として延伸していたら…な妄想、改めて続きを。 熊上地区を過ぎると再び長閑な風景になりますが、それなりに人の住む農村という感じ。その先には、蔚山の街との間にある峠道。ここはさすがに人跡稀ですが、峠の勾配そのものは厳しくなく、電車なら問題無さそう。 pic.twitter.com/8fR58aaOYt

2017-09-17 16:35:43
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せき のりかず @kotonoha_s

もし釜山軌道が郊外・都市間電車として延伸していたら…な妄想、いよいよ佳境。 峠を過ぎれば、見えてきました遠くに蔚山の街。そして、やはり現れました高層団地。ここは、もう、蔚山の市街地外縁。いわゆるニュータウン臭がプンプンします。 pic.twitter.com/VjVr8Qqlld

2017-09-17 17:27:55
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せき のりかず @kotonoha_s

もし釜山軌道が郊外・都市間電車として延伸していたら…な妄想、蔚山のニュータウンから市街地に入ってゆきます。団地群がほぼ途切れることなく、そのまま新市街になっていくような流れで、気が付けば繁華街に。 蔚山は、川を挟んで北側が旧市街、南側が新市街となっていて、こちらは新市街側。 pic.twitter.com/ti8GeCPRDK

2017-09-17 17:46:27
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せき のりかず @kotonoha_s

もし釜山軌道が郊外・都市間電車として延伸していたら…な妄想、蔚山では川を渡れず旧市街へのアクセスは橋を介して…というベタな構想で、旧市街側の繁華街手前に駅があったはず(鉄道でありがちな駅位置)。 新市街の実態は、もう完全に都心部の様相でした。そしてバスターミナルが、現地のコアに。 pic.twitter.com/LzJYDbd4Iz

2017-09-17 18:05:39
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せき のりかず @kotonoha_s

ということで、慶南電車の妄想車窓案内でした。

2017-09-17 18:10:23
せき のりかず @kotonoha_s

このルート、実際に電車が走っていたとしたら、どんな感じなんだろうかね… twitter.com/kotonoha_s/sta…

2017-09-18 09:08:06
せき のりかず @kotonoha_s

沿線の人口や地形を見ると、あくまで現時点での様子なら、電車が走ってても全然おかしくない状況なんだよね…。人口350万の拠点都市と百万越えの工業都市を結ぶんだから需要は無い訳ないし、沿線も釜山・蔚山市内はニュータウン化してるし、中間地も鉄道がないのに結構な市街地があったりしたしね… pic.twitter.com/dLqftKBruJ

2017-09-18 09:14:05
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