- tomoshibi6o6o
- 4113
- 1
- 1
- 0
そういえば、ハプスブルク王家はオーストリア帝家であっても、現在の一族はオーストリア家を名乗っていませんよね。 16世紀のドン・フアン・デ・アウストリアの時代ならともかくとして。 ①いつ、国名(?)ではなく家名を姓として呼ぶようになったか。
2015-01-02 01:09:29その一方でバイエルン王家はヴィッテルスバッハ家ですけれども、現在の当主の名乗りは「フランツ・フォン・バイエルン」であり、旧国名がそのまま姓となっている。
2015-01-02 01:14:57旧プロイセン王家(旧ドイツ帝家)も家名はホーエンツォレルン家であるが、姓ではプロイセン。でもルーマニアの同族はホーエンツォレルンを名乗っている。
2015-01-02 01:15:34ドイツ系の一門であるハプスブルクとホーエンツォレルンでどうして差が出るんだろう。 スペインやフランスのボルボン(ブルボン)、デンマークやノルウェーのクリュックスブルクでは家名=国名ではない。
2015-01-02 01:18:09@mendelburg 土着の差ですか…うーん、それだとハプスブルク家なんかは本領を失ってるわけですから、こだわるのはどうしてかなと… (ルドルフ4世の時代あたりからしばらく「オーストリア家」として地盤を固めていったようですが、ロートリンゲンになってからそれが無くなる)
2015-01-02 01:26:18ハプスブルク家に関しては、マリア=テレジアとフランツ1世の夫婦の子供のヨーゼフ2世の代から、「フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン」が姓。 ただし、皇族が独立した領地のある公家になれば「フォン・○○(領邦名)」、そうでなければ男子は「フォン・エスターライヒ(=オーストリア)」。
2015-01-02 01:37:23@0905Hunry おお、ありがとうございます。マリア=テレジア以降から嫡流は「ハプスブルク(=ロートリンゲン)」、領地持ちの分家の場合は地名だったんですね。
2015-01-02 01:39:44プロイセン王家(ホーエンツォレルン家)を調べると、プロイセン王国成立までは選帝侯名より「ブランデンブルク家」だったもよう。 ブランデンブルク選定侯に初めて命ぜられたフリードリヒ1世は「ブランデンブルク」を姓として名乗っている。
2015-01-02 01:43:58だが「最初は1398年からニュルンベルク城伯としてフリードリヒ6世・フォン・ニュルンベルク」を名乗った、とあり、ホーエンツォレルン姓は名乗っていない感じだ。 その遠祖、ニュルンベルク城伯の初代フリードリヒ1世からコンラート1世まではツォレルン姓の名乗りが見える。
2015-01-02 01:49:52仮説。仮説で申し訳ない。 ホーエンツォレルン家の場合は、最初に得た領地が「ツォレルン(伯)」であり、そこから時代が経ち爵位を得ると、高位の爵位から姓名とした。 一方で爵位に就かない傍流は、ルーツである「ツォレルン」が姓となった…のかね。
2015-01-02 01:52:29@0905Hunry フランツ1世(オーストリア皇帝として)の娘を例に挙げると、ナポレオンに嫁いだマリア・ルイーザやブラジル皇帝に嫁いだレオポルディーネは「エスターライヒ」を姓にして呼ばれるのに対し、妹のマリーア・クレメンティーナは「ハプスブルク=ロートリンゲン」なんですよね…
2015-01-02 01:57:15追記すると、皇帝レオポルト2世の娘で両シチリア王フランチェスコ1世に嫁いだマリーア=クレメンティーナは「ダウストリア」姓、しかし姉のマリア・=テレジアは「エスターライヒ」姓。
2015-01-02 02:01:36フランツ1世とマリア=テレジアの娘たちで見てみよう。 「エスターライヒ」姓は8人、それ以外(ダズブルゴ)はひとり。 ここで共通点、レオポルト2世やフランツ1世の娘といい、例外はイタリア系(ダスブルゴ姓)ばかりだ。
2015-01-02 02:06:26そして相手は全て「ブルボン家(イタリア名:ボルボーネ家)」である。 つまり、仮説として婚姻先の相手によってエスターライヒかそうじゃないかが決まる?
2015-01-02 02:08:19@Erzherzog_Este 腑に落ちました… ちょっと調べてみたのですが、スペイン=アブスブルゴからオーストリアに嫁いだ時はスペイン(シュパーニエン)を名乗ってますね。 エスターライヒの方はフリードリヒ3世の娘も名乗っているしで…うーんうーん…
2015-01-02 02:24:06整理 国 姓 独 エスターライヒ ハプスブルク 英 オーストリア ハプスブルク? 西 アウストリア アブスブルゴ 伊 ダスブルゴ 仏 ドートリッシュ
2015-01-02 02:28:24ぐらんぐrくぁん! カール5世、フェルディナンド1世の娘がイタリアに嫁いだ時は「ダズブルゴ」ではなく「ダウストリア」姓ですねー…
2015-01-02 02:31:36@Erzherzog_Este あと、近代の例でイタリア系ブルボン家に嫁いだ場合は「ダスブルゴ(ハプスブルク)」になっていると書きましたけれど、フェルディナンド1世帝まで遡ると「ダウストリア(オーストリア,エスターライヒ)」姓なんですよね…
2015-01-02 02:33:21でもダウストリア表記が「d'Austria」とフランス語に近い表記なんですよなぁ… イタリア語も「フォン」や「デ」に相当するもの無かったっけ…「ディ」とかあったような… ここまで来ると語学の問題も入ってきている気がするぞ
2015-01-02 02:35:31@Erzherzog_Este 合ってましたか…? となると、「di~」ではなく「d'Austria」と略されてるのはどうなんでしょうね…(´Д`;)
2015-01-02 02:38:05カール5世庶子でイタリアに嫁いだ娘は「ダウストリアd'Austria」で「スペイン(エスパーニャ)」ではないし、と思えば逆にイタリアからスペイン王に迎えられたアマデオ1世は「ディ・スパーニャdi Spagna」だしでどうなっとんねん。
2015-01-02 02:40:44@Erzherzog_Este ええ…フランス語のようにイタリア語でも変わるのか、だとしても「ダウストリア」「ダズブルゴ」表示の分裂は謎なんですけれども…
2015-01-02 02:42:19「d'Asburgo」のd'は英語の「of」に相応するらしい。 ということは、問題はないわけだ。 女性だと短縮されるのか?
2015-01-02 02:44:15ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E… 伊:マリーア・テレーザ・ダズブルゴ=テシェン 独:マリア・テレジア・イザベラ・フォン・エスターライヒ んん…? これも相手はブルボン家だが…?
2015-01-02 02:47:20