「日本・ポーランド暗号協力に関する一考察」解説

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数学史研究者 @redqueenbee1

適任者をポーランドに派遣し、暗号研究をなさしめんとした。ポーランドに留学した百武晴吉は、換字暗号の頻度分析による解読はすぐさま出来たらしいが、難問に取り組んだときは頑固な不眠症に罹って、怒りっぽくなり、泣きたくなったらしい」 樋口証言終り

2018-02-18 02:32:21
数学史研究者 @redqueenbee1

1930年6月にポーランド国在勤帝国公使館付武官となった秦彦三郎の証言 「陸軍ではポーランドの参謀本部からカバレフスキー少佐を招聘してその指導を受け、爾来数次ポーランドに将校を派遣して暗号解読の方法を研究して来たのである。…

2018-02-18 02:32:57
数学史研究者 @redqueenbee1

その結果戦前には相当進歩し各国に対して大きな遜色はないとの自負心を持っていた」 秦証言終り 秦は対ソ研究のプロフェッショナルとして著名な将軍 1934年初頭から、ポーランド留学者とソ連暗号解読に従事した萩野健雄の証言。萩野は戦後は自衛隊で対ソ暗号解読に従事

2018-02-18 02:34:33
数学史研究者 @redqueenbee1

「毎回の留学にポーランド参謀本部は、その最新の優れた解読技術を悉く伝授してくれたようで、わが暗号業務を益すること多大なるものがあった」 1934年3月にポーランド国在勤帝国公使館付武官となった澤田茂の証言要旨 対ソ情報はポーランドが一番いい。それは私も参謀本部へ行って、…

2018-02-18 02:35:17
数学史研究者 @redqueenbee1

いろんな話を聞いてて、そのとおり非常によく解ります。参謀本部のロシア班がいろんなことを考えて、いつ、また共産党のソ連とぶつかるかも判らんと、その時分に、とても日本独力ではやり切れないから何か西のほうからソ連を脅威するような一つの勢力を作っておかなきゃいかんと……明石構想だよ。

2018-02-18 02:35:46
数学史研究者 @redqueenbee1

それで、その一番初めに命令を受けて行ったのは山脇正隆武官。山脇は、僕の同郷です。しかも、陸大も一緒だったから……。それで山脇は、また、あそこへ行ってやり始めておったって、急に、あんなものは出来るもんじゃない。それで山脇は、それだけ大きな任務をもらいながら、…

2018-02-18 02:36:12
数学史研究者 @redqueenbee1

参謀本部から金を一文もくれない。(笑)。そこで、関東軍司令部へ行ったら、『それは、お困りだろうから、関東軍には余裕がつくから、10万円あげましょう』と。10万円でやらなきゃいけない。(笑) 年間たった10万円ということで、それは後なくなれば、また請求するけれど……」 澤田証言終り

2018-02-18 02:36:57
数学史研究者 @redqueenbee1

1934年4月にポーランドのグルジョンツ騎兵学校付となった土居明夫の証言 「ポーランドで学んだ一つは諜報と防諜である。日本陸軍の暗号解読の手ほどきは、ポーランドの将校を日本に招聘して教えてもらったのが始まりであった。スパイに長じたソ連と接しており、…

2018-02-18 02:37:32
数学史研究者 @redqueenbee1

また長い間ワルシャワを含めてロシア領になっていたので、対ソ防諜は徹底的であった。私の如きも単独旅行のとき、しばしば写真撮影などで拘留され、ワルシャワの参謀本部に連絡して放免してもらったことがあったほどである」 土居証言終り

2018-02-18 02:38:01
数学史研究者 @redqueenbee1

1935年にポーランド留学した桜井信太の証言 「ポーランド参謀本部の一室を得て、毎日通勤して研究に従事した。之れは随分気骨の折れる仕事であったけれども何とか眦を掻く様なこともなくて済み約一年後にはお土産になる様な新しい資料も手に入った。…

2018-02-18 02:38:38
数学史研究者 @redqueenbee1

ポーランド側はソ連・ポーランド国境の関係施設に班長自ら案内してくれたりして、甚だ親日的であった」 桜井証言終り 1936年8月に参謀本部初代ロシア課長となった笠原幸雄の証言 「対ソ情報収集のため、日本とポーランドは、毎年、一、二度情報交換を行っていた。当時、…

2018-02-18 02:39:31
数学史研究者 @redqueenbee1

対ソ情報を主体に情報収集を行っている国は、日本陸軍とポーランドぐらいであった。日本とポーランド両国は、大変友好的であった。ポーランドはソ連と言語が似通い、隣国であり、親戚縁者もソ領内に居住するという状況で、その対ソ情報収集はきわめて有利であったから、日本との情報交換で、…

2018-02-18 02:40:01
数学史研究者 @redqueenbee1

日本はいつもポーランドには及ばなかった」 笠原証言終り 関東軍情報部のロシア専門家・西原征男の証言 「日本も大正十一年頃から「無線諜報」の先進国であるポーランド、フィンランド、ハンガリーに多数の軍人を留学させて、ソ連に対する研究を重点として着々とその成果を上げていた。…

2018-02-18 02:41:12
数学史研究者 @redqueenbee1

昭和十二、三年ごろになると、先生格のポーランドさえ抜いて、対ソ無線諜報は世界一と折紙をつけられるまでになっていた。ところが、それからわずか一、二年後の十四、五年には、対ソ無線諜報はもうお手上げの状態になった。それというのも、ソ連の防禦策が一段と進み、…

2018-02-18 02:41:42
数学史研究者 @redqueenbee1

『五桁の無限乱数』を使いはじめてきたからだ」 西原証言終り ポーランド侵攻当時のポーランド国在勤帝国公使館付武官・上田昌雄の証言要旨 「ドイツとソ連のポーランド侵攻によって、ポーランド政府はルーマニアに後退し、駐ポーランド日本大使館のスタッフもルーマニアに移動した。…

2018-02-18 02:42:51
数学史研究者 @redqueenbee1

任地を失った私は、“ヨーロッパからの対ソ情報の再建計画を提出せよ”という本国からの命令を受けた。私は、ブカレストの繁華街でワルシャワ時代に世話になったポーランド参謀本部の諜報将校G大尉と偶然に会った。G大尉のグループに属していた少佐と大尉5名からなるポーランド人将校は、

2018-02-18 02:44:10
数学史研究者 @redqueenbee1

拘禁されていたカルパチア山脈から脱走して、ブカレストに潜伏しており、スパイの口はないかと申し出た。私は、日本にG大尉のグループを派遣すべきだと打電し、参謀本部から了承を得て、ベルリンからベルギー経由でパリに出て日本向け航路に乗せた。後日、G大尉らは妻を捜して送り出して欲しいと

2018-02-18 02:44:36
数学史研究者 @redqueenbee1

要請したため、1940年3月にドイツ占領地域のポーランド・ラトビア・ルーマニアで探し出し、三ヶ月以上かけて船に乗せることに成功した。その後のポーランド人将校のことは全く知らない」 参謀本部第二部ロシア班長・甲谷悦雄の証言要旨 「在ポーランド武官は、ポーランド陸軍参謀本部責任者と交渉して

2018-02-18 02:45:35
数学史研究者 @redqueenbee1

専門将校の内から最優秀の4名(一般軍情2、宣伝謀略1、暗号解読1)を救出招聘に成功し、1940年3月に日本に海路到着し、直ちに任務についた」 甲谷証言終り 陸軍中野学校卒業生・原田統吉の証言要旨 「1940年、ポーランドから少佐か中佐の将校が来日し、陸軍中野学校の生徒に暗号の講義をしたことがある

2018-02-18 02:46:36
数学史研究者 @redqueenbee1

そのときは教官の甲谷悦雄が紹介したが、上田昌雄武官が日本に呼んできたのだろう」 原田証言終り 関東軍特種情報部員・萩野健雄の証言要旨 「1940年4月に、ポーランド人将校3名が来日し、参謀本部は、対ソ戦略の最前線である関東軍にポーランド人将校を配属することに決定した。…

2018-02-18 02:47:41
数学史研究者 @redqueenbee1

1940年6月17日、ポーランド人暗号解読者ミリッツェルは新京に到着し、関東軍特種情報部に配属された。ミリッツェルは、工業専門学校を卒業した陸軍予備役中尉であったという。他二名のポーランド人将校はハルピン特務機関に配属された。1940年7月2日、参謀本部第二部第十八班の桜井信太は、

2018-02-18 02:48:38
数学史研究者 @redqueenbee1

ヨーロッパにおけるソ連暗号の傍受解読施設設置のために再度東京を出発し、ベルリンに向かった。ベルリンで駐在ドイツ武官の指揮下に入った桜井は、フィンランド軍がソ芬戦争で解読したソ連赤軍5数字暗号・ОК-24に関する以下の情報を本国に通報した。 …赤軍5数字暗号は、5数字コードに長乱数を使用…

2018-02-18 02:49:41
数学史研究者 @redqueenbee1

しており、暗語の末尾3数字に奇数、偶数の別による破壊防止がある。乱数帳1表の大きさは乱数が300語。コンマとピリオドのコードは次の通り…… 電文翻訳紙1枚に収まる情報であったが、この情報によって既解読コードの暗語を修正して原暗号書に一致せしめ、

2018-02-18 02:50:32
数学史研究者 @redqueenbee1

ミリッツェルは奇数偶数の破壊防止に乗じて容易に同一乱数使用部分を発見する方法を考案することで、ほぼ独力で解読を実用化したので、急速にОК-24解読は進んだ。当時、関東軍が傍受したソ連赤軍暗号電文数は少なく、同一乱数使用部分を重ね得るものは5、6通しかなかったが、特色ある電文に恵まれた。

2018-02-18 02:50:58
数学史研究者 @redqueenbee1

1941年初頭、ОК-24は使用が停止され、ОК-40に更新移行したが、コードも乱数も凡そ同じ構成なので、比較的容易に解読し拡張に進んだ。1941年5月、ソ連軍は暗号РК-2を使用停止して更新した。解読した結果、РК-2と同じ暗号書に乱数を使用していると判明した。乱数の最初の台本は、『ソ連邦共産党小史』

2018-02-18 02:52:33