皇帝マクシミリアン1世(1459-1519)についてメモ

「中世最後の騎士」と呼ばれた皇帝についての知見をまとめた備忘録。
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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

《ハプスブルク家と家門呼称意識》 皇帝マクシミリアン1世は自らの一族を「オーストリア=ブルグント家 (Haus Österreich und Burgund)」と表現した。 ブルゴーニュ(ブルグント)公女マリーとの婚姻によって、この地方の領主になったからである。 pic.twitter.com/u55VwkJEFO

2018-02-19 19:40:29
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いまやハプスブルク家臣はオーストリアのほか、ブルゴーニュやネーデルラント地方の大貴族を巻き込んでその従者層を形成した。 フランス・フランドル文化と様式が混ざり合い、もはや「オーストリア家」の時代は終わろうとしていた。

2018-02-19 19:45:29
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マクシミリアン1世は息子に対してフランス語の手紙を書くなど、その勢力圏がドイツ世界以外に伸張し始めたことを表す。その息子フィリップはフランス語を母語とした。 このように拡がる領域に対する政策として、マクシミリアンは「オーストリア=ブルグント王国」の思想を示したが実現はしなかった。

2018-02-19 19:51:35
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ホイジンガの謳った「中世の秋」のブルゴーニュ公国は、いま《オーストリア=ブルグント》家へ受け継がれたのだった。 そしてこのフランドル風の文化は、マクシミリアンの孫カールがスペイン国王カルロス1世となったことで、遠く遠くスペインの地に輸出され、16世紀の「スペイン文化」を構成する。

2018-02-19 19:52:08
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《オーストリア=ブルグント》家から、《オーストリア=スペイン》家へ。

2018-02-19 19:52:40
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15世紀後半の君主において、皇帝マクシミリアン1世ほど壮大な野望、広域を俯瞰した人物はいないのではないか。 彼は分裂していたオーストリア家を再統一し、ブルゴーニュを得て《オーストリア=ブルグント家》を創始した。

2018-02-19 19:57:19
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更に前々代のアルブレヒト2世の権利を継いで、ハンガリーとボヘミアの相続権を主張した。このためウィーン二重結婚が企画され、アルブレヒト系ハプスブルク家の血を引くハンガリー・ボヘミア王家と結びつけることに成功した。

2018-02-19 19:57:49
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このウィーン二重結婚に反対したのが、ハンガリー・ボヘミア王の兄、ポーランド王ジグムントだった。 これに対してマクシミリアンは、ポーランド王と争うロシア皇帝と接触、更に当時は選挙王制だったスウェーデンの王位すらも狙った。

2018-02-19 19:59:28
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「こうしてマクシミリアンの結婚・同盟政策はスペイン、イギリスからハンガリー、ロシアに至る全ヨーロッパを包括した訳であるが…原因を求めてみれば、彼がハプスブルク三系統すべての相続者として各系統の四方八方へと志向する権利の要求と野望をも継承したとの事実に求められる。」

2018-02-19 20:02:05
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それがマクシミリアンの遠大な政治構想と一致し、ヨーロッパ中をさすらうことになったのだが、父フリードリヒ3世は「じっと一箇所に留まることのない」息子の事業を《自堕落な取り引き》であり、永続的なものではないと批判した。 同時代の政治家マキャヴェリも、「彼は朝決めたことを夕覆す」と批判。

2018-02-19 20:11:16
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マキャヴェリもマクシミリアンの「矛盾にも満ちた気まぐれな性格」に言及しているが、これはまさに中世から近代への過渡期における、マクシミリアンの「最後の騎士」的な表現であった。 《マクシミリアンは片足を中世につっこみ、ほかの足でいま立ち昇りゆく近代という太陽にウィンクを送っていた》

2018-02-19 20:14:11
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この「最後の騎士」帝マクシミリアンは、自ら砲を撃ち兵と歩んだ、「最初の歩兵にして砲兵」でもあった。 「あらゆる構想、理念、可能性、展開に対して実に明晰な感覚を有し、いかなる呼び掛けに対してもそれがどこから来るにしても迅速な反応を示した」

2018-02-19 20:18:16
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その彼〈マクシミリアン1世〉を形作ったのは、全く異なる性格の両親から生まれ、先祖を通じてドイツ人、イタリア人、ポーランド人、ポルトガル人など欧州各地の様々な起源を持っていた「コスモポリタン的」な背景があったからこそ、という。

2018-02-19 20:20:07
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父フリードリヒ3世の時代も情勢は緊張していたが、フリードリヒ3世は蜘蛛のようにじっとして糸を編み、破れれば結び直して、じっと強く我慢して待って、敵を捕らえた。 これに対しマクシミリアンは、父帝以上の混迷した状況に対して〈行動〉で打開を試みた。

2018-02-19 20:23:11
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マクシミリアン1世は〈白王伝〉やアーサー王への崇敬など、多くの逸話から夢想家であるとされるが、「そうではない」と否定されている。 「人並み外れた政治能力を思うままに駆使し、傑出した交渉才能に恵まれ、役立てて多くの難局を切り抜けた…」

2018-02-19 20:26:19
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「…これに並んで彼は政治宣伝〈プロパガンダ〉の重要性を直感的に理解していた。この2つの能力に優れたマクシミリアンは交渉相手や宣伝対象者の心を読むのに長け、〈相手の気持ちと同じになって話しかけることができた〉」という天賦の才を所持していた。

2018-02-19 20:28:13
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この結果的にマクシミリアンが遺した多くの逸話・事績が、「途方もない夢想家」という像を結んだ。しかし全ては彼の才能に我々が「見せられて」いるんだ。 「…こうした理念や志向には、華美好みで名誉欲の旺盛な一君主の暇に任せた遊び事というよりもはるかに多くのものが含まれているのである。」

2018-02-19 20:32:39
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あの時代に「発明されたばかりの版画技術を使って」自らの政治宣伝〈プロパガンダ〉を発想し、それを行ったという慧眼。 まちがいなくマクシミリアン1世は15世紀後半における英主であるといえよう。

2018-02-19 20:35:05
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《マクシミリアン1世の先祖理念》 ハプスブルク家は一族の先祖にアーサー王やカエサル氏族、トロイアのプリアモス王、メロヴィング王家、ダビデ王などを示唆してきた。 しかしマクシミリアン1世は、一族の素性については躊躇いなく「ローマ説」よりも「フランク・トロイア説」を採用した。

2018-02-19 20:40:41
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これには現実的な理由がある。マクシミリアンの時代、ハプスブルク家は西方に移り、フランス王家と対峙した。 このため対抗意識として、一族がメロヴィング王家に由来していると主張してフランス王家への優越権を示そうとしたのだった。

2018-02-19 20:43:05
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「トロイア人に発祥するプリアモス王を経由している素性であるから、同じトロイア人に発祥するアイネイアースを経由したローマ人とは対等である」 更に遠大な皇帝の理念は、当時トロイアがコンスタンティノープルに先駈けた街として結び付けられていたことから、コンスタンティヌス大帝に関連された。

2018-02-19 20:46:49
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マクシミリアンの当初の命名案は「コンスタンティヌス」であった。 母后は息子に、キリスト教世界の英雄・コンスタンティヌス大帝のような人物になって欲しいと願った。 この思いはやがてマクシミリアンの中で、キリスト教世界の庇護者である教皇の補佐者に、いや自ら教皇になるという意思となった。

2018-02-19 20:49:29
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補足:これに対し父帝フリードリヒ3世は「聖ゲオルギウス」から命名することを望んだ。その場に居合わせたハンガリー・クロアチア貴族ニコラウス・フォン・ウーユラークは、対トルコ戦線に従事した経験があり、これに因む英雄の名をつけたらどうかと提案した。

2018-02-19 21:09:04
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そして、挙げられた名が「マクシミリアン・フォン・チリ(キーリの聖マクシミリアン)」なる、あまり知られていない聖人であった。

2018-02-19 21:11:36
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マクシミリアンは《カトリック王》アラゴン王フェルナンドから賛成を取り付けて(!)、娘マルガレーテに「私は死後も、聖者になりたい。そしてあなたが私に祈りを捧げるなら、とても誇りに思う」とさえ語った。

2018-02-19 20:51:05