大村益三
@omuraji
「寄生」の対象としての「日本」の、頼るべき「産業」も、「国力」も、「信用」も一旦リセットされたとすれば、では「アート」は何に「寄生」の対象を求めれば良いのか。それとも「日本」に「寄生」する事から脱する道を探るべきなのか。
2011-04-07 17:33:12
大村益三
@omuraji
「芸術は常に時の『体制』や『上層』に『寄生』するものであった」という極めて「大人」の美術史観も当然存在し、その延長上に今日のアートも存在するという立場も十分にあり得る。それは「日本」に「寄生」し、「産業」に「寄生」し、「文化」に「寄生」する事を良しとする立場ではある。
2011-04-07 17:54:15
大村益三
@omuraji
しかし「大人の対応」が、時にその外部からは単に「クレージー」に見えてしまう局面というものは当然ある。即ち「大人」とは「平時」の美学ではあるのだ。
2011-04-07 17:56:24
大村益三
@omuraji
「平時」の振幅では、観測する事も、認識する事も不可能な存在があるという事は言えるだろう。それは即座には非難の対象とはならない。但しそれを補って余りあるのは、それぞれの「想像力」なのではある。
2011-04-07 18:02:20