『国家』としての『信用』と『アート』

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大村益三 @omuraji

多くの(日本人)アーティストが、制作の動機付けの再構築に迫られている様にも感じられはする。

2011-04-07 17:24:21
大村益三 @omuraji

「国家」としての「日本」の「信用」を担保にした制作は、今後し辛くなるだろう。

2011-04-07 17:26:46
大村益三 @omuraji

「アニメ」を含めた「日本独自」の「エスニシティ」で売っていく方法論も、今後し辛くなるだろうと想像される。

2011-04-07 17:28:34
大村益三 @omuraji

「寄生」の対象としての「日本」の、頼るべき「産業」も、「国力」も、「信用」も一旦リセットされたとすれば、では「アート」は何に「寄生」の対象を求めれば良いのか。それとも「日本」に「寄生」する事から脱する道を探るべきなのか。

2011-04-07 17:33:12
大村益三 @omuraji

「芸術は常に時の『体制』や『上層』に『寄生』するものであった」という極めて「大人」の美術史観も当然存在し、その延長上に今日のアートも存在するという立場も十分にあり得る。それは「日本」に「寄生」し、「産業」に「寄生」し、「文化」に「寄生」する事を良しとする立場ではある。

2011-04-07 17:54:15
大村益三 @omuraji

しかし「大人の対応」が、時にその外部からは単に「クレージー」に見えてしまう局面というものは当然ある。即ち「大人」とは「平時」の美学ではあるのだ。

2011-04-07 17:56:24
大村益三 @omuraji

「平時」とは「振幅」の少なさであり、それに対して「有事」の「振幅」は桁が違っては来る。

2011-04-07 17:58:27
大村益三 @omuraji

「平時」の振幅では、観測する事も、認識する事も不可能な存在があるという事は言えるだろう。それは即座には非難の対象とはならない。但しそれを補って余りあるのは、それぞれの「想像力」なのではある。

2011-04-07 18:02:20
大村益三 @omuraji

自画像的認識としての「悪い場所」より、切実に「より悪い場所」として「他」から「見られる」日本。

2011-04-07 18:36:38
大村益三 @omuraji

仮に「美術として」求められるものがあるとするならば、「日本」の「ブランド力」の回復というものもその一つにはなるのだろうとは思う。

2011-04-07 18:39:31