アラン『わが思索のあと』読書メモ集
- arishima_takeo
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思考する勇気は、人が先ず空虚の中に浮かぶことから湧き出して来るものである。byアラン『わが思索のあと』
2018-04-16 14:29:53波打ぎわには獲得された位置というもののないことはよく判っている。真実のところ、何処にもかかるものはない。私の考えではそれが政治の秘訣である。byアラン『わが思索のあと』
2018-04-16 14:31:27「常に上機嫌で、私は主人顔をして振舞った。そして反対論者達を完膚なきまでにやっつけた。かれらは事を善意をもって受け入れた、といって、そうするより仕方なかったからだ」(アラン『わが思索のあと』)。テンプレに使えそう。
2018-04-17 14:18:54私はベルクソンについては何も言うまい。かれは独創的な人物である。しかしベルクソニアン達は惨めである。byアラン『わが思索のあと』
2018-04-17 14:20:23「私はカントより先まで行った。しかし何時でも私はカントに戻って来る。かの融通のきかない善良なカント主義者ルヌヴィエは私は教師の一人だった」(アラン『わが思索のあと』)。お、ルヌヴィエに言及してんじゃん。
2018-04-17 14:22:55「プルードンはこんなにも読まれ、コントはこんなにも読まれていない。この不公平に私は気が収まらないのだ」(アラン『わが思索のあと』)。そしていまやどっちも読まれていないのであった。
2018-04-17 14:24:32「私には命令というものが判った。というのは、私が属していた上官達は、多くの場合、無智で怠惰だったが、少くとも命令を下すことは出来た」(アラン『わが思索のあと』)。ブラック企業語録。
2018-04-18 12:33:45私は敢えて言おう、文学の上に、哲学の上に、数学の上にさえも、支配の精神が余りにも重くのしかかっている。我々は制服の将校達によって教育された。私もかれらの一人ではなかったであろうか。byアラン『わが思索のあと』
2018-04-18 12:35:55「何故社会学者達は、コントを引合いに出す人々でさえも、恰もコントが存在しなかったように、慌てて思考するのだろう」(アラン『わが思索のあと』)。あわてんぼうの社会学者。
2018-04-19 13:19:49我々に努力なしに出来るものは、我々が自分について構成しようと欲することよりももっと我々について真実である、と考えるいかなる理由もない。byアラン『わが思索のあと』
2018-04-19 13:21:37プラトンに対して正しくないアリストテレス、デカルトに対して正しくないスピノザ、ヘーゲルに対して正しくないマルクス、讃歌が憤怒に変化するのは一種の法則である。私はそこに感動の弁証法、聾で盲目な弁証法があることを認める。byアラン『わが思索のあと』
2018-04-19 13:25:41私はいつも云うように牛のように歩む。私は外見上我々を同じ轍の中におく、気取られない革命を好む。byアラン『わが思索のあと』
2018-04-19 13:27:17「ともかく私は、無意識、潜在意識、意識域、その他猿的哲学の他の諸条項を四ん這いになって崇拝しなくなったその瞬間から、凡ての博士達に酷評されることになった」(アラン『わが思索のあと』)。サルトルも(先生がアラン)無意識信じてなかったな。
2018-04-20 15:25:23「さて私は、人間は、自分が犬のように一片の砂糖の前でちんちんするための創られたとは信じていない、ということを、幾多の証拠によって、見た」(アラン『わが思索のあと』)。犬ってそんな砂糖欲しがるんだっけか。知らない(あげたことないから知らない)な。
2018-04-20 15:27:45動物にとって何ものでもなく、人間にとっては致命的である卑怯とは、人が行おうと欲したことを行わないこと以外の何であろうか。byアラン『わが思索のあと』
2018-04-20 15:29:43アラン『わが思索のあと』読了。森有正訳。いつものアランとは違ってちょっとした自伝風。こんなんあったんだな。しかし、49年の訳だから、いくら現代仮名遣い+新字に変えても、やっぱり読みにくさというか、翻訳のリズムに歴史を感じるね。まあこの勢いでどんどん文庫化して欲しい。
2018-04-20 15:35:51