憲法記念日にたらればさんの十七条憲法の話

まだまとめが無かったようなので
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たられば @tarareba722

本日は憲法記念日ですね。現行憲法に思うところは特にないのですが(文章としては全体的に美文調でたいへん美しいとおもいます)、どうせなので憲法話でも呟こうかなと思います。ただし上代文学の。いつものようにちょっと長いので、ご興味ない方はミュートかリムーブかブロックをお願いします。

2018-05-03 23:04:50
たられば @tarareba722

とはいえ上代文学はぜんぜん詳しくないので(もちろん法学も)、本日はあくまで雑談のたぐいでして、まあこれまたいつものように「そういや昔、こんな話を習った気がするなー」と思い出しつつ、「憲法ってなんだろう」とか「日本ってなんだろう」と考えるキッカケになるといいなと思います。ではいざ。

2018-05-03 23:05:27
たられば @tarareba722

皆さま、わが国最古の文学作品というと何を思い浮かべるでしょうか。『竹取物語』、『万葉集』、『古事記』と、「文学とは何か」によって各々変わると思うのですが、本日は少し違った視点で語ってみます。わが国最古の文学作品は「十七条憲法」ではないか、という話。懐かしいですよね。十七条憲法。

2018-05-03 23:06:06
たられば @tarareba722

十七条憲法は、その初出写文が記されている『日本書紀』(西暦720年頃完成)の記述を信じるのであれば、西暦604年5月6日、みんな大好きスーパー政治家・聖徳太子が作ったとされています(諸説あり)。どれくらいスーパーかというとうっかり実在を疑われるほど(後述)。『日出処の天子』、超名作です。

2018-05-03 23:07:58
たられば @tarareba722

【なお十七条憲法の条文はこちら】 ja.wikisource.org/w/index.php?ti… (なお『日出処の天子』のAmazonリンクはこちら。電子化してくれーamazon.co.jp/dp/459288051X

2018-05-03 23:10:38
たられば @tarareba722

この十七条憲法、皆さまご承知のとおり全文「漢文」で記されています。そりゃそうだ。この頃にはまだ日本語と呼べるような言語は(少なくとも文語としては)存在していません。あったかもしれないが、その根拠は歴史の闇に沈んでいます。「日本」って、まず外国語で規定されたんですねえ。

2018-05-03 23:11:12
たられば @tarareba722

とはいえ十七条憲法は、ふとしたところに「日本」を見つけることができたりします。たとえば(やや話が飛びますが)日本語の超絶有名なフレーズには、よく「五七調」が盛り込まれていて(リズムがとれて心に残るし、そもそも私、日本語は「和歌」から生まれたとわりとガチで思っています)、

2018-05-03 23:11:55
たられば @tarareba722

「春はあけぼの(枕草子)」や「国境の 長いトンネル を抜けると 雪国だった(雪国)」などが有名で、はいこの十七条憲法の第一条「以和為貴」(和をもって 貴しとなす)も五七調だったりします(この読み方も諸説あり)。皆さんもこういうの、ほかに探してみると楽しいかもしれません。閑話休題。

2018-05-03 23:12:12
たられば @tarareba722

憲法とは何か。これには積み上げられた深い議論の歴史があるのですが、私は、憲法とはまず「国の内外に、その国のありかたを示す文章」だと思っています。では十七条憲法にもそのような性格があるのか。もちろんあります。 まず「外向け」として、当時超大国だった中国へ向けた側面が強かった。

2018-05-03 23:13:54
たられば @tarareba722

これは以前も呟いたことですが、十七条憲法の第一条「和をもって貴しとなす」は、明らかに孔子の『論語』にある「礼の用は和を貴しとなす」や、「君子は和して同せず」からとっています。オマージュですね。「わかる人にはわかるよね、『論語』くらい当然読んでるよね」という文脈が織り込まれている。

2018-05-03 23:14:40
たられば @tarareba722

で、その『論語』の文意や文脈を踏まえて読むと、このフレーズは「みんな仲良くしましょう」といった単純な解釈の裏に、「なんのために仲良くするのか(礼)を考え、仲良くすることが目的になってはいけない(同せず)」と問かれていることがわかります。さらにこれは外交文書でもあるわけで、

2018-05-03 23:15:07
たられば @tarareba722

「わが国は先進国(中国)の経典にも深く精通し、共感している」、「その教えにもあるように、礼節をわきまえ、その上で話し合いを尊重し、互いを認め合って物事を決めてゆくつもりだ」、「だから周辺国もわが国をそのような国だと思って付き合ってもらいたい」という意味も込めているんですね。

2018-05-03 23:15:37
たられば @tarareba722

くそ長いな。。。すみません。もうちょいです。申し訳ない。

2018-05-03 23:16:14
たられば @tarareba722

特に七世紀初頭、およそ300年ぶりに再統一されて「隋」という巨大帝国を築いた隣国に対して「うちの国はこんな感じだよ」と牽制しつつ、中央集権国家として国内をまとめなければいけない状況で生まれた「憲法」としてその条文を見ると、非常にバランスのとれた出来だと思えます。

2018-05-03 23:17:12
たられば @tarareba722

次に「内向け」としての行政法的な側面があります。 十七条憲法の条文を眺めると、全般的に(特に第四条以降)「公務員(貴族・役人)はこうあるべき、こうしなさい」という内容であることがわかります。当時は「公務員(貴族・役人)」のありようこそが国家そのものだったのですね。

2018-05-03 23:17:51
たられば @tarareba722

ここではまたやや話がズレますが、よく「日本とはいつ頃、どのように出来たのか」という議論を見かけます。どこに注目するかで話はまったく変わるのでしょうが、私はそうしたたぐいの話を目にするたび、それはこの時、聖徳太子の頭の中でまず出来たんだろうなー…と思ったりしています。再び閑話休題。

2018-05-03 23:20:05
たられば @tarareba722

さて最後に、まさにその聖徳太子についてザッと思うところを呟いてみます。厳密にはこの十七条憲法の「作者」と「作品」について。 聖徳太子に関しては、さまざまな伝承・伝説が入り乱れています。前述のように、業績が凄すぎるんですね。「超能力者だった」という話に説得力があるほどです。

2018-05-03 23:21:36
たられば @tarareba722

行政改革(冠位十二階制定)、宗教改革(仏教の普及促進)、医療および社会福祉制度整備(四天王寺建立)、超大国・隋との外交調整(遣隋使派遣)、治水や官道整備を推進した記録も残っており、これを天皇家と蘇我氏という、当時大変微妙なパワーバランスのもとで、綱引きしながら成し遂げてます。

2018-05-03 23:21:54
たられば @tarareba722

そのうえで十七条憲法の制定ですから、そりゃあ「救世音菩薩が皇女の口から入って身籠り、馬小屋の前で生まれた」という、おぉ釈迦とイエスのハイブリッドかよ…というめっちゃ欲張りな出生神話まで生まれてしまうわけです。まあ神話というのは「盛られるもの」ではありますが。それにしてもという。

2018-05-03 23:22:30
たられば @tarareba722

これはつまり、「日本(倭国)」という中央集権国家を作り出す上で「教祖的な神性存在」が必要であり、後世に伝わる「聖徳太子像」はそのために生まれた偶像的性格を持っていたのだと私は理解しています。

2018-05-03 23:25:41
たられば @tarareba722

もっとストレートに書けば、「聖徳太子が十七条憲法を作った」というよりはむしろ、「十七条憲法(を含む中央集権国家の創生とその体制強化)のために、聖徳太子という存在が必要だった」ということなんだろうなと考えているわけです。

2018-05-03 23:26:34
たられば @tarareba722

もちろん私は、いわゆる「聖徳太子不在論」を唱えるつもりはありません。用明帝の皇子で、推古帝の摂政として内政と外交のバランスに配慮し、仏教という当時の最新科学を積極的に導入した優秀な政治家は疑いようもなく存在したはずです。その上で、その敷衍のために「神話」が必要だったんだろうなと。

2018-05-03 23:27:30
たられば @tarareba722

まとめます。 憲法は国内向けと国外向けの作用がある。憲法はある種の神話性や聖性をまとうものである。それらを踏まえると、上代文学の退屈な話が急に現代的な話に思えて来たり、あるいは現代的な話の根っこが約1400年前にあることがわかったりして、より深く見えてくるのではないでしょうか。(了

2018-05-03 23:28:47