博物館における教育・学習をめぐるつぶやき

博物館(美術館含む)における教育と学習のあり方について、朝からちょこちょこ出てきているつぶやきをまとめました。
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@toshiromitsuoka

文脈レスの発言ですが、どこかで教育学系のミュージアム論に違和感が拭えないのが、例えば展示物について良く理解し、それを他者と共有できることは基本的によりよいミュージアム体験だと信じられているところにあるのだと思う。

2011-04-13 08:21:18
@toshiromitsuoka

そもそも多くの人がミュージアムに行くことそれ自体、社会的にみて歓迎すべきことなのかが相変らずピンとこない。もちろん、話をする場によっては、より多くの方が来館するためにという前置きで話すこともあるんですが。要は僕は二枚舌だということです(苦笑)。

2011-04-13 08:23:18
@toshiromitsuoka

だから、ミュージアムやその体験をよりよくしようとかいう議論よりは、そもそも今どうあるのかをもっと知りたいし、その記述のための理論的な枠組みは全くもって不十分でしょうというのが僕のモチベーションになってるんだろうねえ。

2011-04-13 08:24:59
@toshiromitsuoka

@kasuho いや全くそうでしょう(笑)。日本語の「博物館経営論」的なことに携わる研究者にもそうでしょうし。ただ、恐らく現状の入場者が3倍になったところで、館の経営を賄えるほどの収入には遠く及ばないですし。小学生みんなが創造的にクレーを論じているような展示室もまた不気味です。

2011-04-13 08:34:55
並木みさこ @cuniclus

博物館に於ける情報の「送り手」研究の枠組みはまさにそれだと思います。送り手は何を以て「送るべきそれ」「送るその方法」を選択しているのか。その根拠に迫る上で、送り手(博物館側)にとって、利用者理解が必須と思います@toshiromitsuoka ミュージアムやその体験をよりよくしよ

2011-04-13 08:36:24
@toshiromitsuoka

@kasuho こういうことを言うと、エリート主義者のミュージアム研究とでも批判されるのかもしれないけどね…。そんな批判を引き受けても、とりあえず無前提にポジティブな社会制度であることを前提には、僕は考えられないのだなあ。

2011-04-13 08:36:47
@toshiromitsuoka

ただ最後に付け加えておきますが、現状歴史的には英語圏の行動主義から認知心理学系へと向かう教育額ベースの実証研究が、ミュージアムにおける来館者研究のもっとも分厚い蓄積を有しているのは間違いないです。

2011-04-13 08:42:27
並木みさこ @cuniclus

そもそも、ミュージアム研究に携わるヒトの多くは、まず「利用ありき」から入るからナー 「利用していない」とか「興味ない」多くの人々の中に入っていかないし、意識が向いていない。当たり前か?

2011-04-13 08:46:30
並木みさこ @cuniclus

個人のinterpretaitonがものを媒介にどう深化変化するのかにすごく関心があるが、それを博物館という場で捉えている。なぜなら、そのフィールドに入り込んでいるから。システムの側から迫ることではなく、システム利用にどう長けていくか・・あれ、これすでに文化心理学かぁ?危うい

2011-04-13 08:54:30
カスホ @kasuho

@toshiromitsuoka 「すべての人が行きたいと思ったときにミュージアムに行けるような環境を作っておくこと」なら歓迎できるのですが。

2011-04-13 09:09:30
@toshiromitsuoka

@kasuho それは一つの考え方としてはありだし、ミュージアム側の考え方としてはすごく誠実な気がします。これは具体的に考えたことはないんですか、ミュージアムの開かれ方は、基本的には館のミッションとの関係で規定するのがいいのかなと感じています。

2011-04-13 09:20:47
@toshiromitsuoka

@cuniclus コメントありがとうございます。必須ではありますが、十分条件ではありませんけどね(苦笑)。

2011-04-13 09:25:08
平野智紀@鑑賞のファシリテーション @tomokihirano

.@toshiromitsuoka さんのおっしゃる教育学系のミュージアム論への違和感は僕も感じる。「展示物についてよく理解し、それを他者と共有する」という博物館側が用意した「よさ」を実現するだけの「教育」は全然面白くない(対話型鑑賞とか、傍から見たらそう見えるんでしょうね)。

2011-04-13 19:20:22
平野智紀@鑑賞のファシリテーション @tomokihirano

だから僕は(教育学的な理論に立脚しつつも)博物館「教育」ではなく博物館「学習」に興味がある。送り手側の提供する「よさ」を飛び越えるような、批判的かつ創造的な「学習」に対する興味が。それが既存の博物館を織りなす価値観を変えていくのではないかとも思うし。

2011-04-13 19:21:48
平野智紀@鑑賞のファシリテーション @tomokihirano

対話型鑑賞は「展示物についてよく理解し、それを他者と共有する」を超え、人々が議論し、時代の価値を生成し解体する「フォーラムとしての博物館」における“鑑賞型対話”へと深化していかなければならない。コンテンツの専門性のみならず、アクティビティの専門性を持つ人が博物館には必要。

2011-04-13 19:24:51
@hari_nezumi

@tomokihirano  ”きょういく”と”がくしゅう”の差は、中側および周辺の人は気にしている(理解できる)かもしれないのだけれど、場合によっては全く認識されない差分であることがあり。初めから構えられてしまって、議論したくてもうまくいかずに困ることがあります。

2011-04-13 19:28:51
@toshiromitsuoka

なんか朝ぼそっと突然に呟いたせいでフォロワーの方が急に増えました。恐縮です。ちなみに朝の逆の文脈で考えているのは、ディズニーランドで対話型鑑賞を実施したらすごく面白いんではないかということ。

2011-04-13 19:29:20
@toshiromitsuoka

もう一つ論文レベルの水準で考えていることではないのですが、結構今でも立派にミュージアムの中でクリエイティブな経験や活動は生起しているのであって、それを記述できない研究の水準の方がよほど貧困なのだろうと。それは僕自身も含めです。

2011-04-13 19:32:52
@toshiromitsuoka

「ほら、これってクリエィテブなミュージアムの楽しみ方でしょ。」って発見してしまう時点で、そこから経験の規格化は否応なく始まってしまうんではないかと。だから、現時点では多少味気なくても、意図をもって弱い指向性の記述から次のステップを見出せないかなと試行錯誤を繰り返すわけである。

2011-04-13 19:37:57
ねこぐるま @museology1223

私にとって博物館学習は、知識を「吸収する」だけじゃなく、自分の中や他の人と「再構築」して、それを社会に「還元」するところまで。長い時間がかかることもある。

2011-04-13 20:22:44
ねこぐるま @museology1223

博物館で「研究」と「学習(教育)」は分けて考えられるのは何故だろ?研究がなきゃ、学習の為の問題提起も材料もないのに。博物館で働くなら、やっぱり常に自分の研究が社会にとってどんな意味を持つのか考え続けなきゃいけないんじゃないのか。

2011-04-13 20:25:51
ねこぐるま @museology1223

博物館が対象とするのは「高度な研究をする研究者」?それとも「興味のある普通の人」?どちらも対象だと思う。それは知識の「提供の仕方」が違うだけで、どちらも包み込むものなんだと思う。

2011-04-13 20:29:24
ねこぐるま @museology1223

教育とか学習って、単に知識を入れることじゃないんだ。その行為は、「知識で人間を作る」と言ってもいいと思う。その人間が、思想や文化や社会を作る。私たちは「この世界をどうしたいのか」まで視野に入れなきゃいけないんじゃないか。

2011-04-13 20:32:42