歴史の『主役』に敗れたが「…に一度は勝った」「…が恐れた」と言われる”強い仇役”の談義(※一部、全敗武将の話も混入)

『歴史でよく「敗者は勝者によって貶められる」なんて言われたりしますが、アレは半分ウソですね。同時に敗者は勝者によって常に「過大評価」されるんです。何故なら敵がつまらない連中ならそれに勝った勝者も評価されないからです』 こんなテーゼから始まった歴史談義。「家康(例)が最も恐れた男」が多すぎ問題や、しれっと間もなく「歴史秘話ヒストリア」で特集予定の「全敗のフェニックス・小田氏治」の話も
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Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

@1059kanri それはそーだけど、レジェンド名将にはなれなかったけど、彼らといい勝負した、1回だけ勝った、彼らが「恐れた」?で歴史に残った一発屋、に花束をささげたい、という気持ちはある。 管理人氏いちおしの小田氏治まで突き詰めるのはともかく(笑) 村上義清なんかは優遇されてるほうか。

2018-06-10 09:20:49
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

@1059kanri 高校野球をやっていれば、その後プロ野球でレジェンドになったピッチャーやバッターと、県大会レベルで対決した元野球少年は数十人単位で生まれる。 「俺は江川から中学時代に二塁打を打った!」という思い出話を聞くのは、結構楽しいものですよ(笑)

2018-06-10 09:22:19
まとめ管理人 @1059kanri

@gryphonjapan そう考えると「家康が最も恐れた男」という言い方にも不思議な親しみがわきますねw

2018-06-10 09:28:23
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

@1059kanri んで、手前味噌につなげるけど、そんな一発屋武将の中に「佐野昌綱」を加えたい。今も良好な状態で残る山城・唐沢城に籠って北条を迎え撃った時、援軍の上杉謙信が画像のような武勇伝を残したのだけど、その後どうなったかとウィキペ見たら、その後佐野はがっつり謙信を裏切ってやがるの(笑) 続く pic.twitter.com/ufdi7T0U9I

2018-06-10 09:30:51
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Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

@1059kanri しかもそうやって謙信を裏切って北条についたので当然、激おこの謙信に攻められるのだけど、あの軍神・不識庵公に攻められても守り抜いたり、形だけ降伏したりして表裏比興に戦国を生き抜いたみたいなのよ。 「謙信がもっとも恐れた」…じゃないか (続く) ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90…

2018-06-10 09:34:51

 …佐野氏は代々古河公方足利氏に従い、昌綱もはじめは足利晴氏に仕えたが、古河公方の力が衰退し後北条氏の勢力が拡大すると、北条氏康と結んだ。ところが、越後国の上杉謙信が後北条氏討伐のための関東への侵攻するやこれに呼応し小田原城攻囲に参加した。これに対し永禄3年(1560年)2月に北条氏政が居城の唐沢山城へ3万余の大軍で攻撃すると昌綱は徹底抗戦し、その後上杉謙信の援軍が間に合い撃退に成功している。しかし、小田原城攻囲が失敗に終わると程なくして上杉を裏切り、永禄年間には、再び北条(足利義氏)陣営へ寝返った。

その後、永禄年間から元亀年間まで上杉謙信から10度攻められたが、昌綱の優れた戦の才能と、後に関東一の山城といわれる堅城・唐沢山城で防戦し、ほとんど撃退している(唐沢山城の戦い)。時には謙信に降伏したが、戦後の情勢によってやむを得ずに和睦して明け渡したり、使者などを遣わして改めて降伏しただけであり、謙信の帰国後に即座に離反するなどして命脈を続かせた。

リンク Wikipedia 佐野昌綱 佐野 昌綱(さの まさつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。佐野氏の第15代当主。戦上手であったといわれており、上杉謙信や後北条氏を何度も撃退している。また、戦で負けて落城したことは無く、戦況を見定め降伏・離反を繰り返して佐野家の命脈を保った。享禄2年(1529年)、佐野氏第13代当主・佐野泰綱の次男として誕生(一説では兄・佐野豊綱の子とも)。通称は小太郎。永禄2年(1559年)、14代当主・豊綱が死去すると家督を継ぎ、佐野氏の第15代当主となる。佐野氏は代々古河公方足利氏に従い、昌
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

@1059kanri 「謙信をもっとも苛立たせた男・佐野昌綱」ぐらいには、歴史好きの記憶にとどめてほしい男です。 ちなみに地元の佐野では、かなり良好な遺跡の残る唐沢城が昨年「山城サミット」の舞台になったほか、そんな因縁の上杉謙信を天災かゴジラ扱いした「上杉謙信がやってきた」展を開いたりしてる(笑) pic.twitter.com/isAvWMaZU4

2018-06-10 09:38:58
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藤枝ゆうじ @_f205_11j

@1059kanri これを「家康が最も恐れた男」カテゴリに入れるかどうか私の中で結論が出てませぬ pic.twitter.com/8czLNwBfbF

2018-06-10 09:41:47
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Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

@1059kanri 漫画画像資料データ 岡村賢二「上杉謙信(2)」リイド社 第四話 第三次川中島合戦と小田原城包囲網 leed.co.jp/9784845832781

2018-06-10 09:42:11
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

@1059kanri あ、最後 塩野七生の「十字軍物語」ではかなり大きく扱われたけど、 「サラディンが最も恐れた男は、リチャード獅子心王ではなく彼だった」という扱いで、実際にエルサレム王国をこの王の存命中は守り切ったった「らい王」ボードゥアン4世を、も少し世に知らしめたい。 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C…

2018-06-10 09:46:56
リンク Wikipedia ボードゥアン4世 ボードゥアン4世(Baudouin IV, 1161年 – 1185年3月16日)は、エルサレム国王(在位:1174年 – 1185年)。エルサレム国王アモーリー1世の息子。ボードゥアンは父に離縁された母アニェスとともに過ごすことなく、父の宮廷で育てられた。9歳から、古典学者・アラビア語学者・歴史家でありティルス司教となるギヨーム・ド・ティールに教育を受ける。ギヨームによるとボードゥアンは非常に才能豊かな、魅力ある美少年で、朗らかで、活発で、運動神経も良く、すでに一人前に馬を乗りこなした。頭の回転も素早く
MasterK @sig_master

うーん、小生の知る限り、歴史の敗者の側に回って、良く書かれた人物なんて、ほとんど居ないハズですが…。 勝者の側が敗者の側に盛るのは、 ・いかに強大な敵だったか (軍事力の水増し→勝者の偉大さの強調) ・いかに残虐な敵だったか (残虐行為の水増し→勝者の正当性の強調) です。 twitter.com/1059kanri/stat…

2018-06-10 10:26:26
まとめ管理人 @1059kanri

歴史でよく「敗者は勝者によって貶められる」なんて言われたりしますが、アレは半分ウソですね。同時に敗者は勝者によって常に「過大評価」されるんです。何故なら敵がつまらない連中ならそれに勝った勝者も評価されないからです。「勝者が作る歴史」には、「敗者の再評価」が必ずセットになってます

2018-06-09 09:13:38
ハートマン曹長:Ибаракистан @JefR5Q04FwA8AtT

某茶器漫画の影響やろなぁ… >ゲヒ殿ランクイン twitter.com/1059kanri/stat…

2018-06-10 11:47:47
まとめ管理人 @1059kanri

「家康が最も恐れた男」シリーズは、敵ならともかく敵でも何でも無いのが平然と混ざっているのはどうなのかw伊達政宗や黒田如水あたりはまあ気持ちは解らなくもないが、息子の不始末で切腹するはめになった古田織部まで入れるのはどうなのかと。

2018-06-10 08:36:58
まとめ管理人 @1059kanri

歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」 - NHK 「最弱」で歴史ファンに大人気?な戦国武将「小田氏治(おだ・うじはる)」。このオダ様、20回近くも合戦に負けたが、しぶとく生き残る。その「奇跡」の秘密とは―? www4.nhk.or.jp/historia/x/201…

2018-06-10 11:51:36
リンク 歴史秘話ヒストリア - NHK 歴史秘話ヒストリア - NHK 古代・戦国・幕末から近現代までバラエティ豊かな 驚きの、楽しい、そして感動する“歴史秘話”お届けします! 356
전 일륭(Raymond Tin Yat Lung) @ichiryusan

@xiaoke_As @1059kanri 家康本人どう思うかな。リアルな人となり分からんけど「有名税って奴」と笑いとばすのかなあ?自分が「一隆がおそれた男」ということでマジでビビった相手なら苦笑いだしそいつが「名古屋系企業の天下りスダレハゲ」だったら前のめりで「おいコラちょっと待て!」だし。(´ё`)

2018-06-10 11:53:28
Jake Tamabukuro @JakeTamabukuro

@xiaoke_As @1059kanri 「家康を最も恐れた男」っていうのはどうですかね。

2018-06-10 12:00:17
酉居鷽・沈下 @kky_89

敵はスゲー強かった をアピールするために敵の強さちょっともるパターンと 俺たちはすごく善戦した をアピールするために自分達をちょっと過小評価するパターンがあるような気がしなくもない twitter.com/1059kanri/stat…

2018-06-10 12:20:31
まとめ管理人 @1059kanri

個人的には「歴史は勝者が作る」という考え方にも少々違和感を持っているタイプですが、「勝者の歴史」があった場合それは『敵はスゲー強かったけど、そのつえー敵に勝った俺たちもっとスゲェ』の集合体ですね。

2018-06-09 09:22:47
まとめ管理人 @1059kanri

@JakeTamabukuro @xiaoke_As それは、「ほぼ全員」になってしまいますねw

2018-06-10 12:30:39
まとめ管理人 @1059kanri

「家康を最も恐れた男」となると、晩年の武田信玄は家康が最も脅威だったし、信長も例の「本能寺の時家康殺そうとしてた」なんて話を取り入れれば恐れていたことに成るし、秀吉晩年以降だと「日本の諸大名全部」になりますねw twitter.com/JakeTamabukuro…

2018-06-10 12:33:02
古橋智樹 @tomokifuruhashi

茨城県南西地域のみなさん必見です( ̄∇ ̄)6/13(水)22:25〜23:10 ⇒歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」- NHK「最弱」で歴史ファンに大人気?な戦国武将「小田氏治(おだうじはる)」このオダ様20回近くも合戦に負けたがしぶとく生き残る。その奇跡の秘密とは? www4.nhk.or.jp/historia/x/201…

2018-06-10 12:47:55
バカモン @bakashiyou

@1059kanri 家康にめちゃくちゃ叱られてる近臣の少しコミカルな立身出世物語に付けるとよさそうですね。具体的に誰かは思い浮かびませんけど

2018-06-10 12:53:16
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

@1059kanri イスラーム最大の英雄がサラディンなら「サラディンが最も恐れた男」との称号を英のリチャード獅子心王と別に授かってもいいのがイスラエル王国の”癩王”ボードワン四世。実際1177年、モンジザールの戦いでサラディンを破ったそうだ。だが名の通りの病があり、24歳没。 塩野七生「十字軍物語」2より pic.twitter.com/4ekDF5KyTw

2018-06-10 18:02:57
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