談義 日下部後期ハイデガー観 主観性原理と存在原理 イギリス経験論によりアポリア化する日本と、量子論の対称性~etc

纏め作成中です。談義の纏めをサボってはや二年。ここで談義とはハイデガー読解のことで、雑談に埋もれてるようで、意外と一貫性がある話題なので、年末ぐらいからTogetterしておきましょう。(現在編集作業中です) 年末、日下部後期ハイデガー観の話になりました。そこではソクラテス以前のギリシャの自然哲学が、異文化的なピュタゴラスの魂輪廻説=主観性原理に侵されていくさまが描写されます。それはプラトニズムとしてその後の西欧世界を宗教的に呪縛する当のものです。ハイデガーならそれを存在忘却と一蹴するわけですが、一蹴は成功しているのでしょうか? 続きを読む
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada その道からは振り返る必要もないですよね。ハイデガーの寄与論考が目指す非体系性は、どこを開いても金太郎飴で、ざっと開いてもこんなにコトバが光ってますね。曰く、人間学に呪縛されると言葉のトリックに騙されるが、それでは自分は変わらない。まさに直言です。GA65-41節。 pic.twitter.com/FSIN0C0sxK

2018-03-14 00:00:57
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Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri 道は完全に開かれたと思います。そしてその門を潜った者はもう二度と虚無に陥ったり第一の元初に拠る事もなく、古代と現代を紡ぎその後は自らの言葉で自らを語り進む事が出来るだろうとも思っています。総てが明かされるには、本人も言う様に未だ沢山の時間が必要ですが。

2018-03-13 23:39:33
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada いい表現になってきましたね。カントが扉を開けるも垣間見れなかったことを、ハイデガーは見れたのか、という観点では従来は中途半端な読みから、やっぱりだめなんではという悲観論だったのが、孤高の読みは、ハイデガーは突破した、というタカ基地さんの読み方でしょうね。

2018-03-13 14:17:52
Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri はい。せっかく、カントは観る事は叶わなかったけれど、叡智界の扉を開いてくれたのだから中を観ましょうよというところだと思います。寝ます ^ ^

2018-03-13 03:04:11
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada 全くそのとおりですね。日下部が、神という主観から見た、全ての対象(ハイデガーの言う総駆り立て)を被造物とする主観性原理と、本来の存在原理は対立するというのもそれですね。要は、有を都合よく無から創造する造物主などという、主観性原理はでっち上げられない、という話ですね。

2018-03-13 02:45:20
Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri そうですね。被造物からは存在の本質も、本質の性質を贈与する根源的な根拠もその先の何も問う事はできない訳ですから、存在が認識の対象にはならないつまり経験対象では無いという言葉が一体何を根拠にして出てくるのかを考えてみれば、カントの認識の内に止まっているのでは無かろうかと思う訳です。

2018-03-13 02:39:15
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada そうですね。アートマンの輪廻でも、万物流転の話でもないわけです。因果律とは決定論のことなのだが、ハイデガーも量子論も、そうした決定論の外とかメタの話をしているわけですよね。SF用語なら時空連続体の外とか言い出すわけなのだが、時空連続体ではなく決定論の外部です(笑)。

2018-03-13 02:22:15
Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri 例えばですが、基体である身体が原子を超えて量子化された場合、原子核崩壊や量子単体に寿命がなければ無い筈の一億年前の過去性が輪廻すると言い出す人間がいないとも限らない、ので自らにも念を押す形で敢えて記述させてもらいました。そもそも量子を決定論的な実在性で表す事は出来ないですよね。

2018-03-13 02:19:00
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada 寄与論考が「接合条理」だといいますね。「むしろ~」を度外視すると途端に虚無の世界観に没落するわけだから。タカ基地さんから見ると日下部が世界観だが、日下部から見るとタカ基地さんが世界になっているのか。入れ子なのか、はたまたハイデガーはこのアポリアを克服しているのか?

2018-03-13 02:15:29
Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri の本来的な形而上学でもなく、第一の元初の非本来的な形而上学の世界−観であり、真理の本質は覆われてたままになってしまうとしか返答のしようがないんですよね。

2018-03-13 02:01:53
Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri 現前性で或る実世界と非局所的で非実在的世界で在る虚世界との境界を何処で線引きすれば良いのでしょうか。無境界性とも言える虚実世界は透視投影的にしか視観できません。イデアが非実在世界てもなく虚空間でも無く単に外部の実在世界と言うのであれば、それは最早フィシスでもなく、また別の元初から

2018-03-13 02:01:05
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada それで、ワクワクする方に戻されるのだが、ハイデガーは、実在論につきものの非実在性という虚無を招くアポリアを全部解決し、それはタカ基地さんが指摘するように、実証論のアポリアを全て克服した量子論と、完全に符合する時間性を全て描写したことになるのか、という問いですね。

2018-03-13 01:46:34
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada ところで、日下部はこれを現前性というのです。ハイデガーはピュシスをイデアと対立させていたのに、寄与論考では存在はもはやイデアだ、というわけです。もしそうなら、ハイデガーは存在論から実在論に後退していることになるのだが、タカ基地さんがそこをどう読むのか、と固唾を飲んでしまう(笑)。

2018-03-13 01:34:41
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada 存在者(有るもの)からは、じつは有(存在)という語彙は必然化しない。むしろ、非実在的な虚無の深淵がぱっくり口を開けてしまう。それを閉じる方法があるのか。ハイデガーならあるというでしょう。存在者から実在論をすれば非実在性が生じてしまう(デカルトですね)、それをやめろというわけです。

2018-03-13 01:30:17
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada 実在論からは存在(有)は明らかにならない(アポリアのままだ)。有という語彙の唯一の意味が必然化しないわけです。有なんて語彙は不要になり、全てが無に帰すということです。そうした言葉遊びは虚無であり非哲学なので、基本術語である有を必然化する順序を、明るみに出そうというわけです。

2018-03-13 01:27:22
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada そこに相違点があることをアポリアというのだが、要はハイデガーはそれを克服できたのか、ということに尽きるんでしょう。たとえば、目の前の実在物を実在性というタカ基地さん twitter.com/BeTakada/statu… から見ると、日下部のいう実在性は非存在(アートマンの輪廻)のことですね。このように~

2018-03-13 01:20:15
Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri 第一の元初的存在は経験不可で認識の対象になりません。しかし別の元初へ移行する事で存在は初めて経験への準備がなされ認識の対象たり得ると言えるのだと思います。この辺りが日下部さんの言う存在は認識の対象足り得ないと言うところのモノとの相違点であり解釈の違いではないのかなと考えています。

2018-03-12 23:44:29
Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri 「タカ基地さんの有が量子かVS量子が有か、という図式の方が有力なのか、この辺り纏めてほしいところ」深淵の底のそれ以上問うことのできない存在、それが真理の本質であり本質の真理であると言っているのだと私は理解しています。そこから有るものは各々性質を送られる訳ですから。

2018-03-12 21:20:15
Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri となります。有は根拠の本質から生起するのではなく、性起する事で性質と量を得て現−有として現成すると考える事が出来ますし、そう解釈する事でより深淵に近い有を問う事が可能になるのだと言っているのだと思われます。真理への跳入という語り方ひとつ観てもそれは明らかではないかと考えています。

2018-03-12 21:06:56
Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri 寄与論考の主要な論点は、第一の元初から別の元初への哲学の移行を促す事に尽きると思います。自然含め有るものは第一の元初から見れば全て被造物となり有それ自体の本質を探る事は不可能で全ては深淵に沈みます。それを別の元初へ移行する事で有は自然の本性となり、有それ自体の根拠を問うことが可能

2018-03-12 21:05:24
Taka kichi @BeTakada

@sunamajiri 串田さんの論文は大切に保管したい論文のひとつです。内的存在の中動の様態を解り易く描写していて凄いなと素直に思います。

2018-03-12 20:48:59
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada 踏み込むと、寄与論考は贈与の有を現前性にしたと日下部は言うが、GA33論の串田 twitter.com/sunamajiri/sta… は真逆で、寄与論考によって有は贈与になったと見做すようですね。この対立図式より、タカ基地さんの有が量子かVS量子が有か、という図式の方が有力なのか、この辺り纏めてほしいところ。

2018-03-12 02:47:41
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada 寄与論考は、有(という語)を性起してしまう twitter.com/sunamajiri/sta… のだが、それを現前性という日下部に対して 串田純一のGA33論 twitter.com/BeTakada/statu… jstage.jst.go.jp/article/philos… が末尾で、後期の贈与への転回とするのが、おもしろいなと読んでいたところ。 pic.twitter.com/yJc3kVBQEw

2018-03-11 00:15:20
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada それに対して、有を問いとして本質現成させる図式はどれなのか、という話でしょうか。図式が対立項なら、唯物=実在VS唯心=観念という主導的問い=実在論ではアポリアだが、存在論の図式は《存在は量子であるVS量子は存在である》というものなのか?ということです。twitter.com/sunamajiri/sta…

2018-03-12 02:34:43
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada やはり存在を量子と言い切ると、そうした陥穽もありそうですね。量子も存在と言い切らないとならないというか。確かに非本来的存在にとっては、存在は物質化した被造物=総駆り立て=対象論理だが、そんなものは存在しないので、だから量子だけが対象論理=延長を免れた存在自体だというような。

2018-02-27 17:37:19
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada 総括すれば、この、無理数は(この世ならざるもの?の)実在の否定として、非実在の実在性を補完した、というピタゴラス観から、実証性=確実性原理をアポリアに封じ込め、それを超越している「量子こそ有(存在)である」というタカ基地哲学となるというわけでなんでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta…

2018-03-12 02:27:43
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

アポリアとは非本来性のことだ。そこからは存在が見えていない。存在は思考がどうであれ、つねに存在するものだ。いや、思考を生み出すものが存在である。量子は時間どころか因果律に制約されていない。つまり非決定なのだが、その非決定が決定を生み出すのだ。これである。

2018-02-22 13:47:17
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

@BeTakada これが、ピタゴラスの輪廻主観説(非実在)に対するヘラクレイトスの怒りで、ハイデガーも当初はヘラクレイトスの怒りを共有していたのに、寄与論考でそれを忘れた、と日下部は批判するのだが、タカ基地さんが、twitter.com/BeTakada/statu… というわけです。これが~

2018-03-12 02:27:23
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