談義 日下部後期ハイデガー観 主観性原理と存在原理 イギリス経験論によりアポリア化する日本と、量子論の対称性~etc
- sunamajiri
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ツイートまとめ(^-^)/ ハイデガーの存在論は量子論だとするタカ基地さんの話 facebook.com/kaoru.ohmoto/p…
2018-02-22 01:04:16かつての哲学者なら、実在論と観念論とか唯物論と唯心論とか、確実性だけで捉える二項対立を止揚しようとしていたわけだが、その何方でもあるということ。そうした同時性を単純に【存在】とする量子論モデルこそ、ハイデガーが至った最後の哲学だと言っているのだから、もはや何も否定できないのだ。
2018-02-22 01:01:52ちなみに、ここで取り沙汰されたタカ基地さんの思考法は、あまりに当然過ぎることなのに、実は極めて画期的なのだ。これが理解できないようでは、今日では潜りだ。それは、因果律=決定論とは異なる量子力学の時代には、アポリアがないということなのだ。たとえば~
2018-02-22 00:53:20訂正 『自性態の四方域』→『自性態と四方域』 twitter.com/sunamajiri/sta…
2018-02-21 15:11:19村井則夫『自性態の四方域』 bit.ly/2ojFDjq では、近頃の思弁的な実在論を尻目に、ハイデガーの存在論を、基礎存在論では脱人間学の図式であり、非本来的形而上学の批判でしかないが、GA41原則論の裏本『寄与論考』では、形而上学である実在論から存在論へ超越した系譜が喝破されていた。
2018-02-21 14:11:44哲学が当為を遅延させる脆弱性となると、たしかに政治や宗教が当為を語り出してしまう。書簡体の二人称の疑問文のように、確実性と他者承認の主観性原理に依存してしまうなら、哲学のない宗教や政治による当為しか残らない。そういうタカ基地さんの叫びが、ハイデガーのそれと重なったのであった。
2018-02-21 15:02:11私「いいですね、ワクワクしてきます。宗教と政治は、たしかにそうですね。勿論、両者とも哲学ではないからそれらなのだが、あの野放図さに対する牽制する威力を失った哲学には魅力がないですよね、まったく。彼らを黙らせられないものか」
2018-02-21 14:55:34私「そうした当為を語ることを憚れるというのなら、手続き的にはまず疑問文で語ってみれば?」 タカ基地「疑問形で語ることは基本だと思います。しかし、宗教や政治が当為的で実定的な手法で思想を抑え込もうとしてくる場合は、そうも言っていられないかも知れませんが。」
2018-02-21 14:54:34私は、ハイデガーは、カントが語りに自覚的でないがために、長々と当為に至る脆弱性を来したが、ハイデガーはそれに自覚的な語りの哲学であってみれば、その脆弱性は全て塞ぎきったので、タカ基地さんの疑問文は当為に書き換えるべきだ、と結論したという次第だ。以下タカ基地さんを少し代弁する。
2018-02-21 14:47:32~もしタカ基地さんが、当為とは、カントの言う脳論的エーテルが量子であることだ、というのなら、タカ基地さんいわく、それが当為だろう。
2018-02-21 14:33:24タカ基地さんは、カント晩年の脳論のエーテルが、虚物ではなく量子の概念化だ、というのだが、たしかにカントの批判期のいう先験では、単なる実在論であるイギリス経験主義の先でしかなく、超越論を存在論といい切れない脆弱性だ、とハイデガーなら怒り出すのだが、~
2018-02-21 14:32:15それに対して私は、ハイデガーは、カントが自覚的ではなかった語りの哲学でもあるのだから、それを確実性に付して疑問文で提示してはならない、と主張していた。つまり、ハイデガーの存在論は、原子論に対する量子論なのか、というタカ基地さんの疑問文は、当為であると応酬していたことになる。
2018-02-21 14:20:32これを受けタカ基地さんが、ハイデガーの存在論は、形而上学である因果律から、いわば自由であること=存在論という意味での量子論そのものであり、もはや唯物論哲学のような、虚物を措定的に排除するというやり方ではなく、虚物の措定自体が排除される存在論が語らていると力説していて興味深かった。
2018-02-21 14:17:43村井則夫『自性態の四方域』 bit.ly/2ojFDjq では、近頃の思弁的な実在論を尻目に、ハイデガーの存在論を、基礎存在論では脱人間学の図式であり、非本来的形而上学の批判でしかないが、GA41原則論の裏本『寄与論考』では、形而上学である実在論から存在論へ超越した系譜が喝破されていた。
2018-02-21 14:11:44先月の現代思想ハイデガー臨時増刊号で目を引いたのもその点だ。つまりハイデガーがアリストテレスから書き換えた主導的問いだが、収録された昨秋のシンポ翌日の鼎談では、ハイデガー自身は人間学を存在忘却と捉え、存在の問いを発しているのに、と辛うじて把捉されようとしており、さらには~
2018-02-21 13:58:21さしあたって大まかに言えば、プラトン以来の【実在論】(存在忘却)は、デカルトの確実性やヘーゲルの弁証法など枚挙に暇がない(日下部なら主観性原理)。しかし、そうした「虚物」の措定は、個物である「私」の実存を説きさえすれば、実在論の拘泥から【存在論】に突破する。それなのにという叫び。
2018-02-21 13:51:27最近、タカ基地さんとは、体系哲学の時代の書簡体のように、DMで盛り上がってしまう。その豊穣な語り口を全て再話することは不可能だが、それを削ぎ落としてもある一点で一致していた。それはハイデガーの叫びとでも呼ぶべき事態だ。体系性を全て払拭する叫びなのだから、もはや書簡体に意味はない。
2018-02-21 13:50:27@BeTakada でしょ? 告発だと思う主観性原理の人を告発したからと言って、告発=主観性原理が語りたいわけではないですものね。日下部の『ギリシャ哲学と主観性』は、そうやって無様を晒すソクラテスに溢れていますよ。ああれをイロニーという実存は、実存じゃないな確かに。 @BeTakada そこが目的地ですから 笑
2018-01-19 15:09:21@BeTakada おそらく、タカ基地さんの怒り twitter.com/sunamajiri/sta… も、単なる主観性原理内部での告発ではなく、主観性原理=対象論理=プラトニズムに対する怒りとして、よりバージョンアップすると、日下部のように後期ハイデガーまで含めて、現前ではない存在だ、と言い出すようなきがする。
2018-01-19 13:30:53@inja650rr @BeTakada タカ基地さんの隠者くんへの義憤は、日下部がいうピタゴラスに対するヘラクレイトスの猛烈な怒り、を連想してならない。問題はハイデガーがほんとに怒っていたのかに尽きるのだが。隠者君、タカ基地さんをあまり怒らせないほうがいいよ。読み物でもして気を落ち着かせなさい。bit.ly/2lME4dC
2018-01-18 16:52:22@BeTakada それゆえにこそ、ヘラクレイトスのピタゴラスの怒りとは、主観性原理の中での告発のことではなく、その主観性原理に対する怒りであり、それを存在忘却するあらゆる論理性が、プラトニズムの亜流であり、ハイデガーもすんでのところで危なかった、というハイデガー観でしょう。twitter.com/BeTakada/statu…
2018-01-19 13:28:13@BeTakada 日下部が痛烈なのは、主観性原理は誰(どの主観)が正しいのか、という告発の坩堝になってしまうが、誰が正しく誰が間違いかという告発(主観性原理)とは、哲学にとっては思考停止であり、本来は、一があるのかないのか、という大らかな思考の分類学であったはずだ、という図式光景=視座でしょうか。
2018-01-19 13:23:22@BeTakada ソクラテスにイロニーを見出すだけでは実存ではなく、単なる主観性原理だ。それでは、神に主観性を見出し、神の前に被造物を立てた、対象化論理のままであり、たとえ神が死んでも、ゲシュテルしか残らない。ゲシュテル内存在は、世界内存在なのか。そう問わずに哲学に何かあるというのか、という辺り。
2018-01-19 12:52:43@BeTakada 日下部のいう哲学の真髄がそれですよ。ソクラテスが笑いながら死刑になったのはイロニーでも何でもない。単にギリシャにはなかった輪廻転生説というピタゴラス教団に毒されたソクラテスがあの世に喜び勇んだだけで、そこに論理を見出すプラトニズムは、主観性原理にすぎない~
2018-01-19 12:46:33@sunamajiri その通りと思います。我々の前に或る自然や肉体を跳び越してその外部に神と神の世界を想定する思想は、自然や肉体を蔑ろかにし扱うという思考と行為と、自助努力を怠る思考と行為をも生じさせる。本当に宜しくないと私は思っています。
2018-01-19 12:44:01@BeTakada その上で、日下部吉信は『ギリシア哲学と主観性』amzn.to/2CxM09z でも難読性がない。こんなにデリダ以後から、それを平明に語り尽くした人を見たことがない。ソクラテスにイロニーを見るだけでは、主観性の牢獄であり、神が主観となり被造物を前に立ててしまうぞ、というあれだが。
2018-01-18 15:51:29