【三国志後伝】 三国志演義の続編として刊行され、日本で翻案されて独自に発展しつつ、各国を渡り続け生き残り、中国で復活を遂げた数奇な書物の話
- mamesiba195
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これが三国志後伝についての概略です。これからは、「なぜ、ほとんど散逸していったはずの三国志後伝が、原文の再現までができるようになり、書籍の発行や原文の掲載まで至ることができたのか?」を探ります。 pic.twitter.com/ojbH3Vw3iW
2018-07-16 02:44:54## 3 今回、調査した動機
私が調査した動機について話します。2018年の正月頃から、私がまだ存在しなかったwikipediaの三国志後伝の項目を編集しようと考えました。そのため、リンクをつなごうとした過程で、こちらのサイト(三国与太噺)をお邪魔した時、徳田論文のことを教えていただきました。 d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20120…
2018-07-16 02:45:36徳田論文により、『通俗續三國志』、『通俗續後三國志』の原作が「三国志後伝」であることが判明した理由が分かりました。このことは、私にしても、ネット上で両作品と三国志後伝の内容を見比べて確認できていただけでした。
2018-07-16 02:46:29徳田論文によると、孫楷第「日本東京所見中國小説書目」(實用書局、1932年)に掲載されていた「三国志後伝」に関する「附引」が『通俗續三國志』の「序」と一致することが分かり、『通俗續三國志』、『通俗續後三國志』の原作が「三国志後伝」の原作であることが判明したとのことです。
2018-07-16 02:47:12また、北京図書館を調査したところ、国民党により、台湾に持ち運ばれ、北京図書館にはマイクロフィルムしか存在せず、また、台湾国立中央図書館に問い合わせたところ、どこにもないという返事をうけ、アメリカ(美国)国会図書館に寄託されたのだろうと述べられています。
2018-07-16 02:49:07さらに、日本にある東京大学東洋文化研究所と東洋文庫において調査したところ、三国志後伝のマイクロフィルムの存在は確認されなかったと記載されています。結局、「三国志後伝」の原本は、上海図書館とアメリカ(美国)国会図書館の2冊にしか確認されないとしています。
2018-07-16 02:50:23このことについて、現在、カクヨムにて、『通俗續三國志』、『通俗續後三國志』の翻訳をされている河東竹緒さんとコメント欄でお話をしていました。kakuyomu.jp/users/takeo_ka…
2018-07-16 02:51:18そこで、河東竹緒さんのご指摘で、東京大学東洋文化研究所に三国志後伝の『東洋文庫所藏萬暦刊本の複製』があることが分かったのです。
2018-07-16 02:51:52徳田論文によれば、ないはずのこの複製本がなぜ、存在するのでしょう? ひょっとしたら、孫楷第先生が日本に来た時、昭和6年(1931)に確認したものの複製が残っているのかもしれません。刊本年代が遡ることができたなら、大発見です。そこで確認することにした次第です。
2018-07-16 02:53:16これからその調査内容を発表します。なお、途中の憶測の間違いなどにより、私の調査を行った順番は違いますが、分かりやすいように、三国志後伝の原本に関する事象を年代順に記載しています。
2018-07-16 02:54:00この説明により、「三国志後伝」は本当に数奇な運命を辿り、散逸からかろうじて免れ、復活までたどりついたがお分かりになると思います。
2018-07-16 02:55:52## 4 三国志後伝・原書の発見について
まず、すでに言及した孫楷第「日本東京所見中國小説書目」(實用書局、1932年)の話しに戻ります。孫楷第先生は、昭和6年(1931)に来日し、東京において公私で所属されていた中国の小説について調査しました。この時に、東京にあった村口書店に「三国志後伝」が存在していることを発見しています。
2018-07-16 02:56:45また、東京にあります東洋文庫からお聞きした話ですが、同年、中国の清王朝では満州事変の勃発後、優れた善本が所蔵していた「国立北平図書館」(後の北京図書館、現在の中国国家図書館)から書籍や文物は次々と箱に詰めて南遷し、それぞれ上海、南京などの地に保管していました。
2018-07-16 02:57:23