【三国志後伝】 三国志演義の続編として刊行され、日本で翻案されて独自に発展しつつ、各国を渡り続け生き残り、中国で復活を遂げた数奇な書物の話
- mamesiba195
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なお、三国志後伝に影響を与えたものとして忘れてはならないのは「水滸伝」です。三国志後伝では、その影響が多々見られます。水滸伝は、嘉靖19年(1540)頃、成立しています。
2018-07-16 02:25:35三国志演義ブームの中で続編として刊行されたものが、「三国志後伝」。明の万暦三十七年(1609年)に刊本にされています。作者は酉陽野史というペンネーム以外ほとんど分かっていません。中国の続編ものとしては最も早い時期に刊行された作品の一つです。 pic.twitter.com/4jjAdG7VVz
2018-07-16 02:27:01ただ、内容はそれなりに見るべき部分は存在するとはいえ、残念ながら、三国志演義に大きく劣ります。その後、中国において、明代の張無咎に『批評北宋三遂新平妖伝叙』において批判された以外は、これといった記録は残っていないようです。
2018-07-16 02:29:18ただ、この作品は日本にも輸入されます。さらに、前半部分は、中村昂然によって『通俗續三國志』として江戸時代の元禄十六年(1703)に、後半部分は、尾田玄古(馬場信武)によって正徳2年(1712)に『通俗續後三國志』として翻案もしくは刊本されます。
2018-07-16 02:29:58これは、日本における三国志演義の初めての翻案である『通俗三国志』が湖南文山によって完成したのが元禄二年(1689)であることを考えると、ほとんど期間が空いていないのが分かります。
2018-07-16 02:30:49江戸時代の正徳年間(1711~)から、空前の唐話(中国語)学習ブームが起きており、「三国志演義」など白話小説を教材にしていた知識人もいたそうです。
2018-07-16 02:31:20なお、中村昂然・尾田玄古はともに漢学者です。尾田玄古は馬場信武という名で他の漢学でも知られます。漢文で内容の一部を改変・入れ替え・削除する形で翻案されています。挿絵や地図もまた、省かれたようです。また、「三国志後伝」という原作名は翻案には明言されませんでした。
2018-07-16 02:31:57その後、中国ではほとんど散逸してしまったようですが、日本では、『通俗續三國志』、『通俗續後三國志』として、明治44年(1911年)に早稲田大学編輯部編の通俗二十一史の一部に採取されました。これは現在でも、大きい図書館で置いているところが多いです。 pic.twitter.com/nEdjiGrbKp
2018-07-16 02:33:43また、中国でほとんど散逸していたことは、中国の高名な小説研究家である譚正璧『古本稀見小説滙考』(1984年)において、「現已不知帰于何処」(現在ではもうどこに行ってしまったのか分からない)や
2018-07-16 02:35:46「此書国内已失伝、僅偶一在史志中堤及」(この書物はすでに国内では失われ、ただわずかに一記録※の中において、言及されているだけである)とされていることで、分かります。 ※「徳田論文」では劉廷璣「在園雑志」と推測されています。
2018-07-16 02:36:23そのような三国志後伝ですが、現在は、「三国志後伝」もしくは「続三国演義」というタイトルで中国においていくつか出版されています。また、wikipediaの記事の外部リンクで分かる通り繁体字の原文掲載を行っているサイトもあります。 pic.twitter.com/EOrdJ6yW6q
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