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これって、どこが「デリダの引用」なのでしょうか? RT @charis1756: 「僕はうなぎだ」という発言を、自分の泳法の比喩的説明というコンテクストで聞くこともできますが、食堂の注文というコンテクストで聞けば、「僕はうな丼を注文します」の意味になります。デリダの言う「引用」です
2018-07-28 15:00:32デリダの「引用」は、「署名、出来事、コンテクスト」(1971)が初出で、邦訳『有限責任会社』にあります。デリダがそこで言っていることは、事柄としては少しも新しいことではなく、日本の国語学者たちに「うなぎ文」としてよく知られていたもので、当然フランスの言語学にも似た事例があるはずです。続 twitter.com/eguchi2017/sta…
2018-07-28 15:59:13デリダの功績は、「引用」という言語の事実を、文の意味は原理的に完結せず、つねに開かれたものであるという言語哲学的テーゼにまで高め、さらに哲学の方法論にしたことです。「うなぎ文」という言語の事実から、非常に大きな哲学的帰結が出てきたわけです。続
2018-07-28 16:04:50charisさん、少し読んでから返事おねがいします。「デリダの引用」の意義について質問しているのではなく、あのツイートのどこが「デリダの引用」になっているのですか」とおうかがいしてます。私の質問は文字通り、そしてこのコンテクストで読んでもらってけっこうです。そうしてください。
2018-07-28 16:08:47カントのアンチノミーは、同一の命題が現象界/本体界という異なるコンテクストによって、真/偽が反転することを示しますから、デリダの「引用」を哲学の重要問題に適用したものとも言えます。自然科学のパラダイム・チェンジにも似たところがありますが、こうした構造を提示するのが哲学の課題です。
2018-07-28 16:10:42ピタゴラスの定理とは、(ユークリッドの幾何学とかでは)直角三角形で直角をはさんだ辺それぞれの二乗を足した長さが、もう一辺の二乗の長さと同じになるという定理です。
2018-07-28 16:13:03哲学もノーマルサイエンスの方法でやるべきだ、というのが江口さんの御主張と思いますが、私は、哲学の方法はノーマルサイエンスの方法とは異なり、デリダの「引用」のように、コンテクストの外部性の提示が哲学の方法論であり、だから専門用語の「濫用」も哲学では許されると考えます。
2018-07-28 16:14:52だよねー→「科学では「すでに〇〇〇が述べているように」というのは歴史的な先取権を明確にする目的での言明です。その主張の正しさは、述べた人の権威によってではなく、その後の実験や観測によって示されているのです。」(須藤・伊勢田(2013)『… — そう理解してます。 lap87.ask.fm/igoto/45DKECPW…
2018-07-28 16:19:38実は「「概念」とは、ヘーゲルが明らかにしたように、その中に矛盾と対立と否定性を含んでいるがゆえに、自由な存在である」っていう文章読んでしばらく苦しんでいた。
2018-07-28 16:21:34『有限責任会社』のp31~33ですね。フッサールが「無意義、非文法的」と呼ぶ「緑はあるいはである」という文をフランス語に直せば、意味の通じる文になるとデリダは主張します。ただ、ずいぶんアクロバティックな議論で、私は、日本の国語学者たちの「うなぎ文」の方がずっと良い例だと思います。 twitter.com/eguchi2017/sta…
2018-07-28 16:23:33「デリダの引用」ではなく、「デリダの「引用」」です。つまり、デリダが「引用」と言っていることは、分りやすく言えばこういう事だ、という私の説明です。 twitter.com/eguchi2017/sta…
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