山姥切国広と本作長義、刀工国広関連の話

つるぎの屋@日本刀買取専門店 ‏ @tsuruginoyaさんが山姥切国広と本作長義とその関連のあるお話をしたまとめ
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「山姥切国広」に私は美濃伝の影響を感じるのですが。 国広以外では古参の弟子の阿波守在吉に「山姥切国広」の作風に近い備前長義写しのものが残されています。 出羽大掾国路は国広の門人ですが、美濃出身で三品系にも近い刀工です。国路にも「山姥切国広」や長義風の作品があることは知りませんでした

2018-04-19 23:43:13

国広の弟子阿波守在吉 ざいきっちゃんの話

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(上段左より) 山姥切国広、阿波守在吉 (下段) 出羽大掾国路 3振 山姥切国広と阿波守在吉には独特な島刃・箱刃がみられます。 出羽大掾国路にもそれに近い箱刃があります。 他には、乱れ込み尖った帽子や、表裏の揃わない刃文などが近いようですね。 pic.twitter.com/0eIQzsBnd8

2018-04-20 00:20:47
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刀 阿波守藤原在吉 慶長二年九月吉日 刃長 2尺4寸2分(73.3cm) 慶長2年(1597)は山姥切国広が制作された天正17年(1589)より8年後 堀川国広の弟子である阿波守在吉のこの作品がもっとも山姥切国広の作風が近いといわれています。 pic.twitter.com/3N28kwpUHa

2018-05-14 21:31:35
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(左) 山姥切国広 天正17年(1589) (右) 阿波守在吉 慶長2年(1597) 画像で比較 pic.twitter.com/eduFUUA49V

2018-05-14 21:33:48
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(左) 山姥切国広 天正17年(1589) (右) 阿波守在吉 慶長2年(1597) 押形で比較 pic.twitter.com/maDE9B5nXH

2018-05-14 21:34:16
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(訂正) 堀川国広が下野国(栃木県)足利を訪れ、山姥切国広を製作したのは ○ 天正18年(1590) × 天正17年(1589)

2018-05-15 18:01:38
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堀川国広と山姥切国広(天正18年-1590)を考察する上で欠くことができない存在が古参の弟子である阿波守在吉とその長義写し(慶長2年-1597)の刀があります。 阿波守在吉について仮定や推測の域をでない内容も多くありますが少しツイートしてみたいと思います。

2018-05-15 18:03:47
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堀川国広の刀工系図 堀川国広には弟や甥といった一族を含めて数多くの弟子がおり、こちらに記されていない刀工も数名おります。 他に実忠、国長、国昌、広実、国次など。 そのなかでも阿波守在吉はもっとも古参の弟子と目され、慶長2年紀(1597)の刀が現存します。 pic.twitter.com/14h9rquqJ6

2018-05-15 18:26:37
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新刀・新々刀 刀工系図 加島進:著 大塚工芸社:刊(平成11年) より

2018-05-15 18:27:56
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・国広が美濃国(岐阜県)関を訪れたのは、下野国(栃木県)足利を訪れた天正18年(1590)の前と後のどちら ・阿波守在吉が国広に入門した時期 日向国(宮崎県)、美濃国、下野国、山城国(京都) ・阿波守在吉の出自と銘字、その作風 ・山姥切国広など天正17~18年頃の作品に美濃色の影響が強い

2018-05-15 18:44:33
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山姥切国広と阿波守在吉の長義写しに関連する年表 天正17年(1589):国広が美濃国(岐阜県)関を訪れる。陸奥守大道との合作あり 天正18年(1590): 2月、山姥切国広を製作 5月3日、本作長義に切銘 8月、足利学校にて布袋国広を製作 天正19年(1591):国広の在京打

2018-05-15 18:48:34
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文禄1年(1592):国広の作刀未見、日向検知など諸説あり ~ 慶長3年(1598) 慶長2年(1597):阿波守在吉の長義写しの刀 慶長4年(1599):国広が京堀川に定住する

2018-05-15 18:48:35
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阿波守在吉については佐藤寒山先生が記された「国広大鑑」と「堀川国広とその弟子」に詳しいのでご興味のある方はこちらもご覧になって下さい。 「堀川国広とその弟子」(1962) 佐藤寒山先生:編集 伊勢寅彦翁:発行 より pic.twitter.com/sa9yL1EJhg

2018-05-15 19:52:05
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「堀川国広とその弟子」で在吉の国広への入門の時期については 慶長2年紀(1597)の刀の完成度の高さや、在京打の天正19年(1591)以前であり、諸国を放浪中(天正15~17年)とみることも可能と推測されています。 そして、在吉が国広とともに足利を訪れ、山姥切国広の製作に協力した一人ではないかと

2018-05-15 19:59:52
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「堀川国広とその弟子」より抜粋 在吉の入門時代を国広の諸国流浪中と見ることも可能であり、あだかも俳聖芭蕉のみちのくの旅に随行した曽良のごとく国広と行を共にしたのが在吉であったかも知れない。 (中略)

2018-05-15 20:11:35
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慶長二年作の在吉の刀が備前長義の風を写しているとあるが、これは天正十八年打、山姥切の出現によって、在吉の作は山姥切によく似ており、山姥切が長義を写したものであることからも、一段と国広と在吉との関係が明白になったように思われる。

2018-05-15 20:11:35
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則ち国広が山姥切を野州足利に於て鍛造した折には、在吉も側近の弟子の一人としてこれに協力しているのではなかったか、さればこそ慶長二年に既にこの作があるのではないかとも思われるからである。

2018-05-15 20:11:36
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・国広が美濃国(岐阜県)関を訪れたのは、下野国(栃木県)足利を訪れた天正18年(1590)の前後どちらであったか。 ↓ 天正17年(1589)頃、足利を訪れる以前にその途上に訪れたと考えられています。 国広と大道との合作の短刀が残されています。

2018-05-15 20:23:25
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もし、在吉が美濃出身の刀工であったとすれば、天正17年(1589)に関で国広と出会い足利行きに同行したのかもしれません。 また、国広の関への来訪が足利の帰りでは、在吉は足利に同行することができません。

2018-05-15 20:23:26
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・阿波守在吉が国広に入門したのはいつ頃か 日向国(宮崎県)、美濃国、下野国、山城国(京都) ↓ 天正17年(1589)頃、国広が足利に向かう途上に美濃国関を訪れた時期の可能性が高いと個人的には思います。

2018-05-15 20:43:04
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

日向国(宮崎県) 銘文に「日州住」と切ったものがなく、国広を初めとする一族にみられる通字である「国」「広」「弘」「実」などが在吉には無い。一族ではないと思われる。

2018-05-15 20:43:04
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下野国(栃木県) 天正18年(1590)の約1年間と期間が短い。 小田原征伐中。 当時の下野には相州鍛冶の影響を受けた徳治郎鍛冶がわずかに存在するのみ。 山城国(京都) 在吉作の長義写し(慶長2年)が残されており、国広が在京した天正19年(1591)から6年間で育成するのは不可能。

2018-05-15 20:43:04
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

・阿波守在吉の出自と銘字、その作風 ↓ 一門の中でも古参といわれていますが、はたして日向国(宮崎県)時代まであがるかというと疑問があります。 銘文に「日州住」と切ったものがなく国広を初めとする一族にみられる通字である「国」「広」「弘」「実」などが在吉には無く一族ではないと思われます

2018-05-15 20:56:13
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

むしろ在吉の「在」「吉」といった字は関の「兼在」「兼吉」に銘字が似通っていると思われます。 その作風も匂口が締まったものが多く、堀川一門のなかでも美濃色が強いです。

2018-05-15 20:56:13
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