2018年京都SFフェスティバル 飛浩隆先生のレポートツイート かーらーのー 「創作踊り説」!
- miya_fox_may
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投げた当人がきょとんとしている感じですね。いままでのあの苦労はなんだったのみたいな。つまりうまく身体を使ってなかった、ある目的を果たすための最適な動きではなかった。なにげなく肩を上げていたことは、ボールを投げるための全身の動きに不要な抵抗を作り出し、そのために↓
2018-10-08 20:35:09いくら注意ぶかく投げても、腕の降り出す力は下がり、ぶれが生じ、あるいは身体の軸がただしい方向から逸れていたのではないか。(あくまで比喩ですよー)↓
2018-10-08 20:37:20で、コーチに言われたとおり肩をちょっと下げてみたら、不要な抵抗がすっかり消え、当人のポテンシャルが無理なく発揮されて、利き腕に込めた力が意図したとおりボールに伝わり、ひゅーっとボールが伸びてゆく↓
2018-10-08 20:45:23つまり小説の文章というのは、一個一個単独に存在しているのではない。句点で区切られているけれど、その背後ではなめらかにつながっていなければならない。そ し て 読者が受け取っているよりも(そして作者自身が把握しているよりも)ずっとずっと巨大な情報量が滔々と流れているのであって↓
2018-10-08 20:49:19個々の文章はみずからの意味をその流れにつけ加える働きと、その情報を次の文章に伝えることの両方を果たさなければならない。さらに言うと、ある文章は、片方の足をひとつ前の文章に、反対側の足を次の文章に書けていなければならないのだ。ひとつの段落はこの動きがあってこそ成立する。そして↓
2018-10-08 20:52:12個々の文章もこの流れの中にしぜんに納まっていないといけない。こう書くと「なんだ当たり前、よく言われることじゃん」と思われる読者も多いだろう。しかしここまでのひとつながりをまとめて読んだ実作者の中は、入れ歯がカタカタ鳴るほどはげしく頷かれると思う。そういう微妙なニュアンスの話↓
2018-10-08 20:54:39情報量を補足するとこんな感じね→ 文章で捉えているのは野手がホームへ送球するための一連の動作の一コマ。しかし実際には、呼吸があり、代謝があり、筋肉や骨格の膨大な要素がそれぞれ動き、それを包む皮膚の何億という細胞も伸縮している。ひとつの文を構成する単語はほんの数語だが、それは無限↓
2018-10-08 21:07:58ともいえる順列組み合わせの中からたまたま択ばれているだよね。そう考えると、俺たちすごいことをしているなー。みんな自分を褒めようぜ。 さて話は変わるけど、俺は酉島さんにこう言ったわけです。一連の文章群の始まりから終わりまで、というのは一種のダンスではないか。はじまりのポーズから↓
2018-10-08 21:10:46さまざまなポーズを経由して最後の静止状態に至る一連の、速度と力をはらんだ身体の動きの遷移と表現なのではないか、と。↓
2018-10-08 21:12:26小説(あるいは小説のある段落)には最初の一文があるわけですよね。でもそこにある情報量はその一文のデータ量をはるかに超える。それまでの取材や作者の構想、択んだ文体。そしてその小説に使われないもの、も。それらの総体は。人間ひとりの肉体になぞらえる。冒頭の文が書かれる前、そいつは完全↓
2018-10-08 21:25:39に静止している。そして最初の一文と同時に動き出す。片目を開ける? 口元をゆがめる? 片脚を後ろに振り上げる? なんでもいい。文章はつながりあってその人体の動きを作り出す。(しつこいようですが、アナロジーです。)
2018-10-08 21:27:05(想像以上につかれるな、これ。しかしこんなもの明日に残すわけにはいかないよ。あと一時間でいけるとこまで行って、そこで強引に終わらせよう。まあそんなにかかかるまい)
2018-10-08 21:30:33つまり小説の一文一文は、独立して静止したデータの単位ではなく、ダンスしている人体のひとつづきの大きな動きの中に、たまたま目が捉えうる姿勢なのではないか。カメラで捉えればそれはたしかに静止しているけれども、じっさいはとまらない肉体の動きの一切片なのであって。↓
2018-10-08 21:38:11ようやく話が元に戻るのだけど、小説が金縛りになる現象って、つまりそこがうまく踊れていないことなのではないか。身体がキレよく回転しないのは、前の文章でブンと振り回した腕の速度がじつは少し足らなかったのではないか、あるいは足首が安定していなかったのではないか↓
2018-10-08 21:40:18そしてこの動きはダンサー一人ひとりみんな違うのだと思う。ぴたりと揃った群舞でも、その内部状態をくわしく観察すると、ちがっているはずだ。だって腕の長さや形が完全に同じな人はいない。同じように踊って見えるようにするため、各人は少しずつ異なったふうに身体を動かしているに違いない。↓
2018-10-08 21:42:50小説稼業をやっている人間は(ダンサーのような養成システムはないので)たぶんひとりひとり見様見まねで「身体の動かし方」をじぶんに叩き込んでいる。(自己流のそれが、おそらく作風であり文体だ。)しかし、いつもいつも要請された動きを正確に演じられるわけではない。いつものように↓
2018-10-08 21:46:35あるいは以前やったように身体を使っているつもりでも、じつはうまくできていないことがある。振り回したつもりの腕の重さに自分が振り回されたり、足を前に振り上げる前にすこし後ろに引きべきところ、その引き方が少し足りなかったり。すると次のフェーズで身体のバランスが崩れる。↓
2018-10-08 21:50:10物理的な肉体はその中に運動量を保存しているので、たとえすってんころりと転倒するにしても、次の動きがふっと消失することはない(アナロジーですよ)。しかし文章の場合はそこで「見当識」を失ってしまうのではないか。動かすべき身体のイメージを取り逃がしてしまうのではないか。↓
2018-10-08 21:52:39小説の場合はじっさいに単語を択んで組み合わせないといけない。直前の失敗した動き、くずれたバランス、それらを受け止める語文を、作家は作り出せないのではないか。で、いま思いついたのだが……↓
2018-10-08 21:54:19その「次の文を思いつけない」「金縛りになる」ということそれ自体が、われわれが「作家である」才能の証なのではないか。だって「そこに来るべき文章はない」ということが分かるのだから! ↓
2018-10-08 21:55:47というわけで非常に前向きな結論に至ったような気がするのでもうここらへんでやめておきましょう。あと言い添えておくと「そこに来るべき文章はない」というのは結論ではなく、ではそこに文章を置くためにはどこへさかのぼって直しましょうかね、ということになり、そこを見つけられるのが↓
2018-10-08 21:57:20(たとえ総当たり方式で修正したとしても)「あっこれでまた文章が流れる!」と判断できるのが、同じくらい重要な才能なのだ。これがないと、なかなか苦しいわな(というか作家にはなれんわな)。あと動きがぎくしゃくしないよう、問題に気づく能力、解決する能力も向上させないと↓
2018-10-08 22:03:14みっともない踊りになりますね。 さて、みなさんもお疲れと思いますが、ここまで興味深かったと思われる方はぜひ「いいね」を。きょうはこのスレッドの行進は終了。このあと第3コマ、夕食、合宿はじまり、ゲンロン企画、企画外のあれこれなどはすべて明日以降。まだまだ続くんじゃ。もはやヤケじゃ。
2018-10-08 22:06:21